7 扉の先
「大丈夫か、アリア?」テリーが後ろから声をかけた。
「はい、なんとか…」アリアは不安そうに答えた。
「心配するな。君の兄さんと合流して、次の計画を立てよう」
「チョビ兄さんに…会えるんですね…」
テリーは頷きながら、「そうだ、もう少しだ」と言った。
スノウは一切の迷いもなく、暗い森を抜け、病院の方角へと向かって走り続けた。星明かりが二人を照らし、遠くに病院の灯りが見えた。
「ここが…」アリアが一軒の家を見たとき、テリーは馬を降り、アリアを地面に下ろした。
「急いで、中に入ろう。チョビが待っている」
アリアはついに、自由と兄との再会という希望を手にしつつあった。
* * * * * *
病院の扉を開くと同時に、エミカが迎えに来た。
エミカはすぐにアリアを抱きしめた。
「母さん、どうしてここに?」
アリアは白髪が増えたエミカを見つめた。
「私もここに住んでいるの」
「え?煙島に住んでいないの」
「アリアが城へ行った後、私たちも本土へ戻されたの」
話し声を聞いてか、チョビがやってきた。
「アリア!」
「チョビ兄さん!」
二人は抱きしめあった。
「体が冷たいじゃないか。さぁ、早く中へ入って」
「待ってチョビ兄さん、テリーさんもいるの」
「テリーさん!城にいるはずでは?」
テリーは苦笑いを浮かべながら首を振った。
「計画変更だ。俺も城に戻れなくなってしまった」
チョビは少し困惑した表情を見せながらも、
「そうですか。それなら、さぁ、中に入ってください。寒いでしょう」
テリーは周囲を見回しながら、静かに言った。
「あぁ、でも馬をつなぎとめてから行くよ。スノウには感謝しなきゃな」
「わかりました。じゃあ中で待ってます」
チョビはそう言って、アリアとエミカを中に誘導し、テリーは馬を裏手へ回した。
建物の内部に入ると、温かい光がほっと心を和ませた。
そこには温かな空気と香ばしい薬草の匂いが広がっていた。
木製の床は磨かれており、壁には色とりどりの薬瓶や治療道具が整然と並べられている。
部屋の中央には大きなテーブルがあり、その周りには椅子が整然と並べられている。
テーブルの上には、薬草や医療器具が丁寧に配置されていた。壁には、治療法を示す掲示物が飾られている。
そこに大道芸人の長であるカイ団長が近づいてきて、アリアに言った。
「君がアリアか」
カイ団長は舐めまわすように、アリアをつま先から頭まで見た。
アリアは長身で筋骨隆々のカイ団長に驚きながら、頷いた。
「は、はい、アリアです」
「背はメグと同じくらいだが、服がブカブカだな。君はやせすぎだ」
「その、私は…」
アリアは口を開こうとしたが、言葉が続かなかった。
床に横たわった女の子の姿が脳裏に浮かぶ。
「大変だったね。暖炉のそばで、暖まって」
とカイ団長は優しく促した。
「あの、この度は、ご愁傷様です」
とアリアは丁寧に言った。
「ありがとう」
とカイ団長は短く答えた。
その時、嗚咽が聞こえた。そこには女性と若い男が立っていた。
女性はリサ、若い男はジンだった。
「あの子は最後、最後はどうなったの?」
リサが涙を拭きながらアリアに尋ねた。
「…私がいた部屋に火をつけて、そのまま…」
アリアの声は震えていた。
ジンは拳を握りしめ、後悔の念を押し出すように言った。
「ごめん。俺が、俺が手を、メグの手を掴めばよかった」
ロバートはジンの肩に手を置いて慰めた。
「…起きた事はしょうがない。お前のせいじゃない」
マルタおばばが杖を突きながら近づいてきて、落ち着いた声で言った。
「おばばは、何となくこうなると思っていた。メグは短命だったのだ。ジン、お前が悔やまなくてもいいのだよ」
大道芸人たちは、みんなで慰めあった。
そんな中、すまなそうにテリーが部屋に入ってくると、エミカがお茶を持ってきた。
「さぁ、みなさん特別なお茶を入れたわ」
アリアは手渡されたお茶のカップを両手で包み込み、そっと鼻先に近づけた。
ショウガの香りがふわりと広がり、心がほぐれていくような感覚に包まれる。
彼女はカップを唇に寄せ、一口含んだ。ほんのり甘みのある味わいが、喉を優しく潤しながら体全体に広がり、冷えた体がじんわりと温まっていくのを感じた。
「はぁ…」アリアは目を閉じて、その心地よさに身を委ねた。
肩の力が自然と抜け、緊張が解けていく。久々の感覚だった。
テリーも同じようにお茶を口に運び、ゆっくりと味わって飲んでいた。
彼もまた、ショウガの香りに包まれ、疲れた体が癒されていくのを感じていた。
「こういう時に何だが、早く準備をしないと」
チョビが言った。
「そうだな」
そう言ってカイ団長は立ち上がった。
「準備って?」
チョビはアリアとテリーを二人を交互に見つめ、計画を話した。
「まず、アリア、君には足を滑らせてケガをしたメグに成りすましてもらう。足や腕に包帯を巻けば、兵士の目をだますことができるはずだ。国境を越えるまで、痛みに耐えるふりをするんだよ」
アリアは覚悟を決めた表情で頷いた。
「それから、テリーさん」
チョビはテリーに視線を向けた。
「あなたも一緒にカイ団長たちと同行してください。あなたが側にいるとアリアは安心するでしょうから」
「了解だ。でも、俺がいなくなったことがばれたら、あの死体も疑われるかもしれない」
「…そうですね。でもそれが判明するのは少なくとも明日以降でしょう。ロバートたちは今日の夜明け前に出発します。その間この国を脱出すればこの計画は成功です」
「わかった。しっかりとアリアを守るよ」テリーは大きく頷いた。
エミカはその様子を見つめながら、ふと寂しげに微笑んだ。
「アリア。せっかく会えたのに、すぐにお別れなんて…」
彼女の声には、別れの悲しみが滲んでいた。
「アリア、急いで着替えを」とチョビは指示を出しながら、あわただしく動き回った。
アリアはその指示に従い、カイ団長の妻リサに手伝われながら、速やかに着替えを進めた。
カイ団長が持ってきた服は、シンプルで目立たない色合いのものだった。
リサが慎重にアリアの髪を束ねながら、「これでメグと同じよ」と優しく声をかけた。
「ありがとう…」アリアは感謝の気持ちを込めて、彼女たちに小さく微笑んだ。
「アリアちょっと」
エミカがアリアを別の部屋に呼んだ。
そこには包帯が準備されていた。
「さぁ、座って。足に巻くわよ」
右足を出して、と言ってアリアの足に包帯を巻き始めた。
「身長は伸びたようだけれど、やつれたわね。肌も真っ白じゃない」
「母さん…」
何度も胸の中で繰り返してきた思いが、とうとう口からこぼれ出た。
「母さん、私…逃げたくない。本当は煙島に帰りたい」
「私も、あなたと一緒に煙島に帰りたいわ」
エミカは優しくアリアの頬に手を添え、その目を見つめ返した。
「あなたの無実を証明するためには、まず自由を手に入れることが必要だと思うの。そして、そのためには一時的にでもこの国を離れるしかないのよ」
エミカはアリアの左腕を包帯で巻き始めた。
「絶対また煙島に帰れる日が来るわ。モコだって待ってる」
「モコ!」アリアの心に、ヤマネコのモコとの思い出が蘇る。
煙島にいた時、唯一の友達だったモコ。最後にモコが言った言葉が今も胸に残っている。
アリアの頭の中に、煙島の灯台でモコと遊んだ日々が浮かんできた。
父の事件があった日、遠くに王様の船が見えたあの光景が脳裏に焼き付いている。
確かめるのは今しかない。
「さぁ、できたわ」
エミカがアリアを見てほほ笑んだ。
「準備できたか?」
チョビが声をかけてきた。
「チョビ兄さん、母さん、ちょっと話があるの」
アリアは決意した。
「なんだ?時間がないぞ」
「お願い、会えなくなる前に話したいの」
そう言ってアリアは部屋の扉を閉めた。
「私、本当の話をするわ。だから二人も本当の話をしてほしい」
アリアは二人に向かって言った。