七話 シンシア
私が目を覚ますと、そこは見知らぬ天井。
何枚かの板を張り付けた木製の天井は所々が腐食し、朽ちていた。
辺りはやけに静かで、なんだか湿った木のにおいがする。
「うう、……ここは……?」
「っ! ちょっと待ってて! 朔ちゃんが起きた~~!」
目の前に座っていたらしいノアちゃんは大きく目を見開くと
大はしゃぎで外に居るであろうロードを呼びに行ってしまった。
どうやら、ここは古い小屋の中みたい。
戸すら無い小屋に入ってきたのは
さっき出て行ったノアちゃんとロード。
そして、見知らぬ女性の姿だった。
宝石のように綺麗な碧眼。
しなやかで艶のある長く鮮やかな金髪。
そしてその髪から覗かせる長く尖った耳。
凛とした雰囲気がその上品さを際立たせる。
身長はロードとあまり変わらないほど高く、細いモデル体型。胸も大きい。
緑色の服を羽織り、上は革の装備、下は薄緑のスカートに革靴。
両腕に茶革を巻き付け、革手袋の上、左薬指に銀の指輪を付けている。
背中には白い骨のような大きな弓とたくさんの矢を背負っていた。
「えっと……その人は?」
目で誰? とロードに合図すると、女性が一歩前に出る。
「私はシンシア。あなたが無事で良かったわ」
クールで落ち着いた口調の中にも優しさが垣間見えている。
間違いない。いい人だ。
それにロードと同様、精霊界でも言葉は通じるみたいで良かった。
「私は朔桜です。えっと……一体何がどうしてここに?
そういえば、赤いドラゴンと戦っていたような……」
記憶を辿り、思い出そうとする。
そうだ。ロードと赤竜の攻防の最中
竜の吐いた甘い匂いを嗅いで……それ以降の記憶がまるで無い。
「お前は半日寝てたんだ」
「嘘っ!? 半日!?」
慌てて外に出て確認すると
透き通った空に輝く星々と大きな緑月が空に浮かぶ。
「ほんとだ……」
辺りにはこの小屋と同じような古い小屋や
完全に倒壊した家屋がたくさんあった。
「シンシアお姉さんがね、この廃村まで案内してくれて、お薬飲ませてくれたんだよ。
もし飲んでなかったら、朔ちゃん今頃あいつの餌だってさ」
「餌っ!?」
怖い言葉を聞き、シンシアさんに何度も何度もお礼をする。
まさか精霊界に来て早々死にかけるとは。
身がぎゅっと強張る。
「今回は倒しそびれたけど、次は絶対に仕留めるわ」
シンシアさんは険しい表情でギュッと拳を握る。
その表情には簡単には言い表せない大きな感情が籠っていた。
でも、追い払ってくれたなら一安心だ。
「シンシア曰く、あいつはやたらタフでまだ生きているらしい。今後も要警戒だな」
あのロードですら手こずるなんて。
異世界の生物の恐ろしさに驚くばかりだ。
四人が円となり腰を下ろす。
私が起きるまで深い話はせず、シンシアさんは追加の薬を取りに。
ロードは周囲の見張りに。
ノアちゃんは私の様子を看てくれていたらしい。
ここから本題に入る。
「さて、シンシア。お前にこの世界について聞きたいことが山ほどある。覚悟してくれ」
「構わないわ。私も聞きたい事が沢山あるし。ロード……でよかったわよね?
じゃあ、まず先に私があなた達に聞かせてもらうわね。なぜあいつと戦っていたの?」
あいつとは今朝戦った赤竜の事を指しているのだろう。
「村を探して飛んでいたら急にあの赤竜が突っ込んで来た。だから戦っただけだ」
「ストロベリアルの領空を飛んだのね、それは執拗に狙われる訳だわ」
「ストロベリアル?」
ロードが聞き慣れない単語を繰り返す。
「“精霊女王の忘れ形見”。誘香粘竜 ストロベリアル。
貴方たち知らないの?」
「知らん。まずそれを細かく話してくれ」
ロードの言葉の後にシンシアさんは私とノアの顔を交互に見る。
私たちも首を縦に振ると、呆れ果てた顔をして溜息をつき話を続けた。
「まず、精霊女王とは数千年以上も前にこの世界を支配していた女王の事よ。
大量の精霊と精霊獣を自らの能力で産み出し、この世界に混乱を与えた存在。
その中でも、六体の精霊は神にも匹敵する力を持っていた。
産み出した我が子のうち、四体を自ら喰った正真正銘の化け物。
今はもうこの世界にはいないから精霊女王の残した精霊と精霊獣を
“精霊女王の忘れ形見”と呼んでいるの」
「あの赤竜がソレか」
「そうよ。未だに顕現する忘れ形見の上位格“喰者”一角。誘香粘竜 ストロベリアル。
空を支配する精霊獣よ。奴から出る赤い粘液は生物を狂わす匂いを発しているの。
エナジードの量が少ない者は簡単に支配され、ストロベリアルの匂いを追って彷徨い歩き、そしていずれ捕食される。
三人の中で唯一、貴女だけが支配されちゃったみたいだけど」
シンシアさんは私を見る。
そっか、餌になりかけてたのは私だけか~。
「俺はエナ値が多い。そして、ノアは生物じゃないからな」
「生物じゃない……?」
「うん!」
その言葉に引っかかったのか
シンシアさんは怪訝な顔でノアちゃんを見つめる。
ノアちゃんはニコニコしてるだけで自身の存在を明言しなかった。
「あ、あの! お薬で治してくれたんですよね! ありがとうございました!」
この変な間を利用して言い忘れていたお礼を言い、深々と頭を下げる。
「いいえ、あの……身体……問題ない?」
「え? 特にないですよ?」
「そう! 後遺症が残らなくて良かったわ……」
シンシアさんは心底安心した様子で息を漏らす。
ん? 今不穏な単語が聞こえたような……。
「あの、後遺症って……」
「言ってもいいのかしら?」
シンシアさんは焦りながら二人に確認を取る。
え、なに。こわい。
「やめとこうよ、きっと朔桜ちゃん怒るよ?」
「聞こえてるけど!? 何っ!? 言ってよっ!?」
目を逸らす二人に代わりロードが口を開く。
「なに、この死苦草という草を大量に煎じて飲ませれば
お前の目を覚ます事ができるが、気絶するほど苦いし
後遺症が出る可能性もあるし
運が悪ければ、最悪死ぬと言われただけだ」
ロードが懐から出したのは、二つの可愛らしい白花が付いた草。
そんな凶悪な草には思えないのが、逆にゾっとする。
異世界……恐ろしい。
「私、運が良くて良かったよ……」
衝撃の事実だ。
静まり返って重苦しい雰囲気の中
ロードがシンシアさんに問いかける。
「随分と説明してもらって悪いが、精霊界の事を聞きたい」
「いいわよ、夜は長いし」
「ノアは眠い……ふわぁ」
ノアちゃんは大きな欠伸をすると横になってしまった。
人工宝具ながらこういうところは子供と変わらないみたい。
私とロードは二人でシンシアさんから精霊界の詳しい話を聞いた。
精霊界は四つの世界の中でも、一番生命に溢れ、何億種の多種多様の生物が暮らしてる。
精霊界の生物は他の世界の生物よりも比較的身体能力が高いのが特徴。
その一方、文明的には進んでおらず、人間界や魔界よりも文明は低いみたい。
主に木や皮、蔦を編んだヒモなどを使用して生活していて
生計は農業、畜産、採掘、採取、狩り、漁業、建築
そして、装備、武器、薬などの製造や荷運びが主流らしい。
家は基本的に木造で種族ごとに集落を作り共存しているとのこと。
「なぜこんなにも村が無いんだ?」
「ここは辺境の土地だからね。もっと川の近くに行けばたくさんあるわよ」
「シンシアさんは、どうしてここに?」
「たまたまストロベリアルが一目散に飛んでいくのを見かけてね。
倒そうと思って村から追って来たの」
「自らあの赤竜と戦おうなんて物好きなハンターだな」
「私の目的は忘れ形見の殲滅と不穏分子の捜索なの。
貴方たちはなぜこんな辺境地に?」
「俺たちは世界の門からこっちの世界に渡って来た」
「……嘘っ!? あの門から!? あそこは巫女の結界で封じられてるはずなのに……。
貴方たち……何者なの?」
「私は人間です」
「ノアは人工生命体~」
あ、ノアちゃん起きてたんだ。
「俺は魔人と人間の混血だ。
俺たちは影の生命体……人間界を滅ぼす脅威を追ってここまで来た」
その言葉を聞いてシンシアさんの表情が険しくなる。
「それってもしかして、陽炎の様に揺らめく影?」
「まさか、知っているのか?」
「私が追っているって言った不穏分子……それがその影よ。
そいつが現れてから、ここ周辺の忘れ形見たちの行動が活発になったの。
その究明のためにその影を追ってるのよ」
「そうか……。俺たちも奴を追って遥々この精霊界まで来た。
互いに目的は一致している。
シンシア。提案なんだが、俺たちと組まないか?」
「えっ!?」
私は声を上げて驚いた。
「なんだ? 恩人相手に不満があるのか?」
不満がある訳がない。
でも、ロードがこんなに素直に協力を求めるなんて正直以外。
それだけシンシアさんを認めていることなのだろう。
Drの時もそうだったけど、優秀な相手には迷わず協力関係を求める人だった。
いや、魔人だった。
「私ももちろん賛成だよ! シンシアさん! どうですか?」
彼女は顔をしかめた後、ゆっくりと口を開く。
「私は……」
「俺たちはこの世界の事柄に疎い。
お前が同行してくれれば、今朝のアクシデントの対応含め、
気兼ねなくこの世界で奴を追う事ができる。
それに、俺はお前と同等程度の力を持っているな?
こっちのノアは十分戦力になる。
おまけも居るが、それでも余りある戦力だ」
「おまけって……」
文句はあったが話が逸れるし、そんな空気感じゃなかったので
大人な私は空気を読み静かにしていた。
「でも……」
彼女は何か言おうとしていたけど、その言葉を呑み込んだ。
「いえ、なんでもないわ。……喜んでお受け致します」
こうしてシンシアさんが私たちと行動を共にする事になったのだ。




