八十七話 嫌な過去(過去編)
咲の過去編です。
うちの一文字家は“六大神宮ろくだいじんぐう”とかいう“人魔戦争”で身を粉にして戦った功労の名家やった。
簡単に言えば、良いところのお家柄で育ったわけや。
両親は一人っ子のうちに“六大神宮”を継がせるべく育てていた。
中学校には行かされず、全ての事柄は家の中で完結している籠の中の鳥。親の操り人形。
毎朝早朝からその道の講師が呼ばれる。
礼儀作法は当然として、座学、三道の茶道、華道、書道なんかも嗜んだっけ。
この辺は言われた嫌な事を言われた通り嫌々するだけやったし、全然おもんなかった。普通に苦痛やった。
その中でも、うちが唯一好きやったのは、抜刀道。
これだけは、両親もごちゃごちゃと口出ししてこうへんかった。
だってうちが家族で一番強かったから。
でも、あの事件が起きてくれはった。
いつも通り道場で抜刀の鍛錬をしていた時や。
道場の入り口が突如砕け散った。
「ここかァ?」
入り口から顔を覗かせたのは、チンピラみたいな下品な柄のシャツを着た二足の蜥蜴。
うちは何度も聞かされていた魔族ってもんがほんまに存在するんやと感動したもんや。
シャツの下からチョロチョロ動く尻尾を物珍しそうに目で追っていると抜刀のお師匠が血相変えて飛び出した。
名前は……なんやったけ? 忘れてもうた(笑)。
まあ、ええか。そのお師匠は、ほんまもんの刀携えて、蜥蜴に向かって行くと一気に間合いを詰め、刀を抜く。
でも、うちにはどうなるか結果が見えていた。
だって抜刀速度が亀さんかて思うほど遅いんやもん。
聞こえてきたのはお師匠の悲鳴。
腕が根元から捥げて転がっとった。そりゃ痛いわな。
大の大人が叫んだと思たらすぐに黙った。
先細った蜥蜴の尻尾がお師匠の頭部を貫いたんや。そりゃ死ぬわな。
脱力した肉塊から尾を引くと蜥蜴はうちの事を見た。
爬虫類は割と好きな方やったんや。庭とかにたまに出るけど艶があって可愛かったし。
でも、人ほどにデカいと話は別や。率直にキモいしか感想が出ぇへん。
うちは竦んでもうてた。腰が抜けて、手も足もまるで動かん。
それは本物の魔族が出たからなのか、お師匠が血だるまで死んだのか、蜥蜴がキモかったからなのかはハッキリとは覚えてへんけど。
蜥蜴はうちを見ると確信しているかのように質問を投げてきた。
「世継ぎの一人娘。宝具の場所教えろ」
答えは知ってる。母屋の地下室。何重にも結界が施された扉の中。
この蜥蜴は宝具を狙って来たのだろう事は若いうちでも容易に想像がついた。
でも、ビビって声が出やん。
「おい! 答えろッ!」
騒々しい足音を道場に響かせて入って来る。
この瞬間、死の恐怖よりも好奇心が勝った。
お師匠は死んだけど、うちなら勝てるんやろか~って。
気が付いた時には身体が勝手に刀を携えてた。
「小娘ってのはどういつもこいつも調子に乗りやがるッ!」
尻尾がこっちに振られたのが見えた。
でもお師匠の頭貫いた先端ではない。
尻尾の側面を鞭のようにしならせて打つ気だと理解したら気持ちが軽くなった。
あぁ抜刀が通じなくても死にはしないと。
その刹那。うちの刀が尾を真っ二つに切り裂き、胸元までしっかりと刃が届く。
しかし、蜥蜴は用心深く、強固な鎧を着込んでいたみたいで、刃は身まで入らんかった。
尻尾で勢いを削がれたのと、うちの抜刀術が未熟だったのが原因や。
尾が裂かれ、絶句した蜥蜴は遅れて身を仰け反らす。
「きっ……貴様ァ!!」
爬虫類らしい瞳孔がキュッと縦長に小さく引き締まると
鋭い爪がうちの衣服を引き裂いた。
「俺の尾はよぉ! 生まれてから一度たりとも自切した事ねぇんだよ!!」
そのまま雑にうちの首顎を鷲掴むと、吐息の掛かる距離で息を荒らげていた。
近くで見るとほんまもんの恐竜。迫力がちゃうわ。
「てめぇはこの場で犯して、殺して、喰ってやるッ!」
脅すようにうちの未来を蜥蜴は宣言し、先端が二つに裂けた舌を伸ばす。
外界と遮断された箱入り娘が初めて容赦ない大人の悪意に触れた。
その初めての出来事に興奮した高揚感から口が動き、言葉が勝手に飛び出す。
「舌と尻尾と……お揃いやな……」
蜥蜴の現状を揶揄すると人を越えた力で
うちの後頭部を道場に叩き付けた。
道場と脳内に鈍い音が響く。
後頭部を強打されたせいで意識が朦朧とする。
仰向けのうちの四肢を抑え付けられているのか。身動き一つ出来ない。まあええか。
自身の教科書に抗うなんて選択肢が無かったうちは、流れに身を任せる事にした。
「ギバエフ。隠密に済ませと言ったはずよ。お前が扉を派手に壊したせいで魔力高い者たちが集まってきている」
うっすらと若い女子の声が聞こえる。蜥蜴以外にも誰か居たようだ。
「うるせぇよクソガキッ! てめぇみてぇなガキの下に付けられてこっち色々溜まってんだッ!」
仲間ではないのだろうか。明かに悪態を衝いている。
「私に向かってその態度……改めろ。殺すぞ」
蜥蜴とは比べものにならないほどの殺意が冷たい波のように足元から突き刺さる。
「…………ちッ!」
蜥蜴は舌打ちするとうちを抱えて立ち上がった。
素早く壁を駆け登ると器用に屋根へと飛び上がる。
「咲様が攫われた! 侵入者を逃がすな!」
兵たちが追って来ていたが追いつけそうな者はおらん。
情けない事にあっという間に捲かれてしもうた。
それっきりで重い瞼に抗うのをやめた。
今後の展開は予想出来る。もう視界の情報は不要やと思った。




