八十三話 暗躍
一寸先も見えない闇の中。
物音一つ響かない静寂。
まるで秩序から逃げるような
世界に叛逆するために創られたような
上下も左右も狂うような虚無の異空間。
「ご……ご報告に参上しました!」
気が狂いそうな中、声を震わせ、黒い空間に膝を付く黒い鎧の男の名は
水都市スネピハの二区衛兵長サビー。
「お帰り、サビー」
声を掛けたと同時に姿を現したのは、雰囲気柔らかな暗紅色の短髪の青年。
魔人メサ・イングレイザ。
「彼らは精霊王にちゃんと勝てたんだね。良かった、良かった。
なら、朔の日、精霊神との戦いも安泰かな?」
「そ……それなのですが……」
「?」
口籠るサビーの様子にメサは首を傾げる。
「精霊王アーガハイドを討ち果たしたのは、あの異形種、シンシアでして……」
「あっはっはっはっ! 現地の駒も取られ、約束も破られるなんて傑作!
メサ、あんたってホント無能ね!」
暗闇からサビーの報告を聞いた女の笑い声が響く。
「うるさいよ、痴女。
君だってあの姉兄に散々滅茶苦茶にされたらしいじゃないか。
人の事をバカに出来る立場かな?」
返された言葉が癇に障ったのか、女は舌打ちを鳴らす。
「はぁ? 何口答えしてんの? こっちは魔界のあの連中を相手にしてんの。分かる?
雑魚でシケた精霊界の連中を相手にするのとは比較にならないの。分かる?」
強い口調でメサを責め立てる。
「言い訳、見苦しいよ?」
メサが軽い口調と笑顔で煽ると、黒い炎がメサの周りを囲う。
「メサァ! あんた私と殺り合う気?」
触れずとも身を焦がすような灼熱の炎が迫る中、一切表情を変えず、毅然と佇むメサ。
女の問いに答える気はないようだ。
「もう止めろ。お前たち。見苦しい」
一言一言ハッキリと発音した男の声が二人の諍いを窘める。
「そ、そうだよ……私達、仲間でしょ……」
今にも闇に消え入りそうな弱々しい女の声も二人を止めに入った。
だが、諫められたのが癇に障ったのか、口調の強い女が食ってかかる。
「はぁ? 止めろだ? 仲間ぁだ?
何寝ぼけた事言っちゃってんの、この堅物といい子ちゃんわぁ?
私達はただ目的が一緒なだけの対等な存在。それ以下でも以上でもない。分かる?」
「うぅう~……」
強い口調で責め立てられ、気の弱そうな女の方は委縮する。
「あまりそ奴を刺激スルな。この場の全員が死にカねぬ……」
年老いた男の声がそれ以上の発言を止めさせた。
「すまなかったね、サビー。内輪の話に立ち会わせてしまって」
「い……いいえ」
サビーはメサの言葉に返事をするのがやっとだ。
何せこの異様な空間には、精霊王と同等以上の力を持つ真の化け物たちが五体も集っている。
身の震えが止まる訳がない。
「はぁ……。彼の力を2%しか解放しなかったのが裏目ったかなぁ。
それにしても、あれだけ念を押したのに、約束を破るなんて天邪鬼な奴だ。
人間界では優秀な人材を奪われたらしいし。
流石、あの狂雷王の子供だよ……」
メサが小言を口にしていると異空間が侵食され
不確かで不完全な禍々しい影が現れる。
「ああ、お帰り■■■。
今から少し計画を練り直したいんだけど、時間はあるかい?
鵺を使って精霊神と戦わせるようには仕向けられたけど
どうも今のままじゃ、アレに挑むには少々力不足かもしれない」
「可?F#」
「よかった。悪いけど、君はもう還っていいよ」
メサはサビーに手で掃けろと合図を出す。
「は……はい、し……失礼します……」
影が再び異空間を侵食して中へと消えるとメサも後に続く。
同時に横目で暗闇に潜む女に目で合図を出した。
「あはっ! そうこなくっちゃ!」
女は上機嫌な声を上げる。
その瞬間、立ち去ろうとするサビーの背後から一瞬で黒い炎が迫り、彼を取り巻いた。
この世のどの炎よりも熱く、痛く、死後の魂をも焼き尽くす地獄の炎。
未来永劫消える事の無い魔神の黒炎。
「ど……どうしてぇ――――」
サビーの鎧の隙間から炎が水のように入り込み
その身だけでなく、魂をも永久に永遠に焼き尽くす。
燃焼というよりも分解に等しくサビーは跡形も無くこの世界から消えた。
損傷一つなく残ったのは、相手の想像力で変化する鎧。
宝具【鎧威厳】だけ。
鎧がカラカラと転がると女の高笑いが無の空間に響いた。
「私たち“九邪”を前にして、生きて帰れる訳ないでしょぉ? 分かる?
いや……もう、分からないかぁ」
女の言葉を最後に再び、虚無の空間には静寂が戻った――――。




