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ヴァンダリズム・シンフォニア!  作者: キタノタクト
第一楽章 輝けるセイザの下に――邂逅のソナタ
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2 星乃秤②


「はぁ……」


 長いエスカレーターを登りながら、大きな溜息を一つ。本日何度目だろうか。

 ガラス天井の大屋根からは春の日差しが燦々と降り注いでいる。やっとやって来た。500km/hでかっ飛ばす新時代の超高速交通にしては、何だか全然速さを感じなかった気がするのは、煩雑な審査のせいもあろうが、それ以上にあの少女のせいだろう。結局、カペラの話は意味が分からなかった。秤は精神的に疲れ切っている。

 されど、そんな秤もエスカレーターが登る毎に徐々に顔を明るくしていく。次第に開けてくる視界の先に見ゆるは新世紀の未来都市、つかさのみやの威容である。壁を彩る煌びやかな立体ホログラム。空を闊歩する警備ドローン。人群れを縫うように走る清掃用ロボット。インフォメーションセンターではホログラムとAIによってなる受付嬢が笑顔を見せる。秤は思わず駆け出した。そして、ぐるりと辺りを見回す。

 これが未来だ! 特別市の枢要たる大ターミナルは勇ましく宣言している。思わず叫び声を上げそうになって、擦れ違ったサラリーマンの冷たい目にはっと気付く。顔を赤らめて、周囲を見回し、小さくなって端を歩いた。体全体で昂揚する事は難しい年頃が許さない。だけれど、心は歓喜に奮えている。爛々と輝く瞳は「展望デッキこちら」の案内板を勿論見逃さなかった。人目を気にしながら、小走りで、少女はエレベーターに乗り込んだ。秤は最後の客で、扉はすぐに閉まった。ガラス張りのエレベーターはぐんぐんと上昇していく。向かいのビルを映していた窓はやがて森々たる小山の脇に青々とした大河を映した。遠く奥木曾より注ぐ大河木曾川である。日本のライン川と称えられたその名望はもっと下流の物だけれど、しかし雄大なる河の流れは既にその片鱗を見せ始めていた。

 エレベーターが着いて、人波が動けば、秤は押し出されるように外に転び出た。その瞬間、眼前に広がったのは新都つかさのみやの威容その全てである。点々と山々の散る谷間に稠密たる都市が聳えている。春の日差しを受けて、青々と映える山々と白きビルの輝きの何と美しい事か。かの桓武帝の平安京造営、そして家康公の江戸開府に続く、第三の国家的事業として行われた新都建設の偉大なる成果がそこには在り在りと顕れていた。偉大なる科学と文明の輝きは田舎育ちの少年の心を弾けさせるには全く十分であった。

 秤は手すりに飛び付いて、文明の匂いを体一杯に取り込んだ。盆地特有の生暖かい風と大河の発する得も言われぬ異臭もしかし気にならない。少女はすっかり美しさに魅入られている。

 暫し仰望に心を奪われ、それからはたと端の双眼鏡に気付く。観光地にはお馴染みのコインを入れるあれだ。足を向けかけて、ちょっと周囲を気にした。ちょっと子供っぽいんじゃないかななんて思う。だけれど、好奇心に抗える程大人びてもいない。あまり人気の無いのを理由にして、少年は双眼鏡に向かった。朝に自販機で使った小銭がポケットに残っていたのに気付いて、ごそごそとポケットを漁る。取り出した100円玉を握って、双眼鏡に飛び付こうとした時、何かに行く手を遮られた。視界を蔽う大きな背中。じろりと振り返ったのは厳つい顔の大男。赤いネクタイをきちっと締めた彼は秀でた額の下、彫りの深い眼でじろと秤を睨む。

 秤は勿論持ち前の負けん気で睨み返した。それから、男の向こうの何かに気付く。男が庇うように守るようにその体で隠している何か。それを覗おうとすれば、男が邪魔をする。秤が右に首を伸ばせば右に、左なら左に男は体を伸ばしてそれを覆った。秤はじろっと男を睨み付けた。なんなんだこいつ。しかし、男も負けていない。険しい顔付きでじっと秤を睨め付けている。

 奇妙な睨み合いを終わらせたのは可憐な一言であった。

「錦さん。やめてください」

 男の向こうから響いた鈴の音のような声が男を退かせた。男が負け惜しみのような一睨みを残して巨体を退ければ、その大きな背の向こうから少女が姿を見せる。

 秤は思わず息を呑んだ。彼女が単に美しかったからというのではない。その日本人離れした群青の瞳に驚いたのでもない。秤は何よりもその髪の色に驚いたのである。艶々とした黒い髪の先は萌葱のような青に染まっている。それはつまり秤と同じような、しかし全然異質の美しさを持った髪であった。だから、秤はそれに見惚れた。

 すると、少女ははにかむように笑って、ちょっと斜めに視線を逸らした。それがまた何ともいじらしく、秤の胸を掻き毟る。

「きれい……」

 秤は思わず呟いていた。少女はますます恥ずかしそうに縮こまる。その様がまた秤の心を惑わせる。

「……あ、あの、どうぞ」

「へ?」

 顔を赤らめながら言った少女の言葉に秤は間の抜けた声を上げる。どうぞって何が? 馬鹿みたいに小首を傾げる。

「双眼鏡です。どうぞ、お先に」

「あ……。双眼鏡」

 そう言えば、そんな目的もあった。と思い出してから、慌てて言った。

「いや、いいよ。私は別に……」

 手をぶんぶん振って譲る。だけれど、少女は肯かない。

「いえ、お邪魔したのはこちらですから」

 少女は小さく小首を傾げて微笑を浮かべた。なんだろう。どこかの国の王女様とかだろうか。それとも、やんごと……なんだっけ? なすごい家のお嬢様とか?

 眉の上で切り揃えられた髪に引っ張られて、秤はもう彼女を姫の類いだと信じ切っている。

 ……だとすると、この大男はボディーガードとか、それとも執事とかだったりするんだろうか。

 馬鹿みたいな妄想が頭を巡る。秤はその間全く呆然としている。

「……お姉さん? お姉さん?」

 目の前で手を振られて、秤はやっと気付いた。それから、耳から入ってきた音声が遅れに遅れて処理される。

「え? お姉さん?」

 思わず尋ね返せば、少女は困ったように小首を傾げた。

「お姉さん、じゃ駄目でしたか? ごめんなさい」

「いや、いい。全然いい。もっと呼んで」

「はい? ……お、お姉さん?」

「……もっと」

「……お姉さん?」

「はぁ……」

 秤は恍惚とした。一人っ子の彼女は元来妹の類いに飢えている。それもこんな可愛い子になんて……。正に天にも昇る心地である。

 そんな秤を脇に控える大男は怪訝な眼差しで睨んでいたけれど、勿論秤は気付かない。彼女はただこの可愛い生き物を見つめるのに忙しい。

「あの……同じですね」

「へ?」

「髪、同じですね」

 自分の髪の毛先をちょっと引っ張って、少女は「えへへ」と笑う。秤は思わず言った。

「全然! 私はそんなにきれいじゃないよ……」

 同じように髪を引っ張る秤。自分のそれは少女のそれとは全然違う。自分の髪は醜いのだ。秤はそう決め付けている。

「そんなことないですよ。とってもお綺麗です」

 少女はそう言ってくれたけれど、頑なな秤の心を溶かすには至らなかった。髪を引っ張ったまま秤は俯いた。私なんか……。耳にこびり付いた思い出が秤を縛っている。

 そんな秤を見て、少女は話題を変えた。

「お姉さんはご旅行ですか?」

「あ、うん……。一応?」

「こちらに来られるのは初めてでしょうか?」

「あ、うん。そうだけど。なんで分かったの?」

「……あんまりにも嬉しそうなお顔だったので……」

 はにかみながら言った少女に秤は思わず赤面した。思い返せば、あんまりにも子供っぽかったかもしれない。

 愚かな秤には勿論弁明の能は無い。秤はただ真正直に恥ずかしそうに笑うだけだ。そんな秤を見て、少女は何とも愛らしく微笑んだ。傍から見れば、どちらが年長か分からない様子であったけれど、勿論秤は気にもしない。ただその愛らしさ美しさを体一杯で受け止めるだけである。

 不意に少女が言った。「あの、お姉さん」。

「もしよかったら、都市(マチ)を案内させてもらえませんか?」

「へ?」

 出し抜けな申し出に秤は目を真ん丸にした。え? 案内? してくれるの?

 「この人はどうするの?」と厳つい渋面と可憐な笑顔を交互に見れば、少女は男に笑顔を向けた。

「いいですよね? 錦さん」

 男は得も言われぬ顔で秤を睨んだ。困っているような、戸惑っているような、それら全部が怒りの色になって男の顔に刻まれた。だけれど、結局男は頷いた。

 少女は一層笑顔を咲かせた。「じゃあ、行きましょう」。小さな手に握られて、秤は引っ張られた。

「あ、そうだ……」。不意に立ち止まった少女に思わずつんのめりそうになる。少女は振り向いて、「えっと……」。

「秤、星乃秤」

 視線に答えれば、少女はまた笑った。

櫛羅(くじら)紬羽(つむは)です」

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