3 塔の上の看守
アリアは城に着くと、一棟の塔へ連れていかれた。
重厚な扉を開けると、そこは薄暗い石造りの階段だった。
足音だけが響き渡る静寂の中、アリアは二人の看守に挟まれ、ゆっくりと歩を進めた。
螺旋階段を上るにつれ、心臓が鼓動を早める。外界との隔たりが、一段ずつ深まっていくように感じた。
やがて重々しい鉄格子の扉が見えた。
看守は、大きな鍵を差し込み、扉をゆっくりと開けた。
その瞬間、冷たい風が吹き込み、アリアの頬を撫でた。
まるで、孤独の世界へ足を踏み入れるような気がした。
そこは外界から遮断された、薄暗い空間だった。
小さなテーブルと椅子が置かれ、窓からは、わずかな光が差し込み、埃っぽい部屋に薄明かりを作り出していた。
壁には何も飾られておらず、ただ無機質な石の壁が広がっていた。
アリアは、この部屋で、自分の運命が決定づけられることを悟った。
冷たい床にベッドが置かれ、その上で寝起きする日々がこれから始まる。
看守は、一日一度、食料と水を運んできた。
「必要なものがあれば、紙に書いて渡すように」
言葉少なに、必要なものを渡し、すぐに鉄格子の前に立つ。アリアは、彼らと会話をする機会すら与えられなかった。
最初は、絶望感に打ちひしがれていた。
なぜ、こんな目に遭わなければいけないのか。
自分には何も悪くないのに。そんな思いが、アリアの心を締め付けていた。
しかし、彼女は、少しでも時間を有効に使おうと、窓の外を眺めるようになった。
遠くに広がる海、空を飛ぶ鳥、そして、町の人々の暮らし。
そして何より、煙島の煙が見える。それらを見ているうちに、アリアは少しずつ希望を見出していった。
だが、その希望は時がたつにつれ、不安に変わった。
どうして、尋問が行われない?
いつここから出れる?
どうやって無実を証明できる?
ある日、アリアは、窓際に置かれた水差しに、自分の顔が映っていることに気づいた。
鏡がないこの塔の中で、自分の姿を見るのは初めてだった。
鏡の中の自分は、やつれて、目はうつろだった。
(このままではいけない)アリアは心の中で呟いた。
そして、ある日、看守に紙を渡した。
『外へ出て太陽を浴びたいです。少しの時間でいいので外で深呼吸をしたいです。』
数日後、看守はいつものように食料を持って来たが、その手には一冊の本と紙があった。
紙には、「許可する」と短い言葉が書かれていた。そして、看守はアリアにこう告げた。
「毎朝5時半から30分間、外に出ることができる」
アリアの心の中に、少しの希望が灯った。
そんなある日、窓から外を眺めていると、煙島の煙が見えた。
毎日、お昼前には煙が上がっている。
今でも母さんと、チョビ兄さんは煙島に住んでいるんだろうか。モコは元気だろうか。
そこへ、看守がやってきて、テーブルの上に食事と水を置いた。
「お前、煙島の子らしいな」
話しかけられると思ってもみなかったアリアは、突然のことで声が出なかった。
「おい、何とか言ったらどうだ?」
「えぇ、そうです、が……」
「俺はあの島に行ったことがある。漆黒獣は怖かった」
『漆黒獣』という言葉にアリアは、勇気を振り絞って看守に尋ねた。
「そ、その漆黒獣について、教えてください」
「え?教えてくれって言ったって、その本に書いてあるだろう」
テーブルの上の本にはイノト国の歴史が書かれていた。
「でも、本には書かれていない、あなたの実体験を聞きたいんです」
「あなたって言い方やめてくれ。俺の名前はテリーだ」
「ぜひお願いします。テリーさん」
テリーは、少し考え込み、そしてこう言った。
「しょうがない。話してやるよ」
テリーは、窓の外を向いた。遠い目をして、それは過去の出来事を回想しているようだった。
「今は4つの国しかないが、昔は6つの国があった。それぞれ特別な宝を持っているのは知っているだろう。
俺たちの国が持っている宝は、『天照の珠』っていう太陽の力を宿した宝石だ。この珠を手に入れると、永遠に国が栄えるって言われている。だから俺たちの国、イノト国の宝はいつも狙われている。他の国、例えば煙島の戦いで俺たちが滅ぼしたバンダニ国は、『露鏡』っていう鏡があって、この鏡に映るとどんな傷も治るんだってさ。
そして、全ての宝を集めたやつは、この世界を全部支配できるって噂されている。だから、国同士はいつも他の国の宝を狙っているんだ。まるで子供たちが宝物争いをしているみたいなもんなんだな」
テリーは、苦笑いを浮かべながら続けた。
「ある日、バンダニ国が、恐ろしい怪物『漆黒獣』を使って、俺たちの国に攻めてきたんだ。漆黒獣は、名のごとく黒色で、強い動物をいくつか混ぜ合わせたような怪物だった。ものすごく強くてな、城は壊され、人々は逃げ惑った。
そこでここの王様は、ずる賢い作戦を考えたんだ。国の宝である『天照の珠』をおとりにして、漆黒獣をおびき寄せる作戦だ。王様は、お前の住んでいた島の周りに大きな穴を掘らせて、その中に鋭い槍を立てて隠した。そして、王様自ら宝を持って馬に騎乗し、島に来た。
漆黒獣は、宝を追いかけて島に渡ってきたよ。すると、ドサッーと穴に落ちて、たくさんの槍に刺さって死んでいったんだ。俺たちは、弓矢の先に火をつけて、穴に落ちた漆黒獣を燃やし尽くした。
この戦いに勝って、俺たちはバンダニ国も征服し、『露鏡』も手に入れた。でも、そのあとから奇妙なことが起こったんだ。俺達の国で、恐ろしい病気が広まったんだ。この病気にかかると、人が怪物みたいに変身して、他の人を襲うようになってしまった。そうだよ、これが「灰色病」だよ。
王様は、この病気を治す方法を一生懸命探したけど、結局見つけられなかった。だから、この病気にかかった人たちを、あの島に隔離して、燃やしてしまうことにしたんだ。他の人々のために、やむを得ないことだったんだけどね。
そして、その島に研究所を作って、病気の研究を始めたんだ」
テリーは、アリアの顔をじっと見つめた。
「どうだ?少しは分かったか?」
アリアは、うなずきながら言った。
「テリーさん、漆黒獣って人間じゃないんですか?」
アリアは、ずっと疑問に思っていたことを、ようやく口にした。
「人間?まさか!あんな恐ろしい化け物、人間の訳があるか!」
「そうですか」と、アリアは静かに答えた。
「でも…もしかしたら、バンダニ国の記録なら、漆黒獣がどのように生まれたか、書かれているかもしれないな。しかし、まぁ、そんなものはもう残っていないだろう。地下にいる捕虜たちにでも聞くしかない」
アリアは、勇気を振り絞って尋ねた。
「あの、テリーさん。もしよければ、バンダニ国の歴史の本を借りてきてもらえませんか」
テリーは、アリアの言葉に少し考え込んだ。
「バンダニ国か…それは難しいな。なぜなら、バンダニ国に関する本は、特別な許可が必要になる」
「どうしてですか?」
「バンダニ国は、我々にとって大きな脅威となった国だ。その国を深く勉強することは、何かよからぬことを企てていると思われるからな」
(漆黒獣の誕生は限られた人しかわからないのか…)
「だがお前、バンダニ語がわかるのか?」
「…いいえ…わかりません」
「だったら借りてきても意味がないじゃないか」
確かに、バンダニ語は禁止されており、チョビにも教えてもらっていため、アリアも読めない。
「あの…どうして王様は私にこの本を与えたのでしょうか?」
アリアはイノト国の歴史書を指さした。
テリーは肩をすくめた。
「それは分からないな。俺たちは命令通り運んでいるだけだからな。でも普通、罪人に本なんか与えないんだが…」
そう言ってテリーがアリアをちらっと見た。
「なぁ。お前、父親殺しで捕まったって本当か?」
アリアは驚きと怒りが入り混じった声で叫んだ。
「違います。絶対に違います!」
「え?じゃ何で捕まったんだ?」
「…森への侵入罪です」
「…森?…フフフ…ガハハハッハ!」
彼は腹を抱えて大笑いし始めた。
「森の侵入罪ってなんだよ?だったらそこに住んでいる動物だって、侵入罪になるぞ!」
テリーの笑い声に、アリアの心が少し軽くなり、肩の力が抜けた。
彼の言葉は、今まで抱えていた不安を一瞬だけでも忘れさせてくれた。
「大丈夫だ。それならすぐに出られるはずだ」
テリーは笑顔で言った。
アリアは力強く頷いた。
「はい、そう願っています」
「でもまぁ、本でもなんでも、希望があれば紙に書いて渡してくれ」
テリーはそう言って、ふと窓の外を見た。
明るくなりかけた外の光が彼に何かを思い出させたようだ。
「ところで、そろそろ外に出る時間だが、行くか?」
「はい、お願いします!」
アリアは、テリーに付いて塔の外へと出た。
後日届けられた本は、バンダニ国の本ではなかった。
他の国の言語で書かれた、古い物語の書物だった。
アリアは、落胆したが、すぐに気持ちを切り替えた。
他の国の物語にも、何かバンダニ国の歴史を知る手がかりがあるかもしれない。
そう考え、アリアは、日々、言語を学び続けた。