魔王誕生。
衝動的にすごく趣味に走りました。
庭の薔薇が気に入ったので、いつまでも綺麗に咲いていて欲しくて水を遣った。庭師が手入れしているのに私が水を遣り過ぎたせいで、薔薇は早々にダメになった。
誕生日に小鳥を強請った。数日後美しい黄色い小鳥がやってきた。かわいくてかわいくて餌をやろうとしたけれど、小鳥は食べない。餌を向けても全く口を開けない。人に懐かない小鳥は段々弱り、最期は自然に返すことにした。
姉が風邪をひいた。早く元気になってほしくてお見舞いに花を摘んで持って行った。花についていた虫にびっくりした侍女が持っていた水桶をひっくり返し、姉にかかった。姉の風邪は長引いた。
幼い頃の小さな失敗たち。
それだけだったらどれほど良かっただろう。気に入ったもの、好きなもの、好きな人。その為に何かをするといつも空回って逆効果になってしまう。
花が綺麗でも水を遣ってはいけない。どんなにかわいくても動物を欲しがってはいけない。花を持ってお見舞いに行ってはいけない。こう考えて次は同じことはしないようにしようと決めるけれど、やっぱりうまくいかなかった。花を眺めて散歩していたら、一緒にいた弟が、たまたま触った草が肌に合わなかったようでかぶれて寝込んでしまった。父の馬を眺めに行ったら、手入れされていた馬が突然興奮し、暴れて釘を踏んで怪我をしてしまった。手入れをしていた父は足に怪我を負い、馬は貴族に怪我をさせたと処分された。母の見舞いに流行りのお菓子を持って行ったら、母は吐き気を催し追い出された。母の体調不良は妊娠で、お菓子の匂いがダメだったそうだ。数ヶ月、母は少しでも動こうと私と姉を連れて散歩に出た。庭へ続く扉の段差で躓いて転び、流産してしまった。
これって私のせいなのかなぁ。そう思うことは少なくない。今思えば私が不幸を呼び寄せたから、という理不尽な理由も受け入れられるが、幼い時はそれが理解できず、何度も大好きな家族に迷惑をかけてしまった。おかげで徐々に家族や執事たちにも遠巻きにされてしまい、今では仲の良い両親と姉と弟と、それを見る私。そういう構図になってしまった。嫌われているわけではない。ただ近付かないように、関わらないようにされているだけだ。腫れ物に触るかのような扱いであることは間違いないが、衣食住に困らないように世話をしてもらっている。何も文句を言うことは無い。
私の生活リズムは決まっている。まず起きて、日替わりで担当してくれている侍女に身支度をしてもらう。寝室から私専用の食事部屋に行き、用意されている朝食をとる。その後は図書室で本を読み、また食事部屋で昼食。テラスでぼんやりとするか読書で時間を潰し、夕食。湯浴みを手伝ってもらい就寝。時間のずれはほとんどなく、規則正しい生活を送っている。
そんな私は、本来ならもう社交界デビューしていておかしくない年齢だ。姉は定期的にパーティーやお茶会に出かけている。羨ましくないとは言えないけれど、それ以上に「私が行ったらどれだけの人に不幸を呼ぶろう」と考えると怖かった。それでも私がずっと生家にいることは難しい。いずれは弟が後を継ぐだろうから、私は邪魔になるだろうはずだ。けれど私は何も出来ない。何かをする度に不幸を呼んだ私に出来ることは、精々大人しくしていることぐらいだ。
両親も私を「どうにかしなくては」と思っていたようで、ある日父の遣いでやってきた執事から一通の手紙を受けとった。歩行に難のある父は、私に用事がある時はいつも手紙だ。私を部屋に呼び出せばいいだけなのに、近付きたくないからそうするのだ。温度がないはずの封筒が、いつもより冷たく感じる。
手紙には異国の貴族との結婚が決まったと書かれていた。結婚後私はそっちの国に住むことになるそうだ。顔合わせは式当日に行われ、それまでに整理をしておくようにとのことだった。結婚相手の情報は「異国の貴族」と「名前」以外何もなかった。国の名前はおろか年齢や性格など一切分からない。いくら私が不幸を呼び込む体質だからと言って、不安にならないわけではない。それでも家を放り出されてしまう方がよっぽど困る。そうなってしまったら、もう野垂死ぬしか道はないのだから。
時はすぐに流れ、あっという間に私が旅立つ日が来てしまった。最低限の衣服は事前に送ったため、私の鞄の中には宝物だけを入れてきた。昨日の夜もずっとこれらを眺めるためだった。
何も言わない侍女を後ろに、私は玄関へと歩き出す。久しぶりに見た母屋は記憶の中とはあまり変わっていない。階段上から、最初で最後であろう風景を目に焼き付ける。家族が階段下で私を待ち、従者たちはカーペットの脇に並んでいる。目に力を込め、階段を一段一段踏みしめて降りる。あと5段。あと4段。あと3段。あと2段。
「あっ」
負けないようにとぐっと目を瞑ったのが良くなかった。足元がふらつき、あと1段のところで転んでしまった。その拍子に鞄の蓋が外れ、床に宝物が散らばってしまう。幼い頃、父に貰った子供用のブレスレット。買ってもらってすぐ壊してしまったので、必死で蝋で固めた跡がある。幼い頃、母と読んだ絵本。汚いけれどだけどまだ読める。幼い頃、姉に貰った花の栞。今でも読書で使っている。幼い頃、弟に貰った家族の似顔絵。ずっと枕元に飾っていた。
投げ出されたそれらを見て、もうこれらは捨てろと言われた気がした。全て幼い頃の思い出だ。これにいつまでも縋って情けない。だからいつまでも成長しないのでは。じわじわと浮かんでくる涙を指で拭う。早く立って、馬車に乗らなくては。
急いで立つと、突如背中に衝撃が走った。苦しい。
「ミセリアっ……」
記憶より低くなった私の名前を呼ぶ声に何事だと首だけで振り向くと、母が私を後ろから抱きしめていた。母は私の首元に顔を埋め、肩を震わせている。父が俯いてこちらに近付いてくる。確か前は杖をついて歩いていたが、それは必要なくなったらしい。
「ミセリア!」
「姉さま……」
姉と弟が、私の鞄とその中身をもって駆け寄ってくる。二人とも涙を流している。こんなにも家族を近くで見たのは何年ぶりだろう。どこを見ても記憶から歳を重ねた顔しかなく、遠くから見たのもいつぶりだったか思い出せない。
姉と弟、おそらく母も泣いている。いくら会わなかったとはいえ家族。私は求められる行動をしなくてはしなくてはならない。
「申し訳ありません」
私の言葉に皆が顔を上げた。
「未練は全て捨てていきます。それらはもう、処分してください」
自分との思い出に関わるものを私に持って行かれては、それを通して不幸がやってくる。そう考えたに違いない。理不尽ではあるが、そう考えるのも無理はない。今までだってそうだった。不運なことが起こると、思いもよらないところから私が関わっていた。それから身を守るためにも、私と家族が関係するのは「血」だけにしなければいけないのかもしれない。
父は大きく目を見開き、力が抜けたように膝をついた。慌てて執事が駆け寄る。見送りの為に杖を置いてきたのだろうか。突然傷が痛んで立てなくなった父を、執事が支える。一方母と姉は顔を覆って俯いている。私に見抜かれてしまった罪悪感だろう。弟は、呆然とこちらを見ている。3人の様子が急変したことに対する驚きか。
私は一言挨拶をすると、急いで馬車に乗り込んだ。手には何もない。急がないと遅れてしまう。そのせいで相手側で何か起こってしまったら大変だ。
馬車に揺られて数日後、痛むお尻を我慢して、ようやくその国に入る為の国境の町に辿り着いた。またここで少し休んで出発だ。あと少し痛みを我慢すれば着くはず。だと言うのに、馬車は一向に宿屋に着かない。それどころか止まっている。もしかしてまた馬車が壊れた? 御者が腹を下した? どちらもこの数日間に起こった出来事だ。賊に出会わなかったことが奇跡と言える。
様子を窺おうとした瞬間馬車の扉が開かれ、端正な顔立ちの男性が、華やかな服装で現れた。誰だろうと見つめると、「迎えに来ましたよ」と手を差し出される。ああ、お出迎えの方か。手を取って馬車の外へ出ると、先ほどまで普通の国境の町だったはずなのに、いつの間にか随分な人だかりが出来ている。途端に、自分の体質のことが怖くなる。こんな大勢の前に出てきてしまった。危険だから早くこの場から離れなくては。
グイっと手を引かれ、抵抗する間もなく地から足が離れる。
「ひっ」
「俺はエトランジュ・ゼルトザーム。よろしく、ミセリア」
エトランジュ・ゼルトザーム。それは私が結婚する人の名前だ。改めてその人を見上げてみる。にこにこと大きく笑う男性はまるで太陽のようだった。
エトランジュに横抱きされた私は豪華でお尻への負担が少ない馬車に移され、国境の町を祝いの声とともに抜けた。そのまま馬車はスイスイ進み、山の中の大きな大きな館まで難なく着いた。
そのまま私は館の中の化粧室へと案内され、あっという間に着替え、化粧を施され、気が付くと屋外にある教会のようなところに立っていた。
「エトランジュ・ゼルトザーム、あなたはミセリア・ティミッドを妻とし、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、妻を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」
「はい、誓います」
神父から私にも同じ文言の言葉が渡され、反射で誓うと答えた。勢いが良すぎてあまりにスムーズに進んでいく間思考が追い付かず、脳が動かないままブーケトスという時間になった。エトランジュに肩を抱かれ、「さあブーケを投げるんだ」と促される。指さす方向には十人もいないであろう女性陣。慌ててブーケをそちらに投げたが、投げることに不慣れな私の腕では、ブーケは数メートル先の地面に力なく落とすことしかできなかった。「あ」と口を開けた時、やや不安定だった空模様が牙をむき、サラサラと雨が降り始める。真っ白なウェディングドレスに雨が染み込み、重みが増してくる。女性陣から悲鳴が上がった。
「あっ、ごめんなさい……」
綺麗に飾っていた女性たちが雨に降られ、ドレスが台無しになる。何も起こらないはずはないと思っていたので、これくらいならまだ軽い。怪我や命に関わることは無さそうだ。不謹慎だが、良かったと言える。
「ぅわっ」
またしてもエトランジュに抱えられ、建物の中に避難した。外にテーブルや花飾りが用意されていたが、あれはもう駄目だろう。強くなってきた雨に申し訳なさを覚えながら、されるがままになる。
エトランジュは雨に濡れた女性たちに私を風呂に連れていくよう言い、それから自分たちも風邪をひかないよう注意するよう呼びかけた。
近くの椅子にそっと降ろされる。エトランジュは私の頭をそっと撫でるとゆっくり温まって欲しいと言い残し、一人の男性と共にその場を後にした。
その日はお風呂で綺麗にしてもらい、広い部屋に通され、柔らかい寝間着と布団に包まれて横になった。その辺りでようやくお尻が痛かったことを思い出す。驚きに気をとられ、すっかり忘れていた。それに疲労も感じていた。突然瞼が重くなり始める。あんなに大勢の人に化粧や着替え、お風呂までお世話になったのに、不幸は雨くらいだった。でもまだ油断はできない。国境の町で大規模な食中毒が起こっていたらどうしよう。確認した方がいいんだろうか。そんなことを考えられなくなるほど、すぐに眠ってしまった。
眼を開けると、すぐそこに春のような黄緑色の瞳があった。
「おはようミセリア」
「おはよう、ございます……」
エトランジュはにっこり笑ってこちらを見ている。
「昨日は初夜だったのに、ミセリアはぐっすりだったね」
「はい。おかげで体が軽くなりました」
「うーん、なるほど」
じゃあ支度をして朝食にしようか、と彼は笑った。
昨日は余裕がなく気付かなかったが、山の中のこの屋敷はずいぶん綺麗だった。それに結婚式に出てドレスが濡れてしまっていた女性たちが、私の身支度をしてくれている。侍女だったのか。体調は崩していないかと聞いてみたが、彼女たちもにっこり笑って「問題ありません」と返事をした。やっぱりここは雨だけだった。国境の町の様子も尋ねてみたが、「奥様のお輿入れで、普段より盛り上がっておりますよ」と笑うのみ。
案内された先は大きな食堂だった。座るのはエトランジュと私だけだが、給仕のために何人かの使用人が控えている。何か起こらないかと警戒しながらの食事しているとエトランジュから「そんなに緊張しなくて大丈夫」だと笑われた。
「俺を含め、みんな君を歓迎しているんだ」
だから安心して食べていいよ、とエトランジュはムニエルを一口食べる。私は皆を心配しているのであって、自分の心配はしていない……いや、それは嘘だ。本当は自分の心配ばかりしている。何か不幸を呼んでしまったら、この人たちからも遠ざけられてしまう。私のこの体質を知ったら、きっと嫌がる。そうなった時の為に、優しくしないで欲しい。笑いかけないで欲しい。味をしめてしまったら、また独りになった時にこれ以上ない恐怖を感じてしまう。
「大丈夫」
スプーンを握りしめていた手にエトランジュの手が重ねられる。イモのポタージュスープから彼の顔へと視線を向けると、やはり彼は笑っている。
「誰もミセリアを嫌ったりしないよ」
右手が熱かった。
奥様のお部屋ですと連れられたのは、昨夜眠った部屋の隣の部屋。以前の私の部屋と専用の食事部屋を合わせても足りないくらい広い部屋だ。それに家具や調度品も上等な物しかない。置いてあるベッドは昨日のベッドよりは小さいが上品で素敵だった。
「旦那様とお会いする際はあちらの部屋へ」
出入口以外にあったもう一つの扉の向こうは昨日眠った部屋だった。室内には大きな天蓋付きベッドが一つと、小さめのテーブルにチェア二つ。部屋には扉が二つあり、片方は私の部屋、もう片方はエトランジュの部屋に繋がっているようだ。
館の案内は楽しかった。他にも図書室や大きな庭園と中庭、ダンスホール、楽器が保管してある部屋、空き部屋、家畜の住む小屋等々。生まれて初めて触る馬は想像より遥かに逞しかったし、鶏は想像の何倍も煩かった。羊は少し怖かった。
館の中を全て見終わったが、特に何もトラブルは起こらなかった。訪れた不幸は結婚式の雨だけで、あれ以降は何故か何も起こらない。国境の町も平和そのものらしい。それが逆に不安になる。大きな不幸がドカンとくるんじゃないかと落ち着かない。むしろ平和な今の内に私の体質のことを話してしまった方が、傷は浅くて済むのではないか。私がここに来てまだ2日目。大きな被害が出る前に、エトランジュに話しておけば、何かあった時に迅速に対応してもらえるかもしれない。けれど、そんな人間はいらないと捨てられてしまったらどうしよう。遠巻きにされるならまだいい。でもこの山に捨てられてしまったら――……。
「奥様! お顔が真っ青です!」
昨日からよく面倒を見てくれる侍女が叫ぶ。彼女は慌てて私の体を支え、部屋の準備と医師を呼ぶよう手配する。お昼過ぎの温かな温室で私は震えた。どうしたらいいのか分からない。父を命の危機に晒したことがある、母のお腹に宿った命を奪ったことがある。だというのに、私は死にたくない。自分勝手だと分かっているが、「死」だけは受け入れられない。遠い場所で何も見ないようにしているから、命だけは……。
「ミセリア」
ここ数日でやけに呼ばれるようになった私の名前。こんなに穏やかに呼んでくれるのは彼しかいない。
眼を開けると、エトランジュの顔があった。驚いて体を起こすと、先ほど案内された私の部屋で、温室から移動していた。エトランジュの隣には白髪の男性が座っている。優しそうな表情に刻まれた皺が動き、「精神的な疲労です」と告げた。
エトランジュは侍女が運んできた水を受け取り、皆に席を外すよう指示をした。二人きりになってしまった。水を貰ってカラカラの喉を何とかしようとしたが、あまり意味がなかったように思える。満足に潤わなかった喉を無意識にごくりと鳴らし、エトランジュの視線に応えた。
「ミセリアは、今俺が考えてることが分かる?」
「……いいえ」
「うん。俺も、今ミセリアの考えていることが分からないんだ」
俺たちは結婚したけど、まだ会ってたったの2日だ。信用できないと思うけど、思ったことはできるだけ話して欲しい。もちろん、俺も素直に話すよ。
昨日と同じ太陽のような笑顔でそう言ったエトランジュは、私にとって未知の存在だ。でも、このまま抱えていくのは心苦しく、今回のようにまた精神的な負担で倒れるかもしれない。それなら素直に話して、死なないようにだけ扱って欲しいと頼んでみてもいいんじゃないか。そう思った私は、自分のことを全て話した。自分の持つ一番奥の記憶から今日に至るまでに、私が呼んだ不幸の話。
水差しの水がなくなってしまうほど長い話をした。エトランジュは悲しそうな顔になった。こんな人間が家に来てしまってごめんなさい。
「ごめんね、ミセリア」
大きな手が私の額を撫でた。エトランジュは何も悪いことをしていないのに、どうして謝るんだろう。
「ごめんね。俺は君が『不幸を呼ぶ存在』だと言われていることを知っていたんだ。そのことを先に言っておけば良かった」
その言葉に大きく心臓が跳ねた。どうして知っているんだろう。父が嫁がせたがった娘の悪い話を、相手にするとは思えない。それとも異国に届くほどに噂が広がっていった? だとしても、何故結婚することにしたのか。
「ミセリアは今までの不幸が全て自分のせいだと言っているけれど、正確には違うんだ」
「違う?」
「ミセリア自身ではなく、ティミッドの血のせいなんだ」
もうずっとずっと昔の話。ティミッド家のある当主は、断絶から逃れるため悪魔と契約を交わした。悪魔は助ける代わりに条件を出した。「次に生まれる娘を差し出せ」と。ティミッド家にはすでに娘が1人いたけれど、悪魔の御眼鏡にかなわなかった。当主の妻は妊娠していたけれど、まだ発覚して間もない。娘が生まれるとは限らないし、そうだったとしても息子でないなら差し出せばいい。そう考えた当主はそれを了承し、血の契約を交わした。悪魔が望んだ通り、生まれたのは娘だった。当主はこれを差し出すだけなら安いものだと思いつつ、念のためこの娘が悪魔の機嫌を損ねないよう見た目も中身も完璧になるように育てた。その甲斐あって娘は慎ましくできた女性に成長した。その陰で母や姉に疎まれていることを、当主は気付いていなかった。悪魔は約束通り娘を貰いに現れた。手には太く頑丈な鎖を持っている。何も知らなかった娘は抵抗したが意味をなさず、鎖に繋がれて悪魔のものになった。悪魔は人目のつかない山奥にこもり、残虐に、執拗に、娘を弄んだ。不仕合わせにも娘は悪魔との子を授かる。彼女は心の底から元凶である父親と、何も知らずに自分を疎む母親と姉を呪った。悪魔ではなく、自分を贄にした家族を呪った。そうして自分を不幸にした人間たちに不幸が舞い込み続けるよう呪い続けて一生を終えた。
「時が経って血と共に呪いも薄れていったけれど、まだ完全に無くなってはいないんだろうね。まあミセリアは多少他の家族よりは血が濃く出ているみたいだけど、極端なほど大きな差はないさ」
ただ、母親以外はティミッドの血を持っている。それが4人同じ場所に集まっていたから余計に不幸を呼び、自分への不幸が周囲の不幸に繋がった。
エトランジュはそう話し、また笑った。
「だからミセリアのせいじゃないんだ。それに家を離れたんだから、不幸を呼ぶ呪いは弱まってるのさ」
「私のせいじゃないの……?」
「呪いはミセリア自身のせいではないし、相乗効果だからミセリアだけが引き起こしたわけじゃない」
「私もう、皆を不幸にしない?」
「うん。ミセリアは『皆より少しだけ運が悪い人』になったんだ。もう周りは巻き込まないよ」
「……!!」
思わず涙がこぼれた。今まで我慢していた分の涙だ。
まだ家に残っているミセリアの家族には、3人分の呪いはあるけどね。その言葉がエトランジュの中に仕舞われたことは、今の私には気付けなかった。
泣き終わって頭痛がしてきた私は、またエトランジュに運ばれて軽めの夕食をとった。エトランジュの夕食は普通の量だったので、わざわざ作ってくれたらしい。それどころか倒れたことや泣いた顔を心配してくれる。こんなに優しい人たちを不幸にしなくて、本当に良かった。
美味しい食事を終え、お風呂で綺麗にされた私は自室のベッドで今日の話を思い返していた。ここにいれば皆を不幸にしなくていい。それがどれだけ私の心を救っただろう。多少私の運は悪いみたいだけれど、そんなこと気にもならない。自分のせいで皆が嘆き悲しむことに何もできないことに比べれば何でもない。どうしよう、明日はもう一度家畜小屋に行こうかな。馬にまた触りたいし、一度でいいから乗ってみたい。倒れたせいで経験できなかったアフタヌーンティーというのも気になる。明日は何をしようか考えるだけで、こんなにも楽しいだなんて思ってもみなかった。
「楽しそうだね」
大きなベッドの部屋に続く扉から、エトランジュが顔を出した。食事がおいしいことも、明日が楽しみなことも、もうどれだけ前か思い出せないほどだったので、それが嬉しい。
言われたように素直な気持ちを言ってみる。エトランジュも嬉しそうな表情になった。
「ところで、どうして今日はこっちの部屋で眠るんだい? 夫婦なんだから、こちらで一緒に眠ればいいじゃないか」
こちら、と大きなベッドの部屋を指す。昨日は案内されて何も考えずにそっちの部屋に行ったが、今日はこの部屋で侍女が戻ったためこちらで眠ろうとしたのだが、あっちで眠るの正解なんだろうか。自分の部屋にもベッドはあるのに。
「それは当然、ミセリアに子を産んで欲しいからさ」
……そうだった。私とエトランジュは夫婦だ。私は彼の為にも早く後継ぎを産まなくてはいけない。それが私の役目だ。
「ああ、急いでなんかいないよ。でもミセリアとの子が欲しいと思ってね」
真っ暗で何も見えない。エトランジュの体温だけが伝わってくる。少し苦しいが、体の怠さと私の髪を撫で続ける手や触れる肌が心地良く、動く気にはならない。
「ミセリア」
気怠さで夢との境を行き来する私に、エトランジュは子守唄のような優しい声で言った。
「実は俺と君は遠い遠い親戚なんだ。だからこのことを知っているんだよ」
「この地で悪魔の血と災厄を呼ぶ呪われた血が混じったら、どんな子が産まれるだろうね」
「俺としては、世界を支配するような強い子が産まれてくれたらと思うよ」
「無事に産まれてほしいなぁ」