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ヴァンダリズム・シンフォニア!  作者: キタノタクト
第一楽章 輝けるセイザの下に――邂逅のソナタ
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7 縣征四郎①

 警察というのは全く嫌な仕事だ。と思う。この仕事に就いてから、早三十余年良い事は何一つ無かった。何一つだ、そう何一つ。

 国を、社会を良くするんだと意気込んだあの頃の思い出などもうすっかり笑い話だ。そう言って威張った俺を笑った母が死んでも、褒めてくれた兄が死んでも、それでも国は何一つ良くなりはしなかった。全ては悪くなる一方だ。

「昔は良かったなあ……」

 大きな溜息を零して、(あがた)征四郎(せいしろう)は煙草を押し消した。

「またそれですか」

 隣で笑うのは岡部。黒縁眼鏡の若い男だ。つかさのみや成立後――つまり警察の無人化省力化が進み、採用人数が大きく絞られてから採用された男だから、勉強は出来るのだろうが、警察官としての資質は疑わしかった。風貌も中身もまるで役所の係員みたいだ。まあ、こんな御時世だ。警察も一役所に過ぎず、それはそれで結構な事なのかもしれないが……。

 薄っぺらい顔貌にちょっと呆れながら縣は言った。「だってよ、こいつだってどこだって吸えたしよ。値段だって安かったしよ」。

 殺風景な喫煙所を睨みながら言う縣に岡部は笑う。「仕方ないですよ。吸わない人の方がずっと多数派なんですから。もう昭和じゃないんですよ」。

「はいはい分かってますよ」

 もう一本と思って、取り出し掛けた煙草を縣は溜息交じりで戻した。高えんだ。やめとこう。いや、また来月から上がるんだったな。上がる前に吸い溜めとくか? いや、違えだろ。煙草ってのはもっとこう自由で解放されてなきゃならねえんだ。息苦しい社会の中でただ自分で息をしてるって実感出来るのがこの一服じゃねえか……。

 縣の葛藤を余所にして岡部が何とも気楽に聞いてきた。「今日の移送者って結局誰なんすかね?」。理想的な組織人である彼の唯一にして最大の欠点がこの好奇心だ。彼は何でもこうやって気楽に訊いてしまえる。美点と言えば美点だが、警察組織――それも年々秘密ばかり増えていくようになった昨今――の人間としては致命的だった。年の割には随分とあどけない顔を睨んで、縣は溜息。

「……未成年のヴァンダリストだろ」

 縣は短く吐き捨てた。まず、今日の移送責任者は警察庁警備部異能犯罪対策課の理事官様だ。この時点でヴァンダリズム絡みなのは間違いない。そして、移送者の身元が明かされないのは当然少年法で守られる立場だから。つまり、俺達が今から運ぶのは未成年のヴァンダリスト。ヴァンダリズムに傾倒する余り、何か犯罪をやらかした非異能者の未成年だ。

 体制的な見方をすれば、テロリストに感化された少年犯罪者。リベラルな見方をすれば、国家により不当に弾圧される若き思想犯という事になるのだろうか。

 成人年齢の18歳引下げに先立つ選挙権の引き下げ、そしてここつかさのみやで実験的に始まった地方選挙権の15歳引き下げ。それらに伴う若者の政治参加促進運動が若者の政治熱に一気に火を付けてから、もう10年になろうか。かつて叫ばれた無関心や政治不信はどこへやら。今やこの国で最も政治に熱心なのが10代の若者達だ。彼らはそれぞれ主義主張党派思想に別れて、教室で、街頭で、そしてネットで論陣を張る。過激化の一途を辿った政治熱に対し、大人達は古い校則を盾にして政治活動を制限する事で沈静化を図ったけれど、結果としてそれは火に油を注いだだけであった。授業のボイコットに始まり、学校の占拠にまで発展した若者達の怒りはかつての学生運動の様相を呈し始め、結果として100万の若者達が市議会を取り囲むまでに至った。かつての学生運動と決定的に違ったのは、若者達に勝利の栄冠がもたらされた事である。時の市長田辺(たなべ)兵衛(ひょうえ)――後に“最後”の官選市長と渾名される事になる――は連日の抗議運動に耐えかね、市長を辞任し出直し市長選を決断。学生の政治運動に関する各種規制の是非を問う総選挙の幕が開いた。中央の後援を受ける内務省出身の80歳現職田辺兵衛に挑むは、若者達の絶大な支持を受ける無所属新人桜木(さくらぎ)玲王(れお)28歳。国民的イケメンとして知られ、ハリウッド出演も果たした有名俳優だった。学生選挙として全国的に注目されたその結果は蓋を開けてみれば桜木玲王の圧勝。若者達は政治で何かを為し得たという達成感を手にし、そして学校は晴れて若者達の議場と認められた。

 若者達は自由を手に入れたと昂揚した。「これこそが自由。これこそが民主主義」と大書された旗が街頭を舞った。

 道端で肩の当たった相手の腕に巻かれた徽章が自分と違うのを理由に殴り合ったり、社会の授業のディベートで流血沙汰になったりするのが自由な民主主義の結果だと言うのなら、それはそれで結構な話だが、学舎での政治論議を封殺しようとした大人達に「#誰も君を黙らせられない」を合い言葉にして抵抗した彼らが、自らと異なる思想言論を暴力(ヴァンダリズム)によって黙らせんとする構図は大人からすれば滑稽極まりなかった。

 事の経緯、その是非はとりあえず措くとして、とにかく少年犯罪は激増した。学校で、街角で、ネットで、少年達は軽々しく犯罪に手を染めるようになった。今日の移送者もどうせそんな奴だろう。若い激情に任せて、一生を棒に振る。馬鹿な奴だと笑うのは容易だ。しかし、それを煽っているのは他でもない大人達の方で、彼らに暴力を振るわせるのは他でもないこの社会の方だ。彼らは皆借り物の言葉で喋っている。ヴァンダリズムに始まる数多の思想は皆大人の側からもたらされた物で、彼らを政治に目覚めさせんとしたのもまた大人だ。そう考えれば、彼らは大人達の被害者に他ならない。警察が相手にするのは往々にしてそういう奴らだ。彼らは加害者である前に、何よりも被害者だ。

 全く、嫌な仕事だ。やはりヤニでも無ければやっていられない。もう一本吸ってしまおうか。どうしようか。

 シュッと懐かしい音がして、顔を上げれば、涼しい顔で二本目を付ける男がいた。マッチの先で燃える煙草は妙に細長い。っけ、女みたいな煙草吸いやがって……。縣は自分も思わずもう一本取り出した。これだよこれ。煙草ってのは太くってそして両切りじゃなきゃ……。フィルターなんてのはみみっちいよ。

 だが、マッチってのは良い趣味だ。ライターは臭くていけねえ。オイルでもガスでも燃料独特の嫌な臭いが鼻につく。縣はちょっと見せ付けるように片手でマッチを擦って見せた。男がじろっとこちらを見る。縣は思わず声を掛けた。

「よう、兄ちゃん。若いのに良い趣味してんな」

「……ライターは火が強いですから」

 縣はちょっと驚いた。男の声が酷く掠れていたからではない。ライターは火が強いというのを彼が全くの初耳だったからである。「そうなのか?」とばかりに岡部を見遣れば、「知らないんすか」と笑う。

「マッチの方が温度が低いんです。だから、煙草が美味くなるらしいですよ。そんな事も知らないのにマッチに拘ってたんですか?」

「うるせえな! 笑うな!」

 まるで知らなかった。何せライターなんて触った事も無いのだから。男も笑っていた。妖怪みたいな不気味な笑みで。元も醜男だが、目元の隈と顔色の悪さで更に妖怪だ。じろっと睨むと、笑みが消える。気まずそうに咳払いして、男は訊いてきた。

「……失礼ですが、強行犯2係の縣警部補ですか?」

「それがどうしたんだい」。昔の所属で呼ぶ男に縣はちょっと斜を向いてぶっきらぼうに言った。彼はこういう言い方しか出来ない。続く言葉を思うとどうしても素直にはなれない。

「御高名はよく存じております。何でも伝説の刑事だとか」。ほら、来た。

「っけ、昔の話だよ。今の時代、刑事なんてこいつと同じさ」

 縣は手元のマッチ箱を放り上げた。昔はどこの家にもあったが、今や使い方が分からないという奴も珍しくない。それどころか、これが何なのか分からないという奴まで。昔はどこに行っても只で貰えた物だが、今や何でも買えるコンビニに行っても置いていない。

「今の俺は用済みの老体だ。なのに公務員の役得で居場所も無いのに居座る税金泥棒さ」

「そんな事無いですよ。縣さん」

 岡部の薄っぺらな言葉が癇に障った。気付けば、縣は声を荒げている。

「何がそんな事ねえって言うんだ。俺達が最後にいつ捜査なんてしたよ。今じゃ、自分の足で現場さえ踏みゃしねえ。防犯カメラでAIが見付けた被疑者を、言われるままに取ってきた令状で引っ張りに行くだけだ。自白が取れようが取れまいがそれさえどうでもいい。調書なんて適当でも起訴にも裁判にも困らねえ。何せ、犯行の瞬間その物がカメラに撮られてるんだからな。これで用済みじゃなきゃなんだってんだ!? 俺たちゃもう刑事じゃねえ。車係だよ! 言われるままに被疑者をあっちからこっちに運ぶだけの運転手だ!」

 猛烈な勢いで捲し立てた縣は口から煙草を飛ばして、やっと我に返った。「悪い……」。顔を顰めながら煙草をもう一本咥える。若い奴に当たり散らすなんて俺も耄碌した。

 岡部は何も言わなかった。ただ気まずそうに顔を俯かせるだけだ。彼にも自覚があるのだろう。ああ、昔は良かった。少なくともこんな惨めな思いをする事は無かった。口に出さないだけだ。きっと皆思ってる。今日だってそうじゃないか。どこの誰だか、何をやらかしたのかすら分からない謎の被疑者を移送する為に刑事達が動員されている。理由は言わずもがなだ。刑事が一番暇だから――。

「縣刑事はどう思われます?」

 不意に男が言った。「刑事」その肩書きに思わずまた怒りそうになる。煙を大きく吸い込んでそれを抑えた。「何がだ?」。

「今日の移送者ですよ。僕らは誰を運ばされているんでしょうか」

「だから、さっきもこいつに言ったろう。少年ヴァンダリストだよ」

 吐き捨てた言葉を男は笑った。

「本気で言っているなら、伝説の刑事も耄碌した物ですね」

 縣は金壺眼を光らせて、男を睨んだ。「てめえ、おちょくってんのか」。

「そんなつもりはありませんよ。そう受け取られたなら謝りますが。僕はただ気になるだけです。自分が何をさせられているのか。自分が何に巻き込まれているのか。そして、これから先どうなるのか」

「つかさのみや成立以後、僕らの刑事人生は滅茶苦茶だ。地方都市の一刑事として田舎町の平和を守って一生を終えるつもりが、いつの間にか大都市で機械に使われてる。大きな意思にただ振り回されるのはもううんざりなんです。抗えないにしても知っておきたいんですよ」

 濃い隈の上の小さな瞳は嫌な色に光っていた。縣はすっかり毒気を抜かれて訊いた。

「お前は……?」

 男は掠れた声で言った。

「申し遅れました。勅使河原(てしがわら)公彦(きみひこ)と申します。最近、休職より復帰しました」

 勅使河原公彦……。そいつは確か……。

「ええ、そうです。あの勅使河原です。機密情報流出事件の勅使河原ですよ」

「僕はヴァンダルに機密を流しました」

 勅使河原は事も無げに言って、不気味に笑った。縣にはその笑みがまるで死神のように見えて仕方なかった。

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