夕陽と灯台と幼なじみと二人の距離
ーー「本当の自分」を見せられる人がいますかーー
古い灯台のある海辺の小さな町に、二人の幼なじみが暮らしていた。
同じ年に生まれ、家も隣同士だった彼らは、性格こそ正反対に見えたが、気がつくと一緒にいる不思議な関係だった。
町には珍しく一人っ子の志津子は、周囲がにぎやかなほど少し身を引きたくなるタイプで、
読書をしているときや静かな場所で物思いにふけっているときが一番落ち着く典型的な人見知りだった。
対照的に三兄弟の次男の優樹は好奇心が強く、街灯に乏しい町で本当に毎日、日が暮れて真っ暗になるまで帰ってこない少年だった。そして誰も立ち入らないような岩場や山の中を探検しては、秘密の場所を見つけてくるのが大好きだった。
そんな優樹が新しい秘密の場所を発見すると、決まって真っ先に志津子を呼びに行くのである。
志津子は毎回なぜ自分が呼ばれるのか、
「いつも同じ場所にいるから都合がいいのかな」
と不思議に思いつつも、優樹が庭先から勝手に上がり込んできては、曇りのない飛び切りの笑顔で
「スゲェ場所見つけたんだ、行こうぜ!」
と誘ってくれるのがなんだかうれしかった。
名前も知らない甘酸っぱい実が一杯なっている場所、
そこだけ四つ葉のクローバーが群生している川辺、
人の顔のように見える模様の石が大量に転がっている岩場
――たくさんの「秘密の場所」を優樹は教えてくれた。
なかでも「夕陽と灯台が重なって松明のように見える崖の上」は、志津子にとって格別だった。
天気が良い日には夕日に照らされた海と灯台、そして夕焼けから夜へ移り変わる空のグラデーションがとても幻想的な雰囲気を醸し出す。
子どもの足では、特に普段あまり運動をしない志津子にはかなりきつい道程だったが、珍しく自分から優樹にせがんで、何度も一緒に足を運んだ。
しかし歳を重ねるにつれ、それぞれの興味も生活リズムも少しずつ変わっていった。
中学生になると、優樹はサッカー部に入り、持ち前の運動量で瞬く間にチームの中心選手となる。
明るい性格も相まって、彼を慕う仲間はみるみる増えていった。
休み時間には優樹を囲むグループがいつもにぎやかで、放課後に一緒に帰る仲間も多い。
志津子には、優樹が校内を歩くだけで、そこだけスポットライトが当たっているかのように見えた。
一方の志津子は図書室の隅の静かな世界に身を置き、読書に没頭する日々を送っていた。新刊書の匂いにほっと安らぎを覚え、活字を追うことで心が満たされると同時に、自分だけの物語を心の中に広げることができる。その瞬間は何にも代えがたい充実感だったが、クラスの中ではあまり目立たない存在になりがちで、特定のグループに属することもほとんどなかった。
こうして優樹の周りはますます人であふれ、志津子はひとりで過ごす時間が長くなる。
かつて川辺や灯台を一緒に探検し、互いにとって唯一無二の存在だった二人は、すれ違いが重なるうちにその特別な関係を保てずにいた。
幼なじみであるという事実だけが、細い糸のように二人をつないでいたが、
高校進学を機に完全に関係が途絶えてしまった。
別々の高校に進学したある日のこと。
志津子が学校からの帰り道で、たくさんの仲間に囲まれて笑い合う優樹の姿を偶然見かけた。
もはや姿を見かけること自体が数カ月ぶりという感じだったが、彼は昔と変わらず明るい笑顔で周囲を盛り上げている。
ただ、昔から優樹を知る志津子には、その笑顔の奥底にわずかな違和感を覚えた。
幼いころの「心から楽しんでいる」顔とは、どこか微妙に違う気がしたのだ。
「……でも、もう長く話してないし、気のせいかもしれない。あんなに大勢の友達がいるんだし。わざわざ声をかけなくても、私なんかよりも優樹のことをよく知っていて大事に思ってる人たちが、今の彼にはきっとたくさんいるだろう」
そう思いながら、一瞬視線を交わしかけた気がしたが、そのまま目をそらしてすれ違う。
声をかければいいということは頭でわかっていても、一度離れてしまった距離をどう縮めればいいのか、
もう自信がなかった。胸の奥に、ほんのかすかな痛みが残った。
そんなある日、町の外れに立つ古い灯台が取り壊されるという話が舞い込んできた。
かつて二人にとって「秘密の場所」だった場所が、まもなく消えてしまう――。
思えば中学以降、すっかり足が遠のいていたあの崖の上。夕焼けが海と空をオレンジ色に染める中、意を決して歩いてみれば、子どものころは大冒険のように感じた行程も、実際には二十分ほどで辿り着けてしまう。
ふと目を凝らすと、昔いつも座っていた場所に先客の姿が見える。優樹だ。
志津子は少し逡巡したが、結局は何も言わずにその隣に腰を下ろした。
二人は無言のまま、まさに灯台と夕陽が重なる瞬間を眺めている。
何年ぶりかに共に見るその景色は、かつてはただ「きれいだな」と思うだけだった。
けれど今は、子どものころには想像すらしなかった将来への不安や、自分らしさを探す葛藤、
そして仲間や家族に対する複雑な感情が胸をよぎり、その風景の味わいがまるで違って感じられる。
先に口を開いたのは優樹だった。
「オレさ、みんなの前ではいつも元気でいようとしてるんだけど、本当はときどき疲れるんだよね。
『お前はいつでも明るくて良いよな』って言われると、そう振る舞わなきゃいけない気がしてさ」
その言葉に驚きながら、志津子はそっと小さくうなずいた。
「私も……周りに『静かな子』だと思われてるから、明るく話したり、誰かに頼ったりするのが前よりもっと苦手になっちゃった。ほんとは優樹君みたいに堂々と人前で話してみたいっていう気持ちもあるのに」
言葉を交わすたび、二人の小さな悩みが急に色濃く形を持ち始める。そして不思議と心が少し軽くなる。
認め合うでも責め合うでもなく、ただ素直に思いを打ち明け合う――
その行為だけで、なぜか胸の奥がほどけていく気がした。
オレンジ色の空が紫に変わり、夜の気配が忍び寄るころ、灯台の足元に強い海風が吹き抜ける。
優樹はしみじみとつぶやいた。
「不思議だな。同じ町に住んでるのに、全然会わなくなったし。友達は滅茶苦茶増えたけど、あのとき志津子と一緒にいたときみたいな気持ちになれるヤツはできなかったな」
志津子も、薄暗くなった海を見つめながら口を開く。
「私も、優樹君が遠い世界に行っちゃったみたいに感じてた。
誰かと夕陽を眺めるだけで、こんなに落ち着くなんて思わなかった」
取り壊しまであとわずかとなった灯台が、長年海を照らしてきたように、二人の思いをほのかに照らしていく。
外向的か内向的か、リーダー気質か書物好きか
――そんな分類よりも、「本当の自分を誰かに受け止めてほしい」
という普遍的な願いが、そこにあった。
夕日が落ちて夜の風が少し肌寒くなった海辺の道を、二人は肩を並べて歩き出す。
ときどき視線がぶつかるたびに、どちらともなくぎこちなく笑い合った。
「なあ、またどこか誘ってもいいかな? 今度は山や川じゃなくて……あそこの水族館とかさ、行きたいんだよな」
優樹が少し照れくさそうに言うと、志津子はまぶしい街灯を避けるようにして顔を伏せながら、けれど口元はうれしそうに綻んでいる。
「……うん、水族館、好き。私でいいなら……ぜひ、連れてってほしい」
そう答えた瞬間、思わず二人の顔が同時に赤くなり、しばしの沈黙が訪れた。
けれど、その沈黙は気まずさではなく、どこかお互いに照れと淡い期待をはらんだ静けさだった。
翌週、灯台は取り壊され、重機の音とともに“秘密の場所”は形ある姿を消してしまった。
だが、その夕日の時間を共有した記憶は二人のなかに鮮やかに残った。
――かすかな潮騒の音に代わり、水族館の水槽を照らす青い光が二人の影を揺らしていた。
優樹と志津子は、ゆらゆらと泳ぐ魚の群れを見つめながら、どこかぎこちなくも穏やかな表情を浮かべている。
かつてのように何も考えず手を取り合うことはできなくても、隣にいる相手を意識する分だけ、小さなときめきが胸に灯っていた。
人には誰しも、自由に生きたい自分と周囲の期待に応えようとする自分がいる。
大切なのは、その両方を否定せず受け止めてくれる存在を見つけること。
たとえたった一人でも、その存在がいれば、人はきっと孤独の扉を閉ざさずに歩んでいける――
重い話を書きがちなので努めてハッピーエンドを意識しました。
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