七十六話 もう絶望はさせない
俺には見える。
この剣から溢れ出る禍々しく吐き気を催すような恨みの念。
鬼人からも同様に同じような嫌な気配が漂っている。
怒りや憎しみ、後悔に懺悔。黒い感情が渦巻いてやがる。
当初の『骨断』持ち手、セルヴィスは最後に言っていた。
「意識を飲まれたが最後。もう戻って来れなくなるさぁ」
あのレグルスが呑まれるほどの闇。
それに臆して今まで使ってこなかったが、正直なところこれに頼る他に方法がない。
余裕をこいてはみたが、何度魔術でダメージを与えても
回復する鬼人を相手に、これ以上使える魔力はない。
倒さなきゃならねぇ奴はこいつだけじゃない。
精霊王アーガハイド。あいつがまだ残っている。
あいつには初戦の森で右足を折られ、二回戦目の城では左脇腹を砕きやがった。
こっちも初戦では右腕を落とし、二回戦目は右目を潰してやったが、まだ気が晴れない。
実力は互角に近かったが、なんとも言えない胸騒ぎを感じ
痛み分けのまま俺は直感的に城を飛び出した。
道中で死にかけのシンシアを見つけたが、城を出る時ついでに拾った女に任せて
ここへ急いで来てみれば、朔桜が死ぬ寸前だったって話だ。
この色白野郎も相当に強いのは初見で分かった。
だが、俺の連れ共をいびった分は数倍に乗せてやる。
「さあ、“五魔剣”。俺に力を貸せ!」
魔剣を両手で構えると、激しい負の感情が両手から脳に一気に流れ込む。
「っ――――!」
「助けて」
「殺さないで」
「痛い」
「許さない」
無数の怨嗟や怒りなどの
負の感情が脳をどす黒い靄みたいなもので覆ってくる。
「なるほどな……不快極まりない剣だ……」
これを正気で振り回している奴らの気が知れない。
どんな頭してやがるんだ。
「ねぇ、助けてよっ!!」
「お母さんを殺さないでっ!!」
「目が痛いよっ!!」
「お前は……許さないっ!!」
数千の黒い感情に押し潰されそうになる。
想像以上だ。
これは生半可な覚悟で手に取るもんじゃなかった。
「ぐっ…………」
両手が魔剣から離れない。
一度魔剣と向き合ったが最後、使う度に魔剣と戦い続けなきゃならないって事かよ。
別の事を考えた瞬間、濁流のように黒い感情が流れ込み脳内を蝕む。
次第に五感が奪われていくのが分かる。これはもう抗えない。
ヤバい。完全に意識を呑まれる――――。
「平気、ロードなら勝てるよ」
脳内に静かな声が響いた。
氷が溶けるかのように末端部分から徐々に五感が戻ってくると
暖かい手が俺の冷たい手を包み込んでいた。
幼い頃、幾度と感じた安らぎと安心感。
覚えがある。
「――――母さん?」
俺としたことが、懐かしい感覚にいつの間にか声が漏れていた。
傍らで俺の手を支えていたのは、朔桜の小さな手だった。
「ロード、もしかして寝てた? 定番なボケ方しないでよー」
朔桜が緊張感もなく笑う。
それに異を唱えようとすると気付いた。
あの押し寄せていた深い闇が、悪意がいつの間にか晴れている。
綺麗さっぱりと無くなっていた。
どうやら、またこいつに助けられたらしい。
「行ける?」
朔桜は真剣な目で俺に問う。
だから俺はその問いを軽く返す。
「誰に言ってんだ」
そう言って片手で大剣を振る。
頭に纏わり付くモノはもう一切ない。
「待たせたな」
鬼人に向き合うと奴も相応の武器を用意していた。
「構わん、当も相当なモノを造っていた故」
奴の手にあるのは細く長く伸びた白い結晶の刀。
「三天結晶刀。
人造天使最強Ω種三体の遺伝子で練り上げた至高の一刀だ。
これに勝るモノはどの世界にも存在しない!」
「……」
「どんなに抗おうと無駄と分からぬバカ共ばかり」
「……」
「当に遠く及ばぬというのに幾度となく、当の前に立ち塞がりこのザマだ。
精霊人という存在が哀れになる」
堂々と言い切る鬼人を見て
俺はあまりにもおかしくて鼻で笑う。
「言い残す事はそれだけいいか?」
「何?」
「死ぬ前に言い残す言葉は、それだけでいいのかって言ってんだよ」
深々と溜息をつく。
こいつは確かに身体能力的には強い。
だが、知能が未熟だ。
あまりにアホな発言に俺は飽きれた。呆れ果てた。
こいつ、今の状況を何も理解していないらしい。
「こいつらの行動が無駄? まるで分かっちゃいない」
「何?」
「こいつらは格上相手に戦いから逃げなかった。
そして、犠牲を出しながらも多くの無力な民を逃がした。多くの命を救った。
死してなお、誇るべき行いだ。
こいつらは“戦い”には負けたかもしれないが、“勝負”には勝った」
さっきまで怪訝な顔をしていた鬼人は、表情を変え盛大に笑いだす。
「この状況を見て何を言っている。気でも狂ったか?
当に手も足も出ず仲間を殺された無様な者共だ。
そんな奴らが勝負に勝っただと? 何を根拠に――――」
「俺がここに着いた。
それ以外に理由は必要か?」
堂々と言い切ると鬼人は額に筋を浮かべ怒りを露わにする。
「もういい。話にならぬ。貴様の世迷言はもう十分だ!
その過剰な自信を抱いたまま死ね! 人間!!」
刀を構え、駆けて来る鬼人。
こっちは負傷まみれの満身創痍。
少し呼吸を整えるだけでも、激痛が脳を刺激する。
雷使いってのは感覚に優れすぎているのが困りものだ。
痛覚の伝達力も半端じゃねぇ。
背には朔桜が居て、他に鬼人とまともに戦える奴もいない。
使った事の無い魔剣一振りにこの場全ての命を預けている状況。
ここで負ければ、全てが終わる。
全員が死ぬ。
だが、不思議と全く負ける気がしない。
いや違うな。
負けられる訳がないんだな。
これだけ足掻くに足掻いて生き残った奴らにもう絶望はさせない。
だから 俺は勝つ。
「消え果てろ、鬼人」
「――――――――――――――――」
静かで。
軽やか。
まるで斬った手ごたえのない魔剣の一振りが鬼人自慢の刀を軽々と打ち砕き
鬼人の脳天から肉体を真っ二つにぶった斬った。
「いち――――げき――――そん――――なァ――――」
鬼人は俺に呪いの言葉を吐く間もなく、大量のエナとなってこの世界から散る。
夜のスネピハは、周囲を漂う淡い黄緑色のエナの光に目映いばかりに照らされた。
そうか、俺は、たった一撃で鬼人を斬り捨てたらしい。
まるで魔剣が勝手に動いたような感覚だ。
勝った気がまるでしない。味気ない勝利だ。
「朔桜、エナを」
勝利の実感がなく、釈然としないまま俺は朔桜に合図を出す。
胸元のペンダントを親指と人差し指で摘み、宙に漂う大量のエナを一気に吸収。
エナで潤ったペンダントをこっちに見せつけ、満面の笑みを浮かべた。
「お疲れさまっ! ロード!」
「ふう」
その満面の笑顔を見てこれで一段落。
ではない。
「っ!」
俺は異変にすぐさま気が付いた。
鬼人のエナを吸収し尽くしたにも関わらず、周囲が明るい。明るすぎる。
日は確かに沈んだ。白夜ではない。
そう、異変は空にあった。
旅をしてきて何度も見上げたモノがない。
空が真っ白に塗り潰されている。
広大な水都市スネピハ。
その全土を覆うほどの規格外な規模の消滅の光が
上空にあるはずの澄んだ星空と、浮かぶ緑色の月を天を埋め尽くしている。
あれは忌々しい光。
生命を拒絶する拒散の光。
生きとし生けるスネピハの生命を根絶やす終焉が、静かに落ちてきた。




