8 決意の朝
「…突然どうしたの?」エミカが尋ねた。
「王様が煙島に来た日。父さんが死んだ日の事よ」
「そんな話、今することか?」チョビが口出した。
「あの日、私は花を摘みに行く前に、灯台にいったの。その時一艘の船が見えた。それは王様の船だった」
「チョビ兄さんは本土の学校へ。王様が到着後、母さんは焼却場を案内していた。そうよね」
「えぇ」とエミカが、「そうだ」とチョビは答えた。
「それがおかしいのよ。私は一艘しか見なかった。兄さんが乗った船は見なかったの」
「何のことだ?」
チョビは冷静に言った。
「チョビ兄さん、私たちは同じ時間に家を出た。家から船着き場まで10分。私が向かった灯台まで10分。だから、もし兄さんが本当に本土へ行ったなら、兄さんの船を見ているはず」
アリアはチョビを見つめ続けた。
「つまり…あの日、兄さんは本土には行っていなかったんじゃない?あの日、ずっと島にいたんじゃない?」
チョビの顔に一瞬だけ、微かな動揺が走ったが、それもすぐに消えた。
「アリア、何を言ってるんだ。俺は本土へ行ったぞ」
アリアは毅然として答えた。
「それにね、兄さん。私が城へ連れて行かれる時、船着き場でモコが言ったのよ『花を摘み終えた後、灯台で兄さんの臭いがした』って。私が花を摘みに行っている時、兄さんはそこで王様の船が到着するのを確認していたんじゃない?」
エミカの顔に戸惑いの色が浮かび、視線をチョビに向けた。
チョビは再び冷静さを取り戻そうとしたが、その言葉には隠しきれない動揺がにじんでいた。
「モコがそう言ったのか…でも、それはきっと何かの間違いだ。俺は本当に本土へ行ったんだ。モコも勘違いしたんだろう」
アリアは首を振りながら、目を細めてチョビを見つめ続けた。
「モコは嘘をつく子じゃないわ。お願い、真実を教えて!あの日、本当は何があったの?」
その時エミカが言った。
「…私が話すわ。私が話すべきよ」
「母さん?」アリアは驚いた。
エミカは深いため息をつき、二人を見つめた。
「アリア、まずあなたが私の子供ではないことは知っているわね」
「…漆黒獣の子供なんでしょ?」
「そう、漆黒獣は獰猛な動物たちを交配育種したものだと思われている。でも違うの。あれは元々、人なのよ。敵国であるバンダニ国が、薬によって人々を化け物に、漆黒獣という兵器をつくったの。男性だけでなく、女性も老人もその薬を飲まされたらしいわ。…そして、バンダニ国でその薬を生み出したのが…ライルよ」
「お父さんが!…」
アリアは信じられないという表情でエミカを見つめた。
「私は、このイノト国で医師として働いていたの。あの頃はまだ旦那も生きていて、チョビが生まれたばかりだったわ。でも、旦那は煙島の戦いで漆黒獣に殺されてしまった。それでも、私は悲しむ暇もなく、大勢の負傷者の治療に追われていた」
チョビが少しため息をついた。エミカが話を続ける。
「その矢先、灰色病が広がり始めたの。王様は私たち医師たちに、早急に治療法を見つけるよう命じたわ。でも、どうしても有効な薬が作れなかった。そこで、王様は地下牢に監禁されていたライルに目を付けたの。彼は漆黒獣を生み出した張本人であり、その高度な知識が灰色病の治療に役立つかもしれないと考えたのよ」
外では風が吹き、窓にかすかな音が響いていた。アリアは、これまで知らなかった事実が次々と明かされていく中で、心の中に不安と疑問が渦巻いていた。
「灰色病の患者たちはその頃からすでに煙島で焼却されていたわ。王様は、ライルのためにそこに研究所を作らせて研究を始めさせたの。煙島は孤島であり、看守も配置されていたから、逃げることは不可能だと思ったのでしょうね」
エミカは少し間を置いてから、さらに言葉を続けた。
「ところがある夜、看守が何かに襲われて重傷を負ったらしいの。煙島の戦いで漆黒獣が全滅したと思われていたけれど、調べてみると実際には一部の漆黒獣が「奥森」に隠れていたの」
「え!本当に」アリアは驚いて言った。
「本当よ。そして急遽煙島で『漆黒獣狩り』が行われた。そして森の洞窟で三匹の漆黒獣が見つかった。そのうちの一匹がとても苦しんでいたらしい。その漆黒獣がアリア、あなたを産んだの。その後、森に潜んでいた漆黒獣たちはすべて焼き払われたわ」
エミカは重々しい声で続けた。
「そして、アリアが生まれた後、ライルは子供の世話をするために誰かが必要だと要請したの。それで医師でもあった私が煙島に派遣されたのよ」
「俺、煙島に着いたときのこと覚えているよ。父さん、いやあの人が怖かった」チョビが言った。
「そうね。ライルにしても私たち敵国の人間に簡単に心は開けないでしょう」エミカも初めて会ったライルを思い出していた。
「でも、あの人はイノト語を覚えて俺達は会話できるようになった。でも書く文字だけ、大事な部分だけはいつもバンダニ語で書かれていたから、何が書かれているのかさっぱり分からなかったんだ」とチョビは肩をすくめた。
「でも、どうしても知りたくてね。本土の闇市でバンダニ語の辞書を手に入れて、勉強しようとしたんだよ」
アリアはこれまでの人生が覆されるような事実を次々と聞かされ、心の中で何かが変わり始めていた。
「私もライルの研究を手伝っていたけれど、肝心な部分はいつもバンダニ語で書かれていて読めなかった。チョビがバンダニ語を勉強すると言った時、もしあの人に見つかったら、大変なことになると思ったの」
「どうして?」アリアが不思議そうに問いかけた。
「ライルは、研究の核心部分を隠すためにバンダニ語を使っていたの。王様は彼の研究を完全に把握していたかった。でも、ライルとしてはすべての情報を渡したくなかったはず。すべて渡したら、用済みで殺されるから。だから、バンダニ語で本当の結果を書いていたはずよ。それでチョビがバンダニ語を勉強していると知ったら、バンダニ語でも嘘の報告を書くかもしれないでしょう?」
「だから、俺はアリアに他の国の言葉を教えながらお前を盾にして、こっそりバンダニ語を勉強していたんだよ」チョビが言った。
エミカは続けた。
「そして王様はついに『あと一年で治療法が見つからなければ、ライルの首をはねる』と告げたの。漆黒獣を生み出したほどの高度な医術があるのに、灰色病の治療には長い時間がかかりすぎていたから。…そしたらライルは、アリアが何か鍵を握っていると言って…」
「私が…治療に関係しているの?」
「えぇ」とエミカは静かに続けた。
「ライルは、漆黒獣から産まれたあなたの血液が、灰色病の治療に何かしらの手がかりを与えてくれるのではないかと考えていたの。だからあなたの血液を徹底的に研究し始めたの。あの日はその結果を報告しようとしたのよ。私は、どんなことが書かれてあるのか、早く知らないといけない思ったの」
チョビが口を挟んだ。
「そう。母さんと俺は、もし報告を聞いた王様がアリアに何かをしたらどうしようって恐れていた。そして何よりも、またあの人に漆黒獣をつくらせ、子供を産ませるようならば、またあんな戦争が起こるかもしれない。そうなる前に俺たちが止めないといけない」
「だから私は、あの日チョビを学校に行かせずに、研究室にある書類を盗み出すように言ったの」エミカはさらりと言った。
「え?」アリアは驚いて声を上げた。
「俺はあの日、学校に行くふりをして、船を灯台裏まで漕いでそこから再び島へ上陸した。だから、アリアお前の言う通り、俺は学校には行かなかった」
「計画としては、王様が来られたら、母さんたち二人は港へ迎え出る。その時、研究室には誰もいないから、その隙に書類を盗み出して、再び灯台裏の船で本土に渡る作戦だった。俺は灯台から、王様の船が着いたのを確認して、急いで研究室へ向かったんだ」
「灯台から研究室まで15分。走っても10分くらいか。…でも着いた時はすでに金庫が開けられて、あの人は…刺されていた」
「お父さん…」
アリアは言葉を失い、しばらく黙っていた。
「だったら犯人は絞り込まれる。私たち3人以外の人、王様、シャルマル、コズモ…」
アリアが冷静に言った。
チョビは頷いた。
「あの日、父さんの死因を確認していた時、母さんと俺は犯人を考えていた」
「誰なの?」アリアが問いかけた。
「恐らくシャルマルだ」チョビは重い口調で答えた。
「…どうしてシャルマルなの」アリアの声には不安が滲んでいた。
「…港へ着いた時、シャルマルが船酔いしたと言って、水が欲しいといったの。だから看守に水を持ってこさせて、シャルマルは少し後で来たの。私はその間、王様とコズモを焼却所へ案内して、ライルは研究室にいた。だから、殺せるタイミングがあったのはシャルマルだけなの」
「だから、俺は尋問の時に、シャルマルに『腰にある剣でも殺せる』って言ったんだ。でも、あの人は顔色一つ変えなかった。恐らく、王様たちもシャルマルに少しの空白時間があったことを知っている。でも、それを言い出される前に、アリアを捕らえるように仕向けたんじゃないかって思う」
「その短剣だけど…」アリアは疑問を投げかけた。
「兄さんが研究所へ行った時、父さんの胸に刺さっていたのを見たの?」
「正直言うと自信はないんだ。金庫が開けられていたのと、あの人が死んでいたのを見て、俺も気が動転していたから」
「から、報告書はシャルマルの手に渡った…いや、今は新王様の手にあると思う。そして、そこには恐らく、灰色病の治療方法が書かれているんだ。漆黒獣の子供から作り出す薬が。だから、アリア、お前に何か起こる前に、なんとか城から抜け出させたかったんだ。これが事実だ」
しばらくの沈黙が続いた。
「…私はただの研究材料だったのね」
アリアはようやく口を開いた。
エミカはすぐに首を振った。
「違うわ、アリア。あなたはただの材料なんかじゃない。確かにライルは最初、あなたを研究対象として見ていたかもしれない。でも、彼は次第にあなたを娘のように思うようになったの。もしかしたら、研究に時間がかかったのはこの関係を壊したくなかったからかもしれない」
「そうだ、アリア」とチョビも続けた。
「あの人が、ある日突然『父さんと呼ぶように』と言ってきた時があった。それはきっと、アリアに家族を作りたかったんじゃないかと思うんだ。お前に対して本当の親心があったのは間違いない。お前を学校に行かせなかったのも、あの人はお前を守ろうとしていたんだと思うよ」
アリアは少しだけ目を細め、チョビを見つめた。
「でも、もし父さんが私を守ろうとしていたのなら、なぜそんなに秘密にしたの?私が漆黒獣の子供なんて、なぜもっと早く教えてくれなかったの?」
チョビは深いため息をつき、エミカに視線を投げた。エミカは少し考え込んだ後、静かに口を開いた。
「ライルは、あなたがもっと大人になるまで待って、すべてを話そうとしていたのかもしれないわ。きっと、あなたが真実を受け止める準備ができるのを待っていたんだと思う」
「でも、結局話してくれなかった。父さんは死んでしまったから」
アリアの声はかすかに震えていた。彼女の目には涙が浮かんでいたが、必死にそれをこらえていた。
チョビはアリアの肩にそっと手を置き、静かな声で言った。
「だからこそ、あの人が何を見つけたのか、俺たちで確かめないといけない。あの金庫の中には、きっと灰色病についての鍵が書かれてあるはずだ」
エミカも頷き、アリアは深く息を吸い込んだ。
「でもチョビ兄さん、どうやってその報告書を手に入れるの?」アリアの声には、不安が混じっていた。
「俺は王室の専門医者として、城の中に入り込もうと思う。もうすぐ試験があるんだ。それに受かれば、城に出入りする権利が手に入る。時間がかかるかもしれないけど、それしか方法がない」
エミカも言葉を続けた。
「私はここで医者を続けるわ。アリア、あなたはとにかく今は遠くへ逃げて」
アリアは二人の言葉を胸に刻みながら、深く頷いた。
「わかったわ。二人とも、言ってくれてありがとう。犯人が二人じゃないってわかっただけでも、安心できた」
チョビはアリアに向かって言った。
「アリア、俺達も確認したいことがある。お前、本当に火をつけてないんだよな?」
チョビの声にはまだ少しの疑念が残っていた。
「つけてないよ!本当に赤い花が燃えたんだよ」
アリアは必死に訴えるが、その言葉はあまりにも非現実的だった。
「まさか!お前は火も自由に操れるのか?」
チョビは眉をひそめ、信じられない様子でアリアを見つめた。
「チョビ兄さん本当なの!もしかして母さん、それって私が漆黒獣の子供だからかな?」
「わからないわ。あなた、動物とも話せるし、いろんな力があるかもしれない。でも現実的に考えられるとしたら、…花が、研究室の床に染み付いた薬と反応したのかもしれないわ…」
「でも、その花、不思議な形をした祭壇みたいなところにあったの。石に書いてある文字も読めなかったし…それがバンダニ語かもしれない」
アリアはその場所のことを思い返しながら説明した。
「そんな場所あったかしらね?」エミカが言った。
「…お墓かもしれない」チョビが呟くように言った。
「お墓?」
「森に灰を捨ててる場所があるだろう。その近くには灰色病の方々を慰霊するための石碑が立っている。だいたい、石に文字を掘るってお墓の可能性が高いと思うんだ」
「お墓か…じゃそれは誰のお墓なの?」
「それは…行ってから確かめるしかないな」
「でも今は確かめようがないわね。煙島に行くには許可が必要だから」
「もし、煙島へ戻れるなら、その時確認してみよう」
そしてチョビはそう言った後、アリアに一歩近づいた。
「アリア、お前が放火したと疑ってしまった。ごめん」
「私もチョビ兄さんを疑ってごめんなさい。私、心のどこかで…」
アリアは申し訳なさそうに言葉を紡いだが、チョビはそれを遮った。
「いいんだ、アリア」
チョビは優しくアリアの頭を撫でた。その手は温かく、兄妹の絆を確かめるようだった。
エミカは二人のやり取りを静かに見守り、少しためらいながら口を開いた。
「私もごめんなさい。私たちは…本当の家族じゃなかった。でも、それでも私はあなたたちを愛していた。ずっと守りたかったの。偽物でも、私たちの絆は本物だと思っている」
その言葉に、アリアの目には涙が浮かんだ。アリアはエミカを見つめ、深い感謝の気持ちを込めて言葉を紡いだ。
「お母さん、ありがとう。偽物なんかじゃない、私にとっては本当の家族だったわ」
エミカの瞳も潤み、優しい微笑みがこぼれた。チョビもまた、微笑みながらそっとアリアの肩に手を置いた。しばしの静寂が三人の間に流れ、その場に満ちた温かな絆を感じさせた。
そこへ「コンコン」とドアをたたく音がした。
「おーい、そろそろ出発するらしいぞ」
テリーが呼びに来た。
彼らは心の中でそれぞれの決意を固め、静かに立ち上がった。
「はい、今行きます」
アリアはまっすぐに前を見つめ、自分の足で新しい未来を切り開く覚悟を胸に抱いた。一方、エミカとチョビも、それぞれの場所でアリアを守り抜くために行動を始めることを心に誓った。




