六十一話 生命与奪の化身
前線にいた衛兵総長ザギバ、自警団長シュトロン、五区衛兵長ランデュネンは
溢れ出した濃い瘴気を毒と察し、口を覆う。
「おいおい、一体なんだってんだ!?」
「危険だ! みんな離れろ!」
ザギバとシュトロンは慌てて兵を率いて後方に下がる。
ランデュネンは周囲の瘴気を重力で押し潰す。
視界は晴れ、砕いた胡桃のようなモノの中から
膝を折り丸まっていた生物がゆっくりと立ち上がるのが見えた。
「なんじゃがアレは?」
紅碧の薄青い身体。
真紅の目。尖った牙に二つの角。
後頭部から首まで生えた瑠璃紺の鬣。
人型の精霊 オーガの変異種。
人を喰いエナを高めたオーガ。
精霊人の血に塗れる姿からブラッドオーガと名付けられた存在がそこにはいた。
通常、二メートルを超えるオーガだが、産まれたのは、精霊人の十歳ほどの子供同等程度の大きさ。
「ふん、ブラッドオーガの幼体か」
ランデュネンは今更相手にもならぬと鼻で笑う。
地虫を潰すかの如く、能力《重鎮の核》を放った。
「死ね!」
圧縮された重力が降り注ぎ、生まれたばかりの生物はミシミシと音をたて地面に伏せる。
「ア――――」
生物は突然の攻撃に声を漏らす。
悲鳴のような、呻きのような声。
だが、それはオーガの幼体ではなく、オーガの上位個体として生まれ
バルスピーチに与えられた使命を自覚した――――喜びの声だった。
「ア――――」
刹那、超速の何かがランデュネンの横を通り過ぎる。
と、同時にスパンと何かが刎ね飛んだ。
赤い飛沫を上げ、球体が宙を舞う。
ドスンと鈍く重い音が鳴る。球体が地面に落ちたのだ。
楕円の球体は斜面に沿って二転。
誰かの足に当たり、動きを止める。
見上げた足は、見慣れた足。
見上げた身体は、見慣れた身体。
頭の無い自身の首の断面から噴水のように血飛沫を上げて、男の身体は崩れ去った。
瞬殺。秒殺。別れも惜しみも無いあっという間の出来事。
一足の行動。一手の動作。秒すら必要としない動き。
たったそれだけの動きで、五区衛兵長ランデュネンは死を自覚する間もなく命を落とした。
亡骸は静かにエナへと変わりゆく。
生物はランデュネンのエナを吸い尽くすと満たされた表情で笑った。
ランデュネンを支えてきた百を越える衛兵たちは唖然と立ち尽くす。
悲しみも怯えもない。ただ、何が起きたのかさえ、理解が追いつかず、危険に気づき逃げる間などなかった。
何故なれば、もう、全員死んでいたからだ。
一面が真っ赤に染まった血の絨毯と化し、斜面に沿って血が流れる。
散ったエナは吸収し、残った死体は踏み潰す。
秒の殺戮者。生命与奪の化身。
「ア――――」
生物は次の獲物に狙いを定めた。
目が合った衛兵は喉が音を出す前に喉が切り裂かれた。
次の獲物は、脳を働かす前に脳が飛び出した。
周囲の生命が無惨に無慈悲に狩り尽くされてゆく。
血肉とエナだけが舞う救いの無い死戦場。
そこに放たれた一閃が、殺戮にピリオドを打つ。
建物上から放たのは破壊の矢。
一帯は一瞬で爆ぜる。
金の長髪をたなびかせて静かに立つのは
シンシア・クリスティリア。
彼女こそがこの生物を止める希望となりえる存在。
「ア――――」
生物は声を絞り出す。
今の一撃で生物の周囲一帯は吹き飛んだが、生物は健在。
効いている様子も、負傷している様子もない。
「崩壊で無傷……。とんだ化け物ね……」
シンシアが息を呑むと目の前に生物がいた。
「――――っ!」
ギリギリで首に向けられた手刀をかわす。
エルフの身体能力でも反応出来なかった。
辛うじて避けれたが、一歩間違えれば首が跳んでいた。
丑の刻の比などではない。その数段早く、鋭い。
シンシアにとって近距離戦は苦手の部類。
一般のレベルからすれば強いという域だが、
近距離が得意な相手では圧倒的に不利。
見たところ五体の他に、飛び道具などを出す器官は無い。
身一つで戦う生体なのだろう。
シンシアの真骨頂は遠距離からの超高火力攻撃だ。
距離さえとれば逆に圧倒的有利となる。
なんとか距離を離そうと素早く建物を跳び渡るが、生物はひたすらに追って来る。
それは獲物を追いかける獣の如く。
命一点を狙っている。
明確な殺意が満ち溢れていた。
追い付かれれば最後、次はない。
気が付けば前線の遥か前に出ていた。
建物の下には精霊や精霊獣で溢れている。
それなのに少しも離せていない。
「しつこい!」
鬱陶しくなったシンシアは近距離で矢を放つ。
同時に自分の目を覆う。
矢は目映く光を放ち、生物の視界を奪った。
シンシアは生物がひるんでいるのを確認すると、勢いよく回転し、生物を地面に蹴り落とす。
地面へと叩き付けた轟音が響く。
地上で溢れていた精霊獣たちは突然の轟音に何事かと慌てだす。
岩さえ砕くシンシアの蹴りを直撃したからには、あの生物でも無事とはいかいないだろう。
その証拠に足ごたえは確かにあった。
だが、まだ嫌な気配は消えていない。
シンシアは自身の三体の精霊の力を三本の矢に宿らせた。
油断はしない。すぐに弓に矢を番え、一息で射る。
「大三星交線!!」
精霊王、午の刻と強者に放ってきたシンシアの上級精霊術。
必中の三矢。
精霊王には効かなかったが、午の刻を天使の機体をも消し飛ばす力を持つ一撃。
夜に近いほどその威力は増す。
時は夕刻。既に二区を丸々消し飛ばすほどの威力はある。
故に力を抑える。
「可能な限り力を収縮。小規模な爆発を」
だが、それは叶わなかった。
シンシアはイシデムの一週間の修行で集中力が遥かに向上していた。
それに伴い、大きな三つの力を凝縮させた分、それがぶつかり、弾け、逆に大爆発を起こしたのだ。
二区の中央は丸々と消滅。
それはシンシアが想定した百倍近い威力。
「あれ……? おかしいわ……」
無に帰した街を呆然と眺める。
地面を埋め尽くすほどいた精霊、精霊獣は跡形もなく消し飛んだ。
「もしあれを前線で撃っていたらと思うと……」
シンシアは両手で身を抱え、青ざめる。
自分の未熟さを知った。
そして、さらに自分の未熟さを知る事になる。
油断をしたのではない。
勝利を確信したがゆえの隙。
「ア――――」
背後からの不意の一撃。
真っ赤な飛沫が飛び散り
一人のエルフが散った。




