5 即位式
その日の午後、アリアは塔の上から広場を見つめていた。
華やかな衣装を身にまとった大道芸人たちが次々繰り広げられる技に彼女の目は輝きに満ちていた。
だが突然、鉄格子が開く音が響いた。
「今すぐ城へ来るように」と兵士が冷たく言った。
心臓が一瞬止まるような感覚がした。
「城へですか?」
一体なぜ、城へ呼び出されたのか。
ついに尋問が開始されるのか?
何かわかったことがあるのか?
それとも、処罰されるのか?
アリアは震える足を引きずるようにして塔を降り、兵士に従って城へ向かった。
広場が笑い声と歓声で満ち溢れる中、アリアは恐怖と不安でいっぱいだった。
城の中に入ると、豪華な装飾が施された廊下を進みながらも、心の中の不安は一層大きくなった。
兵士に導かれ、重厚な扉の前に立つと、アリアの心臓は鼓動を早め、手のひらには冷や汗が滲んでいた。
扉が開くと、そこに大宰相のシャルマルがいた。
「…久しぶりですね」と先にシャルマルが声をかけた。
「お…お久しぶりです」アリアは驚いて答えた。
シャルマルは笑みを浮かべながら、アリアをじっと見つめた。
「随分大きくなりましたね。ここへ来てどのくらいになりましたか?」
「一年です」アリアは少しむっとして言った。
「君、歳はいくつでしたかね?」
「15です!」とアリアは答えた。
「新王と同じ年か…」
シャルマルは懐かしそうに微笑みながら、思い出に浸っているようだった。
「あの!…私はいつまでこんな生活を続けなければならないのですか?何も調べてくれないし、ただ私を閉じ込めているだけじゃないですか!」
シャルマルは少し困ったように眉をひそめ、首をかしげた。
「あなたは罪を犯したのですよ。侵入罪と放火、それに殺人罪。閉じ込めるのは当然です」
アリアはその言葉に反発するように声を張り上げた。
「いいえ、違います!あの日、城に連れられ、塔のてっぺんに閉じ込められた瞬間、私はやはり無罪だと確信しました」
「はい?何を言っているのですか?あなた自身が告白したじゃありませんか。森へ侵入したと。それは有罪ですよ」
「…今、『それは』と言いましたね。ではその他は有罪ではない、ということですか?」
アリアは冷静に切り返した。そして以前、侵入罪について話した時、テリーが大笑いして言ったことを思い出した。
「森への侵入に関してですが、私はあの森で鳥やヤマネコたちが侵入しているのを目撃しました。だから、あの森に棲んでいる動物たちも侵入罪です。ただちに捕まえてください!」
「それは…」
シャルマルが何も答えられないでいると、アリアはさらに畳みかけた。
「そして何より、私が本当に有罪ならば、地下牢に入れられるはずです。罪を犯せば誰もがそうなるでしょう?でも、あなたたちは私をあの塔のてっぺんに幽閉しました。それは、私の罪を確信していないからでしょう?私が有罪なら、なぜもっと厳重な処罰を下さないのですか?それが答えですよ、シャルマルさん」
シャルマルの目に一瞬浮かんだ動揺が、アリアの言葉の正しさを証明するかのようであった。
アリアは反撃の手を緩めなかった。
「あなたたちはただ、私の力を恐れているだけなんです。そうではありませんか?」
アリアはそのまま、シャルマルの目を見据えた。
部屋の中に張り詰めた空気が、二人の間に静かな緊張感を漂わせていた。
シャルマルの反応次第で、アリアの運命が変わるかもしれないという、瞬間がそこにあった。
「…いや…君は特別な存在ですからね。…特別な人は、特別な部屋を用意するのが礼儀でしょう。…あなたがこうやって城に来たのも…なんというか、運命の様なものですからね」
「運命…?」とアリアは問いかけた。
「そうです」とシャルマルは真剣な表情で続けた。
「何が言いたいんですか?」
「今日呼び出したのは、君の成長を見るためでも、取り調べるためでもありません」
アリアは目を見開き、緊張しながらもシャルマルを見つめた。
「それでは…何のために?」
シャルマルは一呼吸置いてから答えた。
「先日、王様が亡くなりました。そのことは知っていますか?」
「町の様子で、なんとなく…そうではないかと感じていました」
テリーに聞いたと言ったら、テリーが罰せられるかもしれない。
「そうですか。まぁ、それでご子息のヴィクター王子が本日ご即位されることになりました」
「…それが私に何の関係があるんですか」
「即位式には亡き王様の妹君が嫁いだ、ダラン国の使者たちが参加します。それに際して、君にダラン国の通訳をお願いしたい」
とシャルマルは説明した。
「……私が?」
「先ほどダラン国の通訳者が倒れてしまいましてね。今城の中で、ダラン語が話せるのは君ぐらいです。緊急だから仕方ありません」
アリアは肩の力が抜けていくのがわかった。
「私がおめでたい席に出てもいいんですか?」
シャルマルは、アリアの腕を掴み、優しく引き寄せた。
「式典中は、君の一挙一動を監視しています。少しでも不審な行動があれば、お望み通り地下牢に入れます。いいですね?」
シャルマルの薄い唇が笑っている。
「さぁ、時間がありません!準備を整えて、即位式に向けての任務に臨んでください」
シャルマルの合図によって、部屋に待機していた侍女たちが一斉に動き出した。気がつけば、アリアは、何人もの侍女に取り囲まれていた。
* * * * * *
即位式は華やかに執り行われ、王国中の重要人物たちが集まっていた。
大広間には煌びやかな装飾が施され、壮麗な雰囲気が漂っていた。
その中に国宝の「天照の珠」と「露鏡」が兵士たちに囲まれ輝きを放っていた。
そしてヴィクター王子が即位し、新しい時代の幕開けが祝われるその瞬間に、アリアもいた。
なれないドレスに戸惑いながらも、閉じ込められた塔とはまるで違う雰囲気に、気持ちは高揚していた。
「アリア、ダラン国の通訳をお願いする」とシャルマルは小声でアリアに言った。
アリアは頷き、少し緊張した表情でダラン王国の使者たちの前に立った。
使者たちが次々とヴィクター王子に挨拶し、アリアはその言葉をヴィクター王子に通訳して伝えた。
「新王様、ダラン王国の使者が、これからの平和と繁栄を祈っております、と申しています」
とアリアは流暢に通訳した。
ヴィクター王子は笑顔で返礼の言葉を述べた。
しばらくして新王様がバルコニーへ出ると、
「新王様万歳!新王様万歳!」
人々の声が町中に響き渡った。
未来への期待とともに、イノト国の新たな章が始まろうとしていた。
そして大広間の雰囲気は和やかで、全てが順調に進んでいるように見えた。
しかし、ヴィクター王子の姉であるリディア王女がアリアに目を留め、顔をしかめた。
「お前は何者だ?」
リディア王女は怒りをあらわにして、アリアの前に立ちはだかった。その瞳には、嫉妬と憎しみが渦巻いていた。
アリアは突然のことに驚いて立ち尽くした。
「その服は…亡き王様が…父上が、私に送ってくださった大切な服だ!」
リディア王女の声が大広間に響いた。
「どうしてお前が着ている!」
怒りのままにアリアの手首を掴んだ。その手は冷たく、力強かった。
大広間は一瞬静まり返り、周囲の人々は息を呑んでその光景を見守っていた。
老練な貴族たちは、この予期せぬ出来事に驚きを隠せない様子だった。若き侍女たちは、恐怖と好奇心の目で見ていた。
「脱ぎなさい!」
怒りのままにアリアの袖を掴んだ。
「ビリッ!」
という音がしてアリアの片腕があらわになった。
美しいレースの袖が裂け、白い肌が露になった。
「王女様、落ち着いてください!」シャルマルが急いで駆け寄った。
「でも、この服は!」リディア王女は目に怒りをかべながら言った。その瞳には、もはや理性を見出すことはできなかった。
「この服は、私が彼女に着せたのです」
とシャルマルが静かに言った。
「彼女は、特別な服がなく、王女様がもう着ることができない服の中から拝借いたしました。叱るならば、私をお叱りください」
リディア王女はシャルマルを睨みつけた。
「この者は誰だ!」
「お姉様、落ち着いてください。周りの人が見ています」ヴィクター王が駆けつけて言った。リディア王女は渋々引き下がったが、その瞳にはまだ怒りの炎が燃え続けていた。
大広間の雰囲気は再び和やかさを取り戻したが、アリアの心には深い傷が残った。
彼女は袖が破れた服を気にした。リディア王女の怒りの目線を感じながらも、再び使者たちの通訳に専念した。
しかし、その心は、即位式が始まった時のように、輝いてはいなかった。