7、期待
コホン、という咳払いで我に返った僕は、慌てて目の前の彼から目を逸らした。
僕なんかにじっと見つめられて、いい気持ちのする人はいないだろうから。
ちなみに咳払いで僕を正気に戻してくれたのは、彼の後ろに控えていた侍従らしき男性だ。薄い茶色の髪をきっちりセットしている彼もまた、凛として整った容貌だった。僕は彼を見て、やっぱり美しい人には美しい人が仕えるものなんだなぁと変なことを思った。
きっと彼も自分の主人が僕みたいな醜い人間に見惚れられているのが嫌で、咳払いをして僕を正気に戻そうとしたんだろう。
でもそう分かってはいても、ただでさえ他人と接することに慣れていない僕が、こんな綺麗な人を前に平静でいられるはずもなく。
僕は彼を不快にさせてしまわないか不安に思いながらも、信じられないほど美しいその尊顔に、ちらちらと視線を送ってしまう。
そうしている間彼は何も言わず、優しい顔でじっと僕を見つめていた。
……僕のこんな顔をじっと見るなんて、気分が悪くなったりしないかな。
初対面の人にしっかり目を合わせてもらえて、その上侮蔑の表情を向けられないなんてほとんど初めての経験で、混乱した僕は、彼に「こいつ不細工すぎて一周まわって面白いな」なんて思われているのかもと一瞬考えてしまう。そう思っただけでかすかに涙が滲むけど、優しい瞳を見てすぐにその考えは打ち消した。
と、そのとき彼がふいに口を開いた。
「ごめんね、いきなり屋敷まで送るなんて言われても迷惑だったよね。俺はクリフォード・フォン・アークライト。怪しい者じゃないから安心してほしい」
「——……あっ、アークライト公爵家の……っ?!」
まさか、あのアークライト公爵令息?
確かに考えてみれば金髪緑目という特徴は一致してるし、こんなに美しい人なのだから、彼こそがかの貴公子だと言われれば納得するしかないけど……っ。
だけど確かアークライト公爵令息といえば、筆頭公爵家の嫡男である上に王太子殿下の従兄弟で母君も隣国王家の出身で、という超ロイヤルな血筋の方で、そんな高貴な方が僕なんかにこんなに親切なはずは……!
けれどそんな風に混乱を極める僕に、アークライト卿はさらにたたみかけてきて。
「君みたいな綺麗な子が一人きりでいるのが心配なんだ。先程のような低俗な輩に、また絡まれるかもしれないしね」
……綺麗? え、まさか僕に言ってるの?
醜いといわれる要素だけをかき集めたようなこの僕に?
まさか彼が本気でそんなことを言うわけない、となんとか自分に言い聞かせようとするけど、どこか甘さを含んでいるようにさえ見える彼の表情に、つい期待してしまう。
この人は、他の人と違うのかもしれないと。
そう思い至ると、さっきから早鐘を打ちっぱなしになっている心臓がさらにうるさくなってきて、僕はそれを誤魔化すように口を開いた。
「あ、えっと、僕はセシル・エルマーと申します。その、僕も丁度帰るところなので、お気遣いは大変ありがたいのですが、アークライト卿にご迷惑をおかけするわけには……」
考えてみれば僕はまだ名乗ってもいなかったのだった。
身分が上の相手から話しかけられたのに名乗りもしないなんて、普通の上級貴族相手であれば無礼だと咎められ罵られても文句は言えない態度である。
でも彼はそんな僕の失態を全く気にしていない様子だった。
それどころか、見ているこちらがうっとりしてしまうような笑みを浮かべ、こう言った。
「迷惑なんかじゃないよ、セシル殿。ぜひ俺に君を送らせてほしい」
「……!」
悲鳴を上げなかった僕を誰か褒めてほしい。
こんなとんでもない美形な人に、柔らかく微笑まれながら「送らせて?」なんて言われて、断れる人なんかいるわけがない。
もちろん僕もその例にもれることなく、彼の美貌と言葉に一瞬でノックアウトされた。こんなお願いをされて無碍にできる人がいるなら、その人はきっと目が腐っているに違いない。
そんなことを考えつつ、僕は少し遠慮がちに了承の言葉を返す。
「あ、アークライト卿のご迷惑でないのなら、お願いしてもよろしいでしょうか……?」
僕のその言葉に、彼は嬉しそうに笑って。
「ああ、もちろん」
その温かい表情が、柔らかい声音と優しく細められた瞳が、まるで僕を受け入れてくれているようで、思わず顔がほころんだ。
こんなに綺麗な人と目を合わせて話ができるなんて、つい数刻前までは想像もできなかったことだ。
彼がどんな考えがあって僕を送るなんて申し出てくれたのかはよく分からないけど、こんな機会はきっとこれが最初で最後だろう。
そう思うと寂しいけど、彼のような貴人と話ができただけで奇跡みたいなことだ。それがなんだか嬉しくて楽しくて、僕はいつの間にか笑みをこぼしてしまっていた。
そんな幸せに浸っていた僕は、そんな僕を見た彼が、一瞬ぴしりと固まっていたことには気づかなかった。