ゆるふわギャルでもオタクに恋したい!
恋の季節。
という言葉を思い浮かべて想像するのは大抵は春か夏だ。
逆に冬と秋は別れの季節。恋の季節とは程遠い。
ただ、その価値観が覆される出来事を人間とは経験するもので――
あたしもその一人だった。
その価値観を変えてくれた人物はあたしと真逆の性格だ。
もっというと彼は隠キャであたしは陽キャ。
あたしが春か夏だとすれば、彼は北風の吹く曇天のジメッとした冬や秋がよく似合う男であった。
彼に興味を持って欲しくて、前より地味目の髪色とコスメに変えてみたのに全然反応してくれない。特に髪については自信があったのにだ。ゆるふわウェーブのかかったグラデーションアッシュ。奮発して推しの読者モデルが通う都心の美容院に行っても素知らぬ顔をされるのだ。おおいにふまんである。友達は皆褒めてくれたのに。
というわけで、彼があたしに全然興味を持ってくれないものだから、彼に急接近する計画を立てることにした。その名も「彼が興味持ってくれないなら、こっちから彼の興味あるものに近づけば良くね?」作戦だ。
オタクの彼が学校帰りによく行くアニメ○トというオタクグッズを売っているお店で、偶然出会って偶然趣味も一緒で偶然仲良くなる作戦である。
あたし天才。
◇
あたしの計画はかなりいい線をいっていた。
先回りして、駅前のアニメ○トで待ち伏せする。すぐにあたしだとばれないように、トイレの個室を借りて変装した。普段はお菓子と雑誌ばかりが入っている学生鞄から、今日は特別持って来たニット帽とマスクとサングラスを装着。トイレから出たら妙に艶かしいアニメ絵の男性キャラポップの後ろを陣取り、立ち読みするフリをしながら彼を待つことにした。
そしたら、彼、夕くんがものの数分で現れた。きっとこれは運命に違いない。
自動ドアが開いたと同時に雰囲気で分かった。凛々しいまつげと、独特なくせっ毛とメガネと瞳の下の泣き黒子。高身長だからすぐ分かった。シュッとしてるからスラックス履いたら似合うだろうな。
しかしあたしのプランはすぐに瓦解した。
何せ夕くんは夕くん友人Aをお供に連れてきたからだ。
入口から入ってきた夕くんたちは目の前のマガジンスタンドで立ち止まる。ぼーとした表情でパラパラ雑誌をめくりはじめた。これが彼らの普段の放課後の日々なのかもしれない。
それにしても夕くんってオタクだけど超硬派。戦車とか戦闘機が映ってる雑誌を読んでて、ミリタリーとかあまり興味なさそうなのにそのギャップにくらりとくる。なんかアニメ絵の女の子が戦車に乗ってる気もするけど、あたしの見間違いだよね?
「なぁ、夕。最近おまえさ、朝日川にガンつけられてない?」
友人Aがページをめくりながら、一言。
二人が会話を始めたかと思うと、急に自分の名前が出てきたので、さっきより身を屈めておく。あたしの体は今ではすっぽりポップの後ろに収まった。
しかし何言ってんだ友人A。夕くんの友達だからって、あんまりおかしなこと吹き込むな。
あたしはただ、彼を授業中と休み時間と昼休みの間眺めているだけだ。
「あー朝日川さんからの視線は感じているね」
「何かしたの?」
「心当たりはある。もしかしたら怒らせたかも」
と本人談であるが、夕くんがあたしを怒らせた心当たりなど皆目見当がつかないのだが。
「ふぅん?どんな?」
「いや、図書室で朝日川さんが本を借りようとしててさ。高い位置にある本で、僕が替わりに取ってあげたんだよ。でもその日からあんまり向こうから話しかけられなくなって、嫌な思いをさせたのかも」
胃がグルグルして、気分が悪くなってきた。
あの日の出来事を夕くんはそんな風に思っていたなんて。いや確かに彼に本をとって貰って速攻で逃げ出したあたしが悪いのかもしれないけど。
それにあの日から恥ずかしくなって、あたしは前みたいに夕くんに話しかけられなくなっていた。つまらない事でも意識してしまって、体が石みたいになって、汗で顔の化粧はとれそうで、緊張して一歩も彼に近寄れないのである。
「おいおい、どこが怒らせるエピソードなんだよ。もしかしたら惚れられたんじゃね?俺はないけどな朝日川」
そうだそうだと、友人Aの発言に内心同調していたものの、後半で一気に前言撤回である。この男今なんて言った?あたしはないと言ったのか?恋愛的な意味で?変装して隠れていなければこの本棚越しにいるあの男に殴りこみに行くくらいの気持ちである。
「なんで?」
「だって朝日川って誰でも仲良いだろ?俺らみたいなのにも普通に話しかけてくれるしさ。勘違いする奴も多いだろ?ナンパはしょっちゅうされるし、いつもいろんな男に囲まれてて、目が肥えてると思うんだよね」
「そんな人には見えないけどな、朝日川さん」
「いやいや、そんなもんだって。しかもデートしてる時とか一々イケメンがするさりげない気配りとレベル比べられるんだぜ?モテる彼女って絶対つらいわー彼女できたことないけど」
これ以上は困る。あることないこと夕くんに吹き込まれては非常に困る。
そこで、あたしはスマホのアプリで入学式の時にグループ登録した友人Aにメッセージを送った。直後に友人Aが会話を中断して、おもむろに携帯を見ている。
送った内容はこうだ。
おい。夕くんに見つからないようにこっそり目の前のポップを見ろ。今すぐ帰れば、さっきの発言は許してやるからな。
直後、ポップ越しに友人Aと目が合う。あたしがサングラスを外して微笑むとすぐに顔を青ざめさせた。用事があると告げて店を出て行くその姿を、首を半周させながら目で追う夕くん。
夕くんが目線を雑誌に戻そうとして、正面を見ていたあたしは目があってしまった。
「あれ、朝日川さん?」
やばい、そっこーで気付かれた。変装の意味全然ないじゃん。
「ゆ、ゆ、夕くん奇遇じゃん?どしたの?」
「どしたのって、こっちのセリフ。なんで朝日川さんがアニメショップに?」
しまった。夕くんに会うことまでは考えてたけど、その先までは詰めてなかった!アニメとか全然わかんないぞ、あたしは。
「ほら、その、あれ、あたし最近こういうのに興味持っててさ。面白そうなのないかなーって思って」
あたしは近くに重ねられていた雑誌を適当に手にとって、彼のつぶらな目を見ながら答えた。
「へーああ、だからそういう格好なんだ」
「そういう格好?」
「だって学校帰りにニット帽とマスクとサングラスは流石に変装してるようにしか見えないよ」
「うん、そうそう。友達とかに見られたくなくて」
あぶねー。なんとかごまかせたよ。
そういえば、変装するために制服姿でフル装備してたのだ。色眼鏡で見ても不審者以外の何者でもない。それが良い方向に向かうとは今日はツいていた。
「大丈夫、僕たちだけの秘密だからね」
そういうと、彼は口元に人差し指を添えて、「しー」と擬音が出そうなポーズをした。おいおい君は天使の生まれ変わりか何かか?
「あのさ、それで夕くんに他にもこういうの教えて欲しいなーとか思ってたりして。面白いのとか分かんないし」
「えっと、女性向けのはあんまり詳しくないけど、僕なんかで良ければ」
彼はさっきよりもぐっとあたしに近づいた。その距離は、もう少し近づいたら肩が触れられるくらいの距離。「これとかどう?」とか薦めてくれたけど、内容はぜんぜん頭に入ってこなかった。
別に頭が悪いわけじゃない。その時はこの瞬間がずっと続けばいいのにとそんな事ばかりが頭をよぎっていた。
そういえば、あの時もこれくらい二人の距離が近かった。
あれは、まだ冬の寒さが本格的に始まったばかりの、ごうごうと雨の止まない12月のことだった。
その日は風がとても強くて、昼から降り始めた雨が凄い勢いになっていた。
あいにくあたしは傘を忘れて、しょうがないから友達の傘に入れてもらおうかとも思っていた。だけど、彼氏が出来たばかりの友人を誘うのも気が引けて、雨が止むまで図書室で待つことにしたのだ。
が、である。
気まぐれで図書室に来たはいいものの、非常に退屈であった。普段本を読むという習慣もない。漫画とかなら読むくらい。
しょうがないから本棚と本棚の間を行き来しつつ、おもしろそうな本がないか探し回った。内容が面白くて、解説用の絵が描いてあるやつとか。
漫画がなければ、動物の図鑑みたいなのがいい。というかそれでいいや。
壁側の棚の一番上の段に、目的の図鑑類はひっそりと収まっていた。その中で目ぼしいものを見つけた。タイトルは「小学6年生でも分かる動物図鑑」。高校の図書室に置いてあるにはどう考えてもおかしいレベルの本。ただ小難しい本を読んでも眠くなるわで、これくらいがちょうどいい。友達にこんなの読んでるなんて言ったら絶対冷やかされるけど。
目的の本を取るために、「んー」とつま先立ちで精一杯手を伸ばしてみる。だけど、背表紙の下あたりくらいまでしかあたしの爪は届かない。それに図鑑って結構大きいから取れてもバランス崩しそう。
そんな時に彼は現れた。
あたしのすぐそばに立ち、片手でヒョイとその本を掴む。
そう、夕くんだった。
あたしはその時はまだ知らなかったのだが、夕くんは図書委員を押しつけられたらしかった。当番の日は結構遅くまで学校に残っているそうだ。生徒の手伝いをするのも仕事で、身長のせいで本を取れないあたしの代わりに取ってくれたのだ。
「これでよかった?」と夕くんはあたしに聞いてきて、一瞬だけ本の表紙をチラ見して確認した。
「なに、あたしがこんなの読もうとしてるなんて変?」
急に恥ずかしくなってしまった。
多分発言にはとげがあったと思う。普段あたしが漫画貸してーとか一方的に話しかける人だったけど、馬鹿にされたり、影でこそこそ話されるのが嫌に感じた。今思えば、きっと君に頭悪いと思われるのが嫌だっただけなんだけどさ。
「ううん。変じゃないよ。それに僕も本好きだから、どちらかというと朝日川さんが図書室に来てくれて嬉しいって思ってた」
屈託のない、純粋な笑顔。
あたしを口説こうとか、取り繕おうとか、女の子にモテたいだとかそういうのは全然なくて、打算のない笑顔だった。きっと彼は偏見とかじゃなくて、本が好きな同士を見つけて親近感が湧いてるだけだったのだ。きっと彼はこういう人なのだ。友達のまーことか宮ちゃんとか、あたし以外でもそういう風に優しく語ったに違いなかった。
なんだか、そんなことを考えていたら急にさっきまでの自分が恥ずかしくなってきた。彼のことを考えれば考えるほど頭は熱くなって、心臓の音はどんどん大きくなって、気付けば、あたしは彼に返事もせず走って図書室から逃げた。
息は上がって、制服に汗がにじんでいたけど、不思議と心地よかった。
一直線に続く廊下の窓辺に映る雨と雨の音。ガタガタ窓を揺らせる風の音。隣の体育館から聞こえるバスケットボールのバウンドする音。あたしの心臓の音。
さっきまではただの雑音でしかなかったのに、今ははっきりと別の何かに聴こえていた。まるで一流のオーケストラの合唱みたいに心地よいものに変化していた。
その日からあたしは、冬と、雨と、風の強い日が大好きになった。
◇
それから、あたしと夕くんはお互いのことを少しばかし話した。
あたしはさっきの友人Aと同じ場所(つまり夕くんの隣なのだが)に占拠しておしゃべりを始めた。
でも夕くんの話があまりよくわからなくて、ただ相槌を打っていただけだったけど。夕くんはそれでもあたしに合わせて話を工夫したりわかりやすく話してくれたり、そういう気持ちもたまらなく嬉しかった。
彼の見ているアニメの話のこと、あたしが髪型を変えたこと、お互いの学生生活のこと、好きな動物のこと、友達のこと。いっぱい話した。夕くんはさっきの友達Aの発言も替わりに謝ってくれた。あいつはデリカシーがないけど、いい奴だから許してくれって。
それからひとしきり話終わると、目線を伏せて今度は彼もあたしに謝ってくれた。
「……ごめんね朝日川さん。この間は図書室で余計なことしちゃって」
「ぜ、全然余計なことじゃないし、むしろ悪いのはあたしだし、あたしこそごめんね。お礼を言うタイミング見つけられなくて、話しかけられなかったんだ」
「そっかよかった」
ほっと胸を撫で下ろす彼を見て心がちくっと痛かった。あたしって嘘つきだな。お礼のことなんか今まですっかり忘れてて、単純に恥ずかしくて声をかけられなかっただけなんだ。
「じゃあまた、もし良ければだけど」
「うん、なに?」
「今日みたいに放課後とかでいいならこんな風に話を一緒にしてもいいかな?学校だと朝日川さんに迷惑かけちゃうかも知らないから」
それって実質デートだよね。放課後デートのお誘いだよね。
あれ?もしかしてこれって脈があるのかな?正直あたしみたいなギャルって夕くんあんまり好きじゃなさそうだったからすごい嬉しい。
「えー。夕くんがしたいなら別にいいけど」
「……そっか。良かった。朝日川さんの好きなもの僕ももっと知りたいから」
電車の走る音でかき消されそうな声量でポツリと彼は呟いた。いじらしく彼がしているものだから、こっちまで恥ずかしくなってきた。
だからあたしも、萌え袖で口を押さえて「好き…」と呟いてしまった。しょうがないじゃん。なにも言わなかったらきっとあたし爆発してた。
それからあたしたちは少し黙り込んだ。もしかしたら、彼に今の発言は聞かれてたかも。聞かれていたらいいなぁ。
「そういえば、結構話しこんじゃったねーお店に迷惑かけたかも」
「あ、そろそろ時間も結構経つかな。ほら外見て」
彼の言葉に促されて、外を見たら今にも真っ暗だった。流石にそろそろ春になるから日も長くなり始めたけど、それでも時計の針は6時を回っているぐらい。
街灯がチカチカとつき始め、夕暮れ時の喧騒は帰り時を教えてくれる合図だ。
「…じゃあ帰ろうか、朝日川さん」
もうちょっと話そうよ、ともいえないのであたしは黙ってうなづいた。
「朝日川さんの家ってどっちかな?」
「電車に乗って一駅先の方」
「じゃあ僕の家と反対側だね」
「なんだ、残念」
あたしたちは何台もそびえるガシャポンの台を尻目に、自動ドアを出て、店先で分かれる事にした。
お店の入口のマットの前で何か言葉を紡ごうとしたけど、結局何にも出てこなかった。
でも、また明日もあるんだから。
明日も明後日も明々後日も。彼といっぱい話がしたい。とりあえずは今日の夜ぐらいまでには、新しくオタクな話題を取り入れておこう。
「それじゃあ」
「うん、また明日」
手を振りながら、あたしは彼が去っていくまで見守っていた。途中手を振りすぎて痛くなったけど、かまうものか。今日は最高の一日だった。あたしの心はドキドキで一杯だった。
彼は振り返ると、あたしに微笑み返してくれた。両手で口を囲み、メガホンみたいにして最後に声を張り上げた。
「でも驚いた!朝日川さんが腐女子だったなんて知らなかったから。さっきの雑誌みたいなのが好きなんだよね!!」
「そう!あたしフジョシ?って奴なの。これからよろしくね!!」
――そう、あたしが偶然手に取った雑誌の表紙が、男達がくんずほぐれつ絡まりあってる雑誌だったとは、その時のあたしは知る由もなかったのであった。
家に帰って、スマホでその単語を検索して、頭を抱えるまであと40分くらい。