3話 記憶
暗い独房のような部屋で両手を手錠のようなもので壁に貼り付けられた少女が一人、小さく息を整えながらそこにいた。聞こえるのはその少女の息とミズが落ちる音だけだった。
「…」
少女の服はボロボロで、その裾から出る右腕は最早人間のものではなくまるでユグドラシルを思い浮かばせるような黒くゴツゴツした禍々しい腕だった。
「…」
少女の息と水の落ちる音しか響くことのなかった空間にカツン、カツンと足音のようなものがこちらへと近づいてくるのがわかった。少女はその足音に耳を傾けるようにゆっくりと目を開く。
「…ウルド?」
「1年以上こうして繋がれているというのにまだ喋れるとは、とんでもない精神力だな」
柵から暗くてよく見えないが金髪の女性がちらりと見えた。
「ここを見つけるのに時間がかかってしまったが、碧がなんとか見つけてくれた」
「…」
少女は答えることはなかったが、金髪の女性は無言で右手に西洋の剣のような騎士剣を魔力で生成し、柵を切り刻む。
「さぁ、行こう…」
澪田深雪。
「っ!?」
真っ暗な部屋、ベッドの上で大量の汗をかきながら実原は目を覚ました。時計を見ればまだ二時を示しており、今まで見ていたものが夢なのだと安堵し体を起こして部屋の電気をつける。
「…夢?」
澪田深雪、その名前が頭に引っかかり実原はずっと悩んでいた。
昨日の昼間の出来事、自らを魔人と名乗った男はあの後結局「このままじゃ分が悪い」と言い残してその場を去った。その後の処理の際に増田の服からカセットテープのような物が出てきたらしく現在調査中らしい。
「澪田…深雪…」
帰投後資料室で調べた結果、澪田深雪なる人間はすでにこの世を他界していた。4年前のトレス事件で行方不明になりその後2年間の生存が確認できなかったため、死亡扱いを受けている。
「…私がその人に似ているの?」
似ている、それだけなら別に気にすることはなかった。だが澪田深雪という言葉を聞いた瞬間から実原は自分の生きてきた記憶へのズレを感じてしまっていた。そして何より香椎が澪田深雪という単語に対して過剰に反応していたように思えたからだ。
「…」
そんなことを考えながら再び電気を消し寝床に付けば、数時間ほどして朝を迎えた。
起床後実原は北支部の食堂に足を運んでいた。本来魔導兵はどこで食事を取ろうが自由なのだが、食堂は設立されておりそこで食事を摂る魔導兵のほうが多かったりもする。
「ふぁぁ…」
昨日の夢のせいであまり深く眠れなかったのか、実原は大きなあくびをする。
「昨日寝れなかったの?」
「えっ?」
あくびをしていると向かい側にスーツを着た金髪の女性が座る。
「あ、竜宮寺中尉」
竜宮寺と呼ばれた女性は両手を合わせてから割り箸を真っ二つに割り、お茶碗に手をかける。
「刹那でいいって言ってるでしょ、貴女のほうが先輩なんだし」
「いやでも刹那さんが私と同い年になんて見えませんよ…!」
と笑みをこぼしながら實原も自分の持ってきた食事に手を付けだす。
「今日は査察ですか?」
「ええ、東支部配属のはずなのにあっちこっち行かされて困るわ。一番困ってるのは梓…有坂少佐だけどね」
査察。その支部の様子を見て回る査察官というものが存在し、彼女はそれに所属するものなのだろう。
「いくら査察官のパートナーとはいえ、関係ないところの会議に参加させられるのはねぇ」
朝の会議は少佐以上の魔導兵が出席を強要されるため、たまたま査察に寄った支部でも朝の会議に参加しなくてはならないという。
「有坂少佐、本当に信じられません。私と同い年で少佐なんて」
「まぁ彼は学校を出ずに魔導軍に入ったからね」
学校やアカデミーを卒業せずとも一応魔導兵になることは可能なのである。しかしそこから上に上がるのは下積みがない以上戦闘による実績のみのため魔法学科関連の学歴のない人間が少佐になるというのは異例中の異例なのである。
「南支部の入偉って学歴なしの人も最近少佐になったって聞いたし、異例中の異例ってなんなのかしらねってなるけれども」
あはは、と実原は苦笑いを返す。
「んなとこで飯食ってたのか」
唐突なに投げかけられた声の方へ振り向けば、コート姿の黒い髪の青年がこちらに向かって近づいてきてるのが見えた。その隣には香椎の姿もあった。
「有坂少佐…!」
有坂と呼ばれた青年は竜宮寺の横に腰を掛ければ小さく息を漏らす。
「北支部は寒くてどうも慣れん」
「とかいいつつちゃんと10分前に会議室に来てるから有坂は査察官の鑑だと、私は思うのだがな」
「冗談言わないでくださいよ香椎さん、それに査察官は刹那だし」
そう言いながら有坂は親指で竜宮寺を指差す。
「そうだ刹那、今日はこれから一旦中央支部に戻って報告に行くからな」
「えぇ、中央に戻るの。私あそこ嫌いなんだけど」
と竜宮寺はめんどくさそうな顔をしながら両手でお茶をすする。
「実原、私達も今日は少し大きな仕事がある。泊まりがけの準備をしておけよ」
「泊まり…?」
実原は進めていた箸を止めて香椎の方に視線を向けた。
「そっちのことは任せたぞ」
「ああ」
「先日増田の持っていたカセットテープの解析が終わった」
「カセットテープ…」
香椎は懐からビニール袋に入ったカセットテープを取り出してテーブルに置く。
「裏カジノ、というものがクアトロガービア内に存在するらしい」
と言いながらカセットテープの内容を文章化した資料を配っていく。
「…裏カジノでの事情聴取の内容か何かか?」
先日の作戦で怪我を負い頭に包帯を巻く国沢が資料を片手につぶやく。
「恐らくトラブルが起こった際の記録か何かだろう。カセットテープにしているのもそのデータが残らないようにだろう」
「この内容見る限りだと変なところは何もないように思うのですが…」
資料をマジマジと見ていた根谷がちらりと香椎に視線を向けた。
「そうだ、その内容自体なにもないのだが実際その会話の後ろで別の電話の内容のものがあってな。すぐに消えるから部屋を出たと思われるのだが、そいつはたしかにこういったのだ」
実原は資料の一番最後の紙を睨みつける。
「はいこちら、フェンリル。と」