前話の内容の補足、および連載終了から三か月くらいの時を経てわかったこと
こんにちは。
この度はこの文章にお目通しいただきまして、誠にありがとうございます。
三月末日に『デカパイギャル軍団 VS 邪悪なデスコブラ』を完結させてから、三か月ほどの日々が過ぎました。まことに早いものですね。既に今年令和二年の半分以上が終わっているとは、まったくもって信じがたい状況です。
しかし事実、月日は過ぎ去っているのです。
時間的距離を取ったことで、デカパイギャル軍団の連載について、多少ながら冷静な目を持つことができるようになりました。
そこで前部分を書いたときには気づくことのできなかった点や、また省略したところも話を広げさせていただき、もって『デカパイギャル軍団~』についてのこのエッセイ文の完結話とさせていただきます。
まだまだなんだか記憶を回復しきれていないような気もしますが、完全な認識を求めていてはきりがありません。
また、後々編集して書き足すなり、短編エッセイとして発表するなり、後付けで内容を補足していく手段はいくらでもあることに気づいたので、とりあえず今書き得ることを書きとおし、一区切りとします。
では例によって、まずは結論の箇条書きをご覧ください。
・話数ストックは多い方が毎日更新は楽
・脳内では明確に決まっている展開も、書きだすと苦労することがある
・設定を全て使い切れるわけではない。
・制作中および毎日更新期間中は当該作についての正気を失う
それでは項目ごとの内容を書いていきます。
・話数ストックは多い方が毎日更新は楽
そりゃあそうだろう、とのお言葉を頂戴しそうですね。
デカパイギャル軍団の連載を見切り発車した時の僕もそう思っていました。ですが、ストックは3話しか作りませんでした。
結果、四苦八苦の連載を行うことになりました。
毎日更新を行っていてあるところで展開に詰まったとき。ストックがあればその分構想を練るのに時間を使うことができます。しかし、ストックが存在しないとその日の更新分を仕上げた上で、展開を打破する方法を考えるという綱渡りを行う羽目になります。
そういった苦境を抜け出すのに時間や気力などの資源を使わずに済ませるため、話数ストックは可能な限り多く用意しておくべきです。
理想としては最後まで完璧にお話を仕上げることです。
その上で毎日の更新分を最終話まで予約し、連載期間中は一手も動かすことなく、次回作の準備やプロモートに専念することが出来たなら。相当の事故が起こったところで更新停止にまで追い込まれることは少ないでしょう。さらに完結の確実なことを、あらすじでアピールすることも可能になります。(どの程度魅力度アップに貢献するのかは未知数ですが)
そして最大のメリットは〝簡単に書けそうなのに、実際に書いてみるととても大変で行き詰る〟という問題を回避できることにあります。
細部は事項で説明しますが、〝簡単に書けるはずのことが書けなかったり〟、また〝脳内では自然な展開のはずなのに実際に書いてみると致命的な矛盾が存在していたり〟といった問題がおこることがあります。
上達と綿密な構想の構築とで大抵の場合は回避していける問題ではあります。しかし、完全に回避しきれるわけでもないでしょう。発生可能性をゼロにすることはできない問題ではありますが、毎日更新に影響を与えないための方法は存在します。
連載以前に、予め話を書き上げ、予め困難を乗り越えておくことです。
WEB連載という形式を考えると少々やり過ぎのような気もしますが、紙書籍で発表される完結型の書き下ろし長編小説などはこれと同じことをやっているわけです。とても大変なように思いますけれど、不可能ではないはずです。きっと。
〝毎日更新最終日の完結ボーナスを、次回作のスタートダッシュの一環に役立てたい〟という強い意志がある場合などは、検討の余地が大いにあるように思います。
と、これだけストックを多く作ることについて景気のいい話をしました。
ですが実現可能性については触れていません。
予め話を完結させることの難しさについては、何も話していません。
「完結させてから発表すると、書きながら発表する際のデメリットを回避できる」と言っただけです。
〝毎日更新をすると謳って話を連載することで、話を完結させる力が強化される〟ということにも触れていません。
毎日更新せねばならない、と自分で決めたことによる強制力は、思いのほか強いものです。話をエタらせず完結させるための確かな力となります。
「もし僕が毎日更新をしなかったら、デカパイギャル軍団を完結させることは出来たのか?」と自らに問うてみると、「出来た!」と軽率に回答すれば嘘をつくことになります。完結させ得たかもしれませんし、そうでないかもしれません。可能だった公算が高いとは思っていますが、何を言っても後出しじゃんけんでの勝利のような意見です。
しかし〝書きながら発表していったことが完結可能性を上昇させた〟のは確かです。毎日更新の強制力の恩恵の存在については疑いの余地はありません。
前述の話を総合して考えてみますと、〝どういったスタイルを好むのか?〟という美学の問題になるように思います。
毎日執筆&毎日発表のLIVE感を大切にする。短めの準備期間で世界にとある話についての評価を問いかける。PDCAサイクルの回転を速めていく。
あるいは、自己のむらっ気が作品にもたらす悪影響を最小に抑える。長く準備を行って、お話が途中で滅んでしまって読者諸賢をがっかりさせる事態を回避することに全力を尽くす。またそれを自己のアピールポイントにして、中長期的な信用を築いていく。
後者の方が長くなった分、僕の理想は完結させてからの発表にあるのでしょうか? しかしながら一度たりとも実践できていないのも事実です。前者のメリットを最大化していくよう努めるのが、僕に課せられた課題なのかもしれません。わからないことばかりです。
とはいえ、どの道話を書いて発表する、ということには変わりがありません。苦労するときはしますし、書けなくなる時は書けなくなり、書けるものは書けるのでしょう。
基本に立ち返って、明確な結論だけを書くならば〝話数ストックは多い方が毎日更新は楽〟です。
これ以上この項目について書いても堂々巡りなので、次項に進みます。
・脳内では明確に決まっている展開も、書きだすと苦労することがある
『デカパイギャル軍団 VS 邪悪なデスコブラ』は、タイトルの通りデカパイギャル軍団と邪悪なデスコブラが戦う話です。
そして大抵のエンタメ作品がそうであるように、主人公側(デカパイギャル軍団)が勝ちます。
タイトルからわかるコンセプトは、一行目を書いたときから決まっていました。ですので、そうそう長くもならず書ききれるだろうと思いました。
その後『惨死すべきファック野郎』のセリフが出たときに『惨死なさい! ファック野郎』とブリジットが止めを刺す展開も決まりました。
クザッツへ行く理由も、その後儀式に巻き込まれる理由も、おおむね決まっていました。
しかしいざ毎日更新をしてみると、予定とは違っていました。
なかなか、デカパイギャル軍団たちが邪悪なデスコブラ(クザッツ語でいうところのベワマゲカパパイ)をめぐる陰謀に巻き込まれないのです。クザッツの王子たちやジミー、悪い金持ちのイワンなどサブキャラクターを登場させる余地が生まれませんでした。ヒロインの一人であるリウメロエの登場も、当初の脳内構想よりは大幅に遅れてしまいました。
これはフィクション制作に上達することと、綿密な構想の構築とで、ある程度まで回避できる問題です。しかし、やっぱり考えることと、書いてみることとは違います。
少なくとも僕は、脳内でふわ~と文章もどきが流れるような感覚と速度で字を書くことはできません。となれば書くと考えるとではやはり違うものとして扱わざるを得ないのです。
また映像的にのみ理解しているシーンを文章にしていく場合『ゲームによくある感じのダンジョンのトラップってどんな風に描写したらいいんだろ?』とか、『あのポーズ、何ていう名前なんだっけ?』とか、『これとこれを地の文で説明して、状況背景を台詞で語らせて、あっ! このことも説明しないと伝わらないぞ! そうすると一文が長くなって読みづらいな……』と言ったような、映像と文章の形式上の差から生まれる問題にも、対処していく必要があります。
そしてそれらの問題を乗り越えて話を書いていったとしても、ときに後の展開とは矛盾してしまうようなことがあります。
ちょっとしたものなら発表したあとにサイレント修正したっていいのですが、話の根幹にかかわる部分ですと、そういう訳にもいきません。ために、また一理屈をこしらえて、その矛盾をうまいことなかったことにする必要があります。
また『脳内構想ではシーンAからBにスムーズに移動できたのに、実際に書いてみると間を補うシーンが必要であることに気づき、中間シーンを書くために執筆スケジュールの再設定を迫られる』という問題が起こることがあります。
別に作業工程が一つ増えるだけですから、元々長い話を書くつもりでいたのならたいしたことはありません。しかし毎日更新&毎日執筆のタイトなスケジュールで回しているときにこの問題が発生すると、困ったことになります。毎日更新を滞らせる大きな問題に発展しかねません。
日本一周を試みていたときに迂回のため数キロ余計に歩くことになったとしてもさして問題はありませんが、五分後発の電車乗ろうとして歩いているときに数キロの迂回を行うと問題になるようなものでしょうか。
あくまで〝起こることがある〟というだけですから、起こらなければなんのことはありません。しかし、往々にして事故は起きるものです。最も起こってほしくないときにさえも。
ならば、なるべく発生可能性を事前に潰しておくのが堅実なように思われます。
前項の話とも被ることですが〝脳内では決まっているのに書きづらい話とは、話数ストックを多くは作れない話〟です。
執筆コストが高いんでしょうね。
〝話数ストックを多く作れなかったのなら、その後の展開に苦労が待っている〟とも言えるでしょう。
執筆コストが高いというのはそういうことです。
執筆コストが高いので、毎日書くのは大変です。なので予めたくさん書いてストックを作りたい。しかし執筆コストが高いので、予めたくさん書いておくことはむずかしい。毎日更新のLIVE感覚に頼りたい。そして毎日書くのは大変。
堂々巡りです。
困りましたね。どうにか書きやすく更新しやすい方法を見つけたいのですが。なかなかうまく行きません。
〝ある話を仕上げることは、どのような経緯を取るにしてもある話を仕上げるだけの資源を使う〟と前項の終わりに似たふわっとした結論に至ったところで、自己を戒めるための文を繰り返してこの項目も終わります。
〝脳内では明確に決まっている展開も、書きだすと苦労することがある〟
いろいろ書きましたが、このことそのものは間違っていないように感じますので。
・設定を全て使い切れるわけではない。
これはそもそも、インターネット上で小説を連載する場合に限ったことはではありません。フィクション制作時全ての場合に通じることと存じます。
話に説得力を持たせるため、また展開のヒントとするため、作中世界・人物のさまざまなディティールは、作中で実際に現れるもしくは説明される以前に決められていきます。
設定の作成は小説などフィクションの作成の一部でありますが、しばしば本編の制作以上の気力や時間などを使ってしまうものです。そこまでして作られる設定ですが、悲しいことに使われないものも多々あります。
『デカパイギャル軍団』においては、南方の島国クザッツの通貨やそのレート(400グラウマハ=1USドル)、国の組織形態(形式的な立憲君主制で王の権力が強く議会はあるものの議員の人数は少なく各部族からの代表程度存在~といったような内容です)、ふわっとした歴史(古代から近代まで平和に続いて英国の植民地に一時なって~とかそんなのです。)などを考え、紙のノートやパソコンのメモ帳に書きましたが、ほとんど使いませんでした。
好意的に見ても、展開決定に多少の影響を与えた程度です。
凝った設定であればあるほど、使われないことは多いことでしょう。
凝った設定を使うには、凝った話をせねばなりません。
ですが、いかんせん、凝った話を展開するための資源を、凝った設定を作るために使い切ってしまっている場合が少なくないからです。
そうして、設定ばかりを残して本編が滅んでしまうということもあります。
悲劇です。しかし遺憾なことに、ありふれた悲劇なのでしょう。
この文章をお読みの諸賢の中にも、たぶん身に覚えのある方がいらっしゃると仮定して、僭越ながら「おそろいですね」と書かせていただきます。
『デカパイギャル軍団』はすんでのところでこのトラップを回避することができましたが、僕が以前書いていたとあるファンタジーはそうではありません。
説得力を持たせるために舞台となった国の憲法を作っておこうと愚かにも意気込んでしまいました。憲法学の博士号を持っているわけでもありませんのに。
大日本帝国憲法の厳めしい漢文を見、インターネットの大海からプロイセン憲法の日本語訳を見出さんとしているうちに気力は失われ、ネットサーフィンに溺れ、まとめサイトを見て日々を過ごし、そのお話は主人公がヒロインに会う前に終わってしまいました。
そのような点からそもそも構想に問題があったのかもしれません。
ですが、設定に凝り過ぎたことも敗因の一つであることは間違いないように思います。
もちろん、例外もあります。
辞書が作れるほどのしっかりした人工言語の設定がある大著『指輪物語』を書き上げたオックスフォード大学の教授トールキンなど、作者に既に膨大な設定をものするだけの強力な教養のある場合にはこの限りではありません。と付け加えておきます。
しかしフィクションを一つ仕上げるよりオックスフォードの教授になる方がはるかに難しそうですし〝設定は本編のための道具〟であるとわりきって、時間をかけ過ぎそうになったらやめておく方がいいのではないかと思います。未来の僕のために、よく自らに言い聞かせておきます。
『全てを使い切れるわけでもない設定作りに凝り過ぎると本編を損なう』という、注意事項に凝り過ぎて本文を書き損ないそうな気がしますので、この項目はこの辺りで終わりとさせていただきます。
既に、多少ながら提題を外れているようにも思いますし。
・制作中および毎日更新期間中は当該作についての正気を失う
あくまで未熟な僕の場合にそうなったと言うだけですので、全ての方に適用され得ることかはわかりません。
ですが本エッセイ文は個人的な体験という一サンプルから教訓を引き出して書かれたふわっとしたものですし、これも他の項目と同じように書き加えておきます。
まず、制作期間中の正気喪失について。
こちらは比較的多くの方に共感を得られるのではないかなと思います。
一般に、一ページ書くごとに誤字を直したり、表現を推敲したりすることはあまりないのではないかと思われます。
大抵はまず一度書き上げてしまって、一定期間寝かしてから細部の調整を行うものでしょう。
何故一定期間書いたものを寝かすのか、といえば意識を切り替えるためです。
書き上げた直後は自らの成果に興奮していて、実際の成果物を客観的に見ることは難しいものです。
その状態で誤字を探して文章を読み返したところで、「誤字なし! 見事なり! 吾は文豪! 三千世界の文章王よ!(※個人の感想です)」みたいなことになってしまって、実はそこそこの頻度で存在している誤字や二重表現、ねじれ構文などに気づかない可能性があります。
文章を一定期間寝かすことで、正気を回復し、この発狂状態を抜け出すことができます。
『作るときの狂気についてはわかったよ。でも毎日更新とは関係なくない?
作りながら発表していくから、制作中の狂気の影響を受けるってだけでしょう?』
と、ここまでの文章を五月くらいの僕が見たら、このような反応を返すでしょう。
ですが、毎日更新を行うことによる狂気も、また確かに存在するように思います。
傍目八目という四字熟語がありますね。
他人ごとならば冷静に判断できる、ということでしょう。
裏を返せば当事者として「今・ここ」の問題に当たるときは、何らかのバイアスによって判断を誤ることが少なくない、ということだと思います。
ことわざや四字熟語は大抵反対の意味の成句があるので、一つから教訓を引き出してそれを絶対視するのは危険です。危険ですが、こうして四字熟語として残った程度には、多少の真理を含んでいるなり実用に寄与するなり、何がしかの意味があるはずです。
本エッセイ文も何がしかの意味が含まれているだろうと期待して、思うところを書きます。
〝あるものの当事者であるときは、他人事としていたときとは違った視点になるがゆえに、他人には信じられないような誤りを犯すことがある〟と。
制作中の狂気が信じがたい誤字などを生み、毎日更新の当事者であることの狂気が、終わってからでは信じがたい誤りを生むのです。
『デカパイギャル軍団』について言えば、どんどん過剰になっていった改行があります。
連載が終わってしばらく経ち、『プソイド・カライド』序盤から中盤の更新を行っていたとき。
ふと、『デカパイギャル軍団』を見返してみて気づいたのですが、最初は多めな程度だった改行がどんどん増えていって、最終話付近では、ほとんど文節ごとに改行するようなありさまとなっていたのです。我がことながら、読みづらかったです。
間違いなく僕の仕業に違いないのですが、どうしてそこまでしてしまったのかさっぱりわかりません。
何故こうなったのでしょう? 一応仮説を立ててみます。
スマホの発展した現代ですので、スマホで閲覧する読者諸賢が多いだろうと思って僕は『デカパイギャル軍団』を書きました。
スマホの小さな画面に文字が詰まっていては読みづらいだろうと考え、多めに改行してゆとりあるレイアウトにしました。
おそらくは、この気持ちが暴走した結果、病的大量改行を敢行する事態となってしまったのだろうと思います。
どれほど客観たることに努め、うまくいったとしても、人間の視点は〝客体の主観〟以上のものにはなりえません。
制作時は制作者の立場と視点からのバイアスがかかり、毎日更新時は毎日更新者の立場と視点からのバイアスを引き受けざるを得ないのです。ゆえに、この項目では「どうやって対処すべきか?」ということは書きません。
書かないというより、対策を書くことが不可能であるように思うからです。
しかしながら「毎日執筆&毎日更新を行っている今、自分は世間と何かしら認識を違えている可能性があるのではないか……?」と一考してみることも可能である、と知っておくだけでも多少は正気度を回復することができるのではないでしょうか。
本当に多少でしょうが。
違和感を覚えていないときに自分を疑ったところで〝疑心、暗鬼を生ず〟の句の通り、存在しない問題への対処に資源を使い切ってしまって、本編を滅ぼしてしまったりすることもありえます。そうなっては本末転倒です。
今となっては覚えていませんが、『デカパイギャル軍団』の失敗も、自己への信頼不足から来た可能性だってあるわけですし。
そして、真に重篤に正気を失っているときは、自己に狂気の可能性があろうとは考えようともしないはずです。
加えて「法や契約で縛られているわけでもないのに、全く架空の出来事についての文章をしたためインターネットを通じて全世界に公開する」ことは、そもそも正気からの行動なのか疑わしい、ということもあります。
人によって真偽は異なるのでしょうが、僕の場合に限って言えばだいぶ狂気の力を使っているようにも思います。
とすると、そもそも罠にかかったところから始まっているわけです。抵抗は、五十歩百歩の差異を生む程度のことかもしれません。
それでも正気には理性の力があるわけですし、それに縋りたければ対象から物的・時間的距離を取る必要があるのは間違っていないことでしょう。
理性の力で『デカパイギャル軍団』の過剰改行に気づいた今、気の向くごとに少しずつ直していこうと思います。
制作中および毎日更新期間中の狂気に対しては、こうやって時間的距離を使って対処するほかないのかもしれませんね。
つまり、可能なのは後始末ばかり、ということでしょうか?
本文をお読みくださいましてありがとうございます。
前話とは違って統計的数値を用いることがありませんので、この話はとても抽象的な内容になっています。
お役に立つことがあるかもしれませんし、もしかすると無用な不安を喚起してしまうことがあるかもしれません。
大変申し訳ありませんでした。
それは本文の曖昧さが生んだ無意味な亡霊にすぎません。存在しないものです。顧慮する必要のないものです。
予め謝罪させていただきます。
その場合は、ぜひ本文の記述は黙殺なさってくださいませ。
あなたの直観は正しいものです。誰が何と言おうと正しいものです。
万一そうでなかったとしても、自らの間違った見識は、他人の正しい見識に常に勝ります。あなたの立場で考えられる者は、あなたの他にはいないのです。人間は誰もが自己の自由意志の絶対君主であり、そうでなくてはいけません。
読者諸賢に良きことのございますよう、心より祈らせていただきます。
あとがきまでお読みくださいまして、本当にありがとうございました。