夢とクローゼット
幼い頃、20時にはベッドの中に潜り込んでいた。夜更かしをさせない。それが母の方針だ。1人で寝室まで向かい、部屋の灯りを消して寝る。子供だからだろう、真っ暗の中クローゼットの扉が開いていると不気味に感じた。何か出てくるんじゃないか、誰かがこちらを覗いているんじゃないか、と。僕は、クローゼットの扉をしっかりと閉じてからベッドに潜るようになり、それが習慣となっていた。
その日も、クローゼットを閉めて、寝室の灯りを消し、ベッドに潜った。この順番には意味がある。寝室の灯りを消す前にクローゼットを閉めておかなければ、真っ暗闇の中、クローゼットの前に立ち、扉を閉めなければならない。クローゼットにはそれなりの奥行きがあった。電灯のついていない部屋では全てを吸い込むブラックホールのように漆黒の空間を作り出していた。そして、向こう側からこちらを誰かが覗いているようなそんな空間でもあった。
ベッドに潜ってもすぐに眠れるわけではない。なんと言っても20時に床に就いているのだ。見たかったテレビ番組に思いを馳せつつ目を閉じる。頭の中ではその日の出来事が脈絡もなく浮かんでは消える。いったいどのタイミングで人は眠りにつくのだろうか。そんなことを考えていると、
キ、キキッ
扉が開かれるような音がした。クローゼットの方へ顔を向けると、閉めたはずのクローゼットが僅かに開いている気がする。目を凝らす。すると、クローゼットの扉の奥に"何か"がいる気がする。その"何か"がずずっと動く。そして、目が合った。単に目が合ったのではない。その目は僅かに開かれた扉の隙間に対して、縦に並んでいる。頭を真横に傾げてこちらを向いているのだと分かった。
アレはこの世の者ではない。感覚的に分かる。今までその類の者と遭遇したことはないし、霊感は微塵もない。根拠などないはずなのに、こんなにもはっきりと分かる。それだけ異様かつ不気味な圧を発していた。
クローゼットの扉が少しずつ開かれる。今すぐ逃げなければ。分かっているのに体は動かない。このままではこちらに来てしまう。もう少しで顔全体が見える。まずい。
その瞬間、目が覚めた。見えるのはいつもと同じ天井。酷く寝汗をかいている。どうやら夢だったようだ。呼吸を整えて、半身を起こす。
「怖かった…」
自然と口に出していた。あんなにも現実味のある夢は今まで見たことがなかった。恐怖のせいか、夢だと分かってもまだクローゼットに目をやることはできない。数十秒をかけて心を決めると、ちらとクローゼットのほうに視線をうつした。
大丈夫。やはり人なんて居なかったのだ。全ては夢の中の出来事。再び深く布団に潜り込んだ。クローゼットの扉が少し開いていたことから目を背けるように。