第三十六話 清算と次のターゲット
「なんだ……これは……」
気絶から目覚めたイグニアは、テント内に広がる惨状を見て、そんな風につぶやいた。そこら中に転がる数多の死体。見覚えのある顔はほとんどなかったが、ブルトンの首を見つけたときに、彼女は彼らがインヴィーファミリーであることを確信した。
――――私は一体何をしていたのだ……。
廊下に積まれたガラクタの陰で目覚めたイグニアは、ここで起きたことを何ひとつとして把握していない。混乱してしまうのも、無理はない話である。
「そうだ、アッシュは……」
イグニアの脳裏に、恐ろしい妄想が過ぎる。ここで何かあったなら、きっと一緒にいたアッシュも巻き込まれているはず。もしかすると、この中にアッシュの亡骸があるかもしれない。そう思って、イグニアはテント内を走り回る。
「……ない」
そう言って、イグニアはホッと胸を撫で下ろした。そのとき、テントの入口のほうから無数の足音が聞こえてきた。
――――まさか、援軍か⁉
マフィアの足音だと思ったイグニアは、そばに落ちていた構成員の剣を手に取る。しかし、テント内に現れたその団体を見て、目を丸くした。
「ち、父上……」
現れたのは、騎士団だった。その先頭には、よく知っている顔があった。屈強な肉体に、端正な顔立ち。髪は炎のように赤く、その色と同じくらい赤い豪奢なマントをつけていた。この男こそ、イグニアの父にして騎士団長を務める、ローディス=シュトロンである。
「イグニア、貴様……」
「そ、その……これは……」
向かってくる父を前に、イグニアはしどろもどろになる。これでもイグニアは、捜査から外された身。事件に首を突っ込んだことがバレると、下手すれば追放処分になる。もちろんそれくらいの覚悟はできていたが、いざ尊敬する父に失望されるかもしれない状況になると、イグニアの胸は強く締め付けられた。
「父上……その……」
「――――よくやった、イグニア」
「……え?」
まったく予想していなかった言葉をかけられ、イグニアは伏せていた視線を上げる。
「匿名で通報があってな。マフィアに捕まっていたところを、赤髪の少女が助けてくれた……と。慌てて駆けつけてみれば、まさかすべて終わっているとはな」
そう言って、ローディスは周囲を見回す。
「こ、これは――――」
「無断で捜査を進めた件については、この一件にて不問とする。明日からは再び騎士団の一員として動け。……話は以上だ」
一方的に話を切り上げると、ローディスは部下に指示を出し始める。そうして彼らは、マフィアの亡骸を外へと運び出し始めた。
「違うのです、父上……私は……」
そんなイグニアの声は、決してローディスには届かない。
――――否定していいのか……?
イグニアの中に、邪な考えが過ぎる。せっかく許されたというのに、わざわざ真実を主張し、父を失望させる意味が、果たしてあるのだろうか。しばらく考え込んだイグニアは、結局口をつぐみ、その場をあとにした。
「ここで一体何があったのか……。アッシュ、貴様なら知っているのか?」
テントを出たイグニアは、拳を握りしめ、暗い夜空を見上げた。
◇◆◇
「くしゅんっ!」
盛大にくしゃみをした俺は、首を傾げながら鼻をこすった。
「アッシュ様、大丈夫?」
「ああ……風邪かな」
「誰かに噂されてるんじゃないの?」
「……否定できねぇな」
脳裏に浮かぶ、イグニアの顔。そろそろ彼女も目を覚ます頃だろう。すべてが終わっていることに気づき、俺を探し回っていてもおかしくない。
「今頃、騎士団の連中も到着した頃だろう。上手くいけば、すべてイグニアの功績になっているはずだ」
やつらのアジトをあとにした俺は、すぐに街中にある騎士団支部へ向かい、〝祝福〟で姿を適当に変えてから、助けを求めた。まさかそこに騎士団長までいるとは思っていなかったが、イグニアに功績を押し付けるなら、ある意味好都合だった。
――――絶対あとで説明を求められるだろうけどな……。
まあ、元々イグニアを同行させる予定はなかったわけだし、イレギュラーに対応した代償だと思って、甘んじて受け入れるしかない。
「イグニアに功績を挙げさせ、騎士団での立場を取り戻させるとは……お優しいですね、アッシュ様は」
「……結局のところ、巻き込んだのは俺だしな」
あの裏庭でダケットを詰めているところを目撃されたのは、完全に迂闊だった。
そのせいで、イグニアはマフィアと関わることになってしまったし、無断捜査を咎められる羽目になった。無論、最終的に今の道を選んだのは、イグニア自身。彼女に非がないとは言えない。しかし、きっかけさえなければ、変な気苦労をせずに済んだのは確かだ。
「俺は俺なりに責任を取っただけだ。……ま、要はただの自己満足だな」
そんな皮肉を言いながら、俺は肩を竦める。
俺は、この先も自分の都合を他者に押し付けて生きていく。世界中の誰よりも我儘な存在――――それが、裏社会の支配者、闇の帝王だからだ。
「さて、次はどこを狙おうか?」
俺は精一杯の邪悪な笑みを浮かべながら、二人に問いかけた。




