6 開かれた扉
即位式の後、アリアは自分の部屋に戻った。
看守は鍵を閉め、引き続き晩餐会が行われている城へと戻っていった。
今日はアリアを見張るより、城の警備が大事らしい。
袖が破れた服のままベッドに腰を下ろし、深いため息をつく。
「疲れた…」
今日起きた事が目まぐるしく思い出される。
すると鉄格子の鍵を開ける音がした。
テリーが大きな袋を担いで入ってきた。
「テリーさん!どうしたの?」
アリアはテリーを見上げ、尋ねた。
テリーは黙って袋を床に置き、ひもを開けた。
アリアは何だろうと駆け寄った。
そこには小さな女の子が入っていた。
「…だ、だれですか?この子?」
「この子は大道芸人の子供だ。演目の途中、足を滑らせて亡くなった」
とテリーは冷静に言った。
「亡くなった?え?…」
ピクリとも動かない女の子を見て、アリアは息を呑み、後ずさりする。
「この子とすり替わって、君は外へ逃げるんだ」
テリーの言葉は静かだが、確固たるものだった。
「どういうことですか?」アリアはさらに混乱した。
「実は、君は一生ここから出られない」
「え?」
「アリア、亡き王は君を一生ここに閉じ込めておくつもりだったんだ」
アリアは何となく、そう思っていた。しかし実際に口にされると、その現実の重さが一層際立った。
「君の力が恐れられている。君がどんな能力を持っているのか、どんな変化が起きているのか、王たちは知りたがっていた」
テリーはアリアの肩に手を置き、真剣な目で見つめた。
「アリア、君には選択肢がある。ここに留まって一生を無駄にするか、外に出て自分の運命を切り開くかだ」
「テリーさん?」
いつも朗らかなテリーとは違う人物のように見えた。
「でも、テリーさん。なぜあなたが私を手助けしてくれるんですか?」
とアリアは疑問をぶつけた。
テリーは一瞬黙り、深く息を吸った。
「アリア、実は私は娘を失ったことがある」
とテリーは静かに語り始めた。
「前に、大道芸を見たことがあるって話しただろう。その時、一緒に見ていたのが娘だった。けど、その子はもういない…もし生きていたら、今のお前と同じくらいの歳になっているはず」
アリアはテリーの顔を見つめた。
「賢くて、素直なところが娘に似ている。だから、君がここに閉じ込められたまま一生を終えるなんて、私には耐えられないんだ。…それにお前は父親を殺してはいないんだろう?」
テリーの問いに、アリアは静かに頷いた。
「そして今日、運命が巡り合わせたように、この女の子が…こんな風になってしまった」
テリーは静かに語り続けた。
「俺が町を巡回していた時、大道芸の女の子が足を滑らせて高いところから落ちてしまった。急いで病院に連れて行ったんだが、そこで医者のチョビという男に出会った」
「チョビ兄さん!まさか…」アリアは驚きの声を上げた。
テリーは頷き、アリアの反応を受け止めた。
「そうだ。チョビなんて珍しい名前、そうそう聞かないから憶えていた。俺がアリアのことを話したら、彼はすぐに、このすり替える計画を立てたんだ。君をここから救い出すために」
テリーは、彼女の肩に優しく手を置き、真剣な眼差しで言葉を続けた。
「今日を逃したら、君がここから出る機会はもう二度と訪れないかもしれない」
アリアはもう一度、冷たい床に横たわる女の子を見た。
アリアと同じ黒い髪。彼女の顔には安らかな表情が残っているように見えたが、その小さな体からはもう命の光が消えていた。
テリーはその様子を見て続けて言った。
「今日君はこの部屋で、亡くなった。いいね?」
アリアは息を飲みながら、静かに頷いた。
「わかりました、テリーさん…」
「よし、ではそのドレスを脱いで、この子に着せなきゃいけない。アリア、できるね?」
アリアは静かにドレスを脱ぎ始めた。テリーは代わりに横たわった女の子の服をはがし始めた。
アリアはドレスのボタンを一つ一つ外すたびに、心の中に刺さる痛みが増していく。
けれども、手を止めることなく、最後までドレスを脱ぎ終えた。
テリーはそっとドレスを受け取り、女の子に着せ替えた。
アリアは女の子の服を着た後、そっと膝をつき、少女の冷たい体に手を伸ばした
アリアも手が震えながらも慎重に破れたドレスの裾を整え、最後に胸のリボンを結んだ。
その結び目は、まるでアリアの心の中に繋がれた最後の糸のように感じられた。アリアはそっと手を引いて、少女の静かな顔を見つめた。
「ごめんね…ありがとう…」
アリアは心の中で少女にそっと語りかけながら、立ち上がった。
テリーがそばに立ち、優しくアリアの肩に手を置いた。
「よくやった、アリア」と彼は静かに言った。その言葉に、アリアは少しだけ、救われた気がした。
そして、テリーは部屋にあったろうそくを手に取った。
しかし、アリアは彼の手を止めるように前に出た。
「でも…テリーさん、放火は重罪です。そんなことをしたら、あなたが…あなたが捕まってしまいます。私のために、あなたが罪を犯すなんて…私が、私がやります!」
「アリア、聞いてくれ。俺はもう、すでに罪を犯しているんだ」
彼は少し目を伏せ、声を落とした。
「娘は灰色病だった。あの恐ろしい病にかかって…煙島で焼かれる運命だったんだ。それを避けるために、おれは娘に…毒を盛ったんだ。その時から、俺は心の中で何度もその罪を背負い続けてきた。だから、君を助けるためにこれくらいのことをするのは、俺にとってはむしろ救いでもあるんだ」
「テリーさん……」
テリーは彼女の手を軽く握り、穏やかな微笑みを浮かべた。
「アリア、君が外に出て、自由を手に入れることが、俺にとっての救いなんだ。娘を助けられなかった俺が、今度は君を救うことで、少しでも償いができると思っているんだよ。娘を失った時、俺はもう何もできないと思っていた。でも、君を助けることで、また誰かを救える機会を与えられたんだ」
アリアはその言葉に胸を打たれ、涙が溢れそうになった。
そしてテリーはアリアのベッドや机、そして女の子の遺体に火を放った。
メラメラという音とともに火が広がり始める。ふと父のライルが焼かれた時のことを思い出した。
(煙島…)アリアは心の中で呟いた。
「さぁ、行こう」テリーが彼女に声をかけると、アリアは小さく頷いた。
そしてテリーが鉄格子に鍵をかけ、二人は炎が広がる部屋を後にした。
* * * * *
「今から城の外へ案内するから、外へ出たらお前は暗闇に紛れてチョビのいる病院へ行くんだ。地図はここに書いてある。歩いて20分くらいだろう。できるね?」
「はい」
アリアは紙を受け取ってポケットに入れた。
テリーは息を潜めながら塔を降り始めた。
アリアの耳には自分の鼓動が響き、全身が緊張で震えていた。
暗い城の中を抜けると、何度も足音や声が聞こえてきたが、テリーは冷静に先導し続けた。
突然、アリアの耳元に囁くような声がまた聞こえた。
『あいつはだめだ。あいつは信用してはいけない』
アリアは驚いて立ち止まったが、テリーはすぐに振り返り、彼女の手をとった。
「大丈夫だ、アリア。行こう」
テリーは彼女を先導しながら、兵士の目を避けるため、狭い廊下や隠された通路を通り抜けた。
二人は息を殺しながら、静かに城の裏手に向かって進んだ。
「火事だー!」誰かの叫び声が鋭く響いた。
そのざわめきは次第に大きくなり、緊迫感が漂い始める。
テリーとアリアは素早く塀の影に身を潜めた。
様子を見ると、そこには、混乱する兵士たちが急ぎ足で行き交っている様子が見えた。
慌ただしく走り回る彼らの姿を目で追ううちに、一人の兵士の姿がアリアの目に留まった。
軍宰相のコズモだ。
彼は指揮官としての威厳を持ち、周囲の兵士たちに次々と指示を飛ばしていた。
彼の声が、冷たい夜風に乗ってはっきりとアリアの耳に届いた。
「すぐに状況を確認しろ!水を運べ!怪しいものがいたら捕まえろ!」
コズモは鋭い声で命令を下し、その鋭い目が辺りを見回していた。
「どうしよう…」アリアは焦りの表情を浮かべた。
「結構早く見つかったな…」
テリーは一瞬、考え込んだが、すぐにその目は冷静さを取り戻した。
「アリア、ここからまっすぐ行くと、俺がさっきまでいた運搬用の門に着く。お前、一人で行けるか?」
「え?」アリアは不安げに聞き返した。
「今は時間がない。門が閉じられる前に城を出なければならないんだ。でも、コズモ様のことだ。もうすぐしたら、町に出て城の周りにいる怪しい者を片っ端から捕まえていくだろう。お前を歩かせて行くと捕まる可能性がある。だから俺がスノウを連れてくる。そしてスノウに乗って一気にチョビのところまで行くんだ。だから、…一人で門まで行けるか?」
「…わかりました」
「よし、じゃ運搬用の門で会おう」
テリーの言葉に、アリアは力強くうなずいた。
心臓が高鳴り、呼吸が荒くなるのを感じながらも、彼女は一歩、そしてまた一歩と前へ進んだ。
兵士たちの大きな足音や、甲冑が擦れる音が彼女の耳に響いてくる。
どこかで、誰かが見ているような気配がするたびに振り返ったが、そこには何もない。ただ、緊張感が増すばかりだった。
遠くでかすかな物音が聞こえ、彼女は一瞬立ち止まる。だが、テリーの言葉が頭の中で響いた。
「門までまっすぐだ。」彼女は深呼吸をして、再び歩き始めた。
やがて、門が視界に入る。巨大な鉄製の門が、冷たく無機質な佇まいで彼女を迎える。
だが、そこには数人の兵士たちがいた。
「駄目だ、行けない!」
心の中で叫んだその瞬間、遠くから蹄の音が聞こえてきた。
音は次第に大きくなり、テリーがスノウに乗って現れるのが見えた。
「おーい、火事が広がっているぞー!」テリーは全力で叫んだ。
その声は兵士たちに届いた。突然の知らせに、兵士たちは戸惑い、顔を見合わせた。
「門を閉じたらすぐに行く!」と一人の兵士が答えた。
「バカ野郎!馬小屋に火が燃え移って大変なことになってる!馬の救出に人が足りないんだ!早く行け!」
テリーの怒鳴り声に、兵士たちは一瞬固まったが、一斉に馬小屋へと走り出した。
「アリア、どこだアリア…」
テリーは低く呟きながら、周囲を鋭く見渡した。
「ここです!」と叫びながら、テリーに向かって全力で走り出した。
テリーはアリアの姿を確認すると、スノウのお腹を鋭く蹴った。
スノウは待ちわびていたかのように、力強く蹄を鳴らし、一気に駆け出した。
「アリア!掴まれ!」
テリーは片腕を差し出し、アリアはその手をしっかりと掴んだ。テリーはアリアは素早く引き上げ、彼女をしっかりと受け止めた。
スノウが門へと突進する。そして門を越える瞬間、アリアの心の中で歓声が響いた。
一瞬だけ、ほんの一瞬だけアリアは自由の味をかみしめた。
しかし、まだ危険は去っていない。それでも、この瞬間こそが彼女がずっと待ち望んでいた自由への第一歩だった。
アリアは前を見据え、テリーとともにスノウの背中で夜の闇へと溶け込んでいった。