八十一話 永き戦いの結末
エルフの女王 シンシア・クリスティリア。
彼女の能力は星を司る《星奏調律》。
火の精霊デネブ。
風の精霊アルタイル。
雷の精霊ベガ。
地の精霊ベテルギウス。
水の精霊シリウス。
樹の精霊プロキオン。
この世ならざる神域の力が宿る精霊の最上位格
“六星”を使役する精霊人。
千二百年前、精霊王アーガハイドとの闘いの果て
苦渋の決断でベテルギウス、シリウス、プロキオンを消費する最大級の精霊術により
見事、精霊王アーガハイドを討ち果たした。
だが、同時に、シンシアの地、水、樹のエナ回路を焼き切り三つの属性を失い
“六適者”ではなくなった。
シンシアの精霊装備『母天体』は、カウルと精霊界を旅する時に出会った
異星からの流浪の女神がシンシアのためだけに創った
月が満ち、高く昇るほどに力を増す特別な弓。
格としては宝具と同等。まごう事無き、神具の弓である。
常人の筋力では弦を引く事すらできない。
右手で引けるようになるまでに血の滲むような練習を幾度となく繰り返してきた
シンシアこそがこの弓の唯一の適正者である。
対するは、精霊人ながらも精霊人を憎み、精霊、精霊獣にその命を懸けた男。
精霊界を一度統べた三つの能力を有した精霊王アーガハイド。
《生命の拒散》は命あるモノを跡形も無く消し去る光。
《王の号令》は精霊、精霊獣を意のままに操る支配の力。
《現世凱旋》死しても再び精霊界へ転生する能力。
だが、それには代償が伴う。復活した新たな身体は機能が一部停止する。
それによりアーガハイドは表情を表す事が出来なくなり、
左手からの能力の使用も不可能となっている。
千二百年前で互いに失ったモノは大きかった――――。
月が昇って既に長い時が経った。
夜は更け、空気がひんやりと澄む。
灯された松明は既に消え、月明りのみが王城を照らす中、
シンシアとアーガハイド、二つの閃が互いの命を奪うべく、しのぎを削ってぶつかり合う。
肉弾戦に合わせ、相手の隙を窺い互いの能力を打ち放つ。
アーガハイドの無数の光体が城内を飛び回る。
生命を、精霊人を拒絶し、命を散らす消滅の光。
対するは星風の矢と星雷の矢。
アルタイルの加護の宿った矢の一撃は光をも吹き飛ばし
ベガの加護の宿った鉄の矢は雷を放ちながら相手を穿つ。
まさに一進一退の生死の攻防。
その速度たるや、常人の視界には映らない未知の次元。
即死級の力を持つ者同士の強者と強者の本気と本気の殺し合い。
「全盛期の勘を取り戻してきたか?」
呼吸一つ乱さないアーガハイドが冷静に問う。
「そうね、少し腑抜けが治ったかもしれないわ」
シンシアは息を乱し、汗を拭いながらも笑みを浮かべる。
「それでよい。互いに神域に至らぬよう、可能な限り調整を施している。
以前よりも、より良い闘いが出来るというもの」
「ここなら巻き込む者は誰もいない。私の全力を出せる」
「それは我とて同じ。精霊、精霊獣は下がらせた。拒散でこの地の精霊人を全て無へと還してやろう」
「精霊や精霊獣には随分とお優しいのね」
「我の理想に無理を強いて協力させている身ゆえ、罪なきモノを巻き込み殺す通りは無い」
「その気配りを少しは精霊人に向けられないものかしら?」
「抜かせ。存在が害悪の精霊人に向ける慈愛などは持ち合わせておらぬ」
問答の直後、拳を交わし、互いは命を狙い合う。
「消えよ」
アーガハイドは近距離で手から光を放った。
背後に控えていた光の球も一斉にシンシアを狙う。
「デネブ! アルタイル! ベガ!」
炎、風、雷が光とぶつかり合い一気に弾ける。
爆発的な衝撃波で王城は派手に吹き飛んだ。
屋根も柱も部屋も何もかも。
辛うじて残ったのは、王城を支える平坦な基盤だけ。
あらゆるところが罅割れて、いつ崩れてもおかしくない状態にある。
今のぶつかり合いでも、互いに健在。
少しの沈黙が限界の緊迫感を伝えているかのようだ。
今二人が立つ場所は、なだらかな傾斜のある水都市スネピハの王城箇所。
この辺りで最も眺めが良い。
街の灯りもほどんどが消え天の星の煌めきと巨大な緑月がこの場を照らす。
広大なの天体が何モノにも遮られる事なく一望できる。
アーガハイドは月の光を全身に浴びるかのように両手を広げ、天を仰ぐ。
「見よ、この天井を。これが本来あるべき精霊界の姿。
精霊人の手が加わらぬ、至宝の天よ。精霊人が汚す前の尊き姿よ。
ああ、嘆かわしい。我が身も精霊人ながら、人の世が嘆かわしい」
「これ以上の文句なら私じゃなくて精霊人を創った創世神にでも言ったらどうかしら?」
「名案だ。貴様を殺し世界を正しく統べたのち、神々を断罪するとでもしよう」
アーガハイドは最後にして最大の光を一点に集めた。
煌々と輝く光は痛々しい光ではない。中心の光は純白の光。
その周りを漂う赤と青の不気味なオーラが何重にも揺らめく。
言い現す事の出来ない異様な光だ。
視界に映る以前に、光は空間をすらを歪めている。
「名は“恒”。凝縮された我が力は
既に我が身から隔絶され、自然に発生した神域に至る脅威となった。
この世界の全ての生命を無に帰す事も容易である」
「なるほど。それが貴方の奥の手ね」
シンシアは恐ろしく冷静だ。
「覚えているかしら。精霊王」
シンシアの余裕の語らいにアーガハイドは訝しげに睨む。
「千二百年前の一度目の闘いは、こんな月夜。
そしてついこの間、二度目の闘いは日の出の朝。
そして今、三度目の闘いはこんなに澄んだ夜」
「して、何が言いたい?」
「夜の私は些か強すぎる。恐らくこの世界で一番」
「ふん……戯言を」
鼻で笑ったアーガハイドとは対照的にシンシアの目は嘘偽りの無い本気。
「私は臆病なの。彼が消えるところを見て、彼のようになってしまうのが怖かった。
想像もしない力を知って、神域に触れてしまうのが怖かった。
故に力の制御が出来ない、私自身が怖かった。
だけど貴方が全力で私と向き合うというのなら、私もそれに応える。
私はずっと貴方を誤解していた。
自分勝手な平和を押し付ける独裁者だと思っていたわ。
だけど、貴方も同様に目指す平和があった。
精霊、精霊獣からすれば、貴方は王を名乗るに相応しいのかもしれない。
でも、私たち精霊人はそれを否定する!
悪戯に種を滅ぼす貴方の行為を容認できない!
貴方の目指す平和は私が真正面から打ち砕かせてもらうわ!!」
精霊王はその宣言に初めて目の色を変えた。
「よくぞ言った! シンシア・クリスティリア! なれば、我が覇道を阻んでみせよ!」
精霊王は風の精霊術で宙へ昇り、手を振り下ろした。
消滅の滅亡の光が大気を、空間を揺るがして落ちてくる。
空間はねじ曲がり、膨大なエネルギーが肥大化してゆく。
その圧倒的な光を前にシンシアは一歩も退かない。
「道は違えど、同じ志を持った貴方に最大の敬意を」
シンシアは真の力を解放する。
その身に秘めたエナを精霊装備『母天体』へ流し込む。
神が創りし、その弓はもはや、一つの星。
確立した一つの惑星に等しい莫大なエネルギーを有している。
「星々よ……我に命を捧げたまえ……」
風の精霊アルタイルが呼応し、その生命を賭し一本の矢に宿る。
「その命尽き果たし 今ここに、偉大な存在を示せ!」
生命の輝きがその一撃に燃える。
「全てを 塵へ!!!」
星の莫大なエネルギーがアーガハイドの“恒”を呑み込んだ。
「至らぬ、か」
一言呟いたアーガハイドから五感が消えてゆく。
音が消える。
視界が消える。
感覚が消える。
エナが消える。
そして、存在が消える。
超絶爆破の矢。興隆の矢。
天が裂け、空気が荒れ、地が轟き、空間を歪ませた。
その威力たるや、
一撃は、四世界の一つを跡形も無く消滅でき。
一撃は、神域に至る。
一撃は、神々をも討つ。
そんな途方もない力であった。
「アルタイル、今まで支えてくれて本当にありがとう。
そして、さようなら、精霊王アーガハイド。
貴方の心が折れていなければ、貴方が変えなくても良いと思える程
良くなった精霊界で、数千年後に逢いましょう」
雲一つない満天の宙を仰ぎ、シンシアは独りでに呟いたのだった。




