六十九話 無慈悲な成体
瓦礫の中から現れたのは鬼ではなく、人の形をしたモノ。まさに鬼人だ。
身長は百八十程の青年と呼ぶにふさわしい姿。
額は開いた紺色のおかっぱ髪に一本の髷。
まるで人の様だが、ただの人の姿ではない。
色白すぎるくすんだ肌と二本の角。
鮮血のような真紅の瞳に牙のある大きな口。
右腕だけがやや大きく育っている。
汚れ一つない純白な着物に紅碧の帯を締め、裾が地面に着くほど長い黒と紺の陣羽織が風に靡く。
一国の王のような、先陣に立つ武将のような、堂々とした風格ある佇まい。
そして先と断然違うのはエナの質。
混沌としたエナではなく、濁りなく澄み切った真っ黒いエナだ。
「あいつ……精霊人になったのか……?」
キーフが小さく呟くと問いを返したのは対象本人だった。
「否。当は精霊人ではない。だが、精霊でも、ましてや精霊獣でもない。
幼体の殻を破り出た成体とでも言うべきか」
「っ! あいつ言葉をっ!」
意思疎通ができ言葉を交わせる事に驚くキーフ。
それを見て不思議そうに首を傾げる鬼人。
静かに歩みを進め、真っ直ぐに向かってくる。
「何を驚く事がある。当は精霊人も素材にしている。
言語という概念は初期から理解している。
旧態では話す器官が不足していただけの事」
饒舌に喋る姿はまるで精霊人そのもの。
「当はバルスピーチが複製結合した精霊獣、精霊、精霊人、天使全ての残留思念から産まれた意識の集合体。
遺伝子構造を元に特性全てを模倣できる」
自分の力を喋りながら、近づいてくる鬼人を警戒し、構える一同。
近づいて来る度に、臓器が押し潰されそうになるほどの圧迫感が支配する。
呼吸も自然にままならない。
「臆するな! ここまで来たらこいつを倒す以外に選択はねぇんだ!!」
ザギバの言葉で全員は正気に戻る。
この場に立った時から全員、覚悟は決めていたはず。
ここで勝たなければ、スネピハの人々に明日は無い。
突然家族や恋人、住む場所を奪われ、全てを無くし路頭に迷う。
そんな事はさせてはならない。
そんな理不尽はあってはならない。
一同の決意は一つに固まった。
恐怖を押し殺し、全員は目で合図を取り、息を合わせる。
「行くぞ!!!」
ザギバの合図が響いた瞬間だった。
「遅い」
先程まで数百メートルを歩いていた鬼人は突然、目の前に現れた。
服は全く乱れておらず、まるで最初から目の前にいたのかと錯覚する。
「っ!」
全員は後方に跳んで距離を取る。
「まるで動きが見えなかった……」
シュトロンが愕然と立ち竦む。
早々に圧倒的な差を見せつけられて一同は身が震えていた。
「すぐに殺すのも味気ない。当を進化させた褒美だ、貴様らには少し猶予をやろう」
「猶予……だと?」
ザギバが問うと鬼人は表情明るく両手を横に広げた。
「そうだ。今一度、我を追い詰め、倒してみせよ。
我を更なる高みまで押し上げてみせよ」
鬼人の雰囲気は鬼の時よりも殺意に満ちていない。
意志があり余裕がある。
いつでも一瞬にしてレオたちを殺せるが故の余裕だ。
だが、レオたちには有難い提案。
僅かにでも可能性が与えられたのだから。
「上等ぉーーー!」
皆が息を呑む中、一番最初に声を張り上げる少年。
「その鼻っ柱へし折ってやる!」
レオが鬼人に向かって真っ向から走り出し、拳を振り翳す。
「おぉぉぉぉぉ!!!!」
鬼人はかわす素振りも見せず、レオの打ち出した渾身の拳を額で受ける。
そして、口角を上げ静かに笑みを浮かべた。
「軽い。当の身体には微塵も響かん」
真紅の眼光がギラリと光る。
危機を察し、素早い蹴りが鬼人の腹を打ち、細く伸びた剣が腕を絡める。
硬化した地面が両足を潰し、大斧が頭を穿つ。
全員がレオのために迷わず攻撃を放ったのだ。
だが、鬼人は全くの無傷。掠り傷の一つも付いていない。
「こいつ、硬度が増している!」
シュトロンが驚くと全員は同時に振り払われた。
「悪い、助かった……」
レオは自分の手を痛そうに振る。
殴った拳の方が痛みを負ったらしい。
「あまり無茶するな。個々では到底敵わない。全員で協力して倒すんだ」
レオとキーフの話を聞き鬼人は笑う。
「どうした? もう諦めたか?」
「はっ! まだまだこれからだ、鬼野郎!」
「力を合わせれば俺らでも勝てる! ぜってぇにこいつを倒すんだ!」
レオの言葉に異論を唱えるモノはいなかった。
この場の全員が単体ではあの怪物を倒すのは、不可能だと判断し、理解している。
だが、全員が力を合わせればなんとかなると信じていた。
「行くぞ!!!!」
最初に動いたのはキーフ。
「精霊脚!!」
高速の脚で大地を駆け出し、激しい雷の連撃を打ち込む。
稲妻が迸り、轟音が轟く。
「…………」
連撃が止まった瞬間、シュトロンの剣術が炸裂。
「薔薇の瞬き!!」
鋭い刃が鬼人の全身を絡め縛り上げる。
「…………」
「アースレガ。。。!」
キリエの精霊術で地面が鋭く盛り上がり、尖った地面が捩じれながら鬼人の腹部を抉る。
「…………」
とどめはザギバの精霊装備『糧斧』の重い一撃が鬼人の額を打ち据えた。
「どうだっ!?」
鬼人は静かにその場に佇む。
まるで何事もなかったかのように。
「おいおい、嘘だろ……」
身体に傷は一つとして無く、つまらなそうに蔑むように冷たい目で全員を見下す。
「もう、貴様らでは役不足のようだ……」
静かに掌を広げ、一同に向けた。
その動作に危険を感じたザギバは、いち早く糧斧を地面に突き刺し防御態勢をとった。
「全員、俺の後ろに入れっ!!」
突き出された掌から大きな白い結晶が生成されてゆく。
「死ね」
そして、一気に解き放たれる。
大量の結晶が小さく打ち出され、弾丸の如く襲い掛かる。
小さいながらもその威力は一個一個が大砲並。
その圧倒的な攻撃を糧斧は大破と修正を繰り返しながらもなんとか耐えている。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!! 糧斧踏ん張ってくれ!!」
結晶の猛攻が止み、大地に残っているのは抉れた地面に突き刺さる糧斧。
そしてその後ろで難を凌いだ一同の姿があった。
「ほう、凌いだか」
手を降ろた鬼人が感心しているとキーフとシュトロンが飛び出す。
キーフが蹴りの連撃、シュトロンの鞭剣の俊敏な剣捌きを披露する。
だが、鬼人は防ぐ素振りすらも見せず、立ったまま何も反撃しない。
「精霊人は何度やっても無駄だと学ばぬのか?」
その態度は余裕どころか一同への哀れみすら滲み出ていた。
「こいつ……っ! 舐めやがって!」
キーフが腹を立てて攻撃を激化させるが、身体はふらつきすらもしない。
シュトロンの鞭剣を掴み、軽く振っただけでシュトロンは宙を舞う。
「僕を軽々と……」
足を掴まれたキーフも同様に投げ飛ばされた。
吹き飛ばされたシュトロンとキーフは地面寸前でなんとか受け身を取る。
「満足か?」
鬼人が呆れた声色で問う。
「まだだ!! 加足!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
足の速度を一足上げ、ひたすらに蹴り続ける。
「お前は全精霊人の脅威だ! 生かしてはおけねぇ!!」
キーフの熱い思いを乗せた蹴りは鬼人を打ち続ける。
だが、返ってきたのは、淡白な一言。
「くだらん」
鬼人はキーフの足を右の手で掴み、左手の手刀を流れるようにキーフの胸部に突き刺した。
キーフの背から突き出した真っ赤に染まった手を呆然と眺めるレオはただ一言だけ言葉を漏らす。
「え」
ほんの一瞬の出来事だった。
周囲が阻止する間も理解する間も皆無。
ただ、あるべき流れのように、当然のように
無慈悲な攻撃がキーフを襲った。
「ぐぼっ………」
キーフの口から大量の血が溢れ、地面に落ちたと同時にその意味を理解した。
誰が見ても分かる。明確な一撃。
一同は突然の出来事に絶句する。
ただ一人を除いて。
「いや……いやぁぁぁぁぁぁぁぁ。。。!!!」
妹キリエの痛々しい悲痛な叫びが
夜を迎えた静かなスネピハに木霊したのだった。




