六十話 桃の種
“喰者”の一角。
バルスピーチは五区衛兵長ランデュネンにより倒された。
衛兵が盛大に湧き、次々と歓喜の声を上げだす。
その中の一人、衛兵総長ザギバは静かに笑みを浮かべる。
「ランデュネンの野郎、やりやがった! あの憎き“喰者”を倒しちまったぜ!」
ザギバも拳を握り、喜びに震えていた。
バルスピーチとその能力《複製》《結合》により産み出された精霊、精霊獣により年間
一万以上の精霊人の命が奪われていた。
なかでも、川に面した土地の被害は甚大で、スネピハ付近の町や村も深刻な被害を受けていた。
運搬の物資が荒らされたり、町や村が丸ごと消される事なども頻繁であったが、
これで物流が滞る事も、民が被害で死ぬこともなくなった。
大変大きな功績となる事は違いない。
王が健在なれば、側近にまで上り詰めていたであろう。
それほど精霊女王の忘れ形見の討伐は偉大な事なのだ。
周囲の衛兵は安堵し、口を揃えてランデュネンに感謝を述べる。
そんな声を余所にランデュネンは静かに前に進む。
目的は、舞い散るエナを吸収。
それは勝者に許された弱肉強食の特権だ。
しかし、そのエナは渦を巻くように流れを変え、別のモノに呑み込まれてゆく。
「なんじゃがあれは」
ランデュネンの視線の先には、人と同等ほどの茶色く丸い胡桃 のようなモノがある。
表面は凸凹の皺のようになっていて、ところどころに人や動物の顔のようにも見える不気味な塊が鎮座していた。
それがバルスピーチの大量のエナを一片残らず吸い尽くす。
「気味が悪い」
ランデュネンは《重鎮の核》で押し潰そうとするが、砕けたのは地面だけ。
その塊には一切効いていない。
「これならどうじゃが! 狭重力帯!」
重力を一点に集中させた局所的超重力。
塊に僅かな罅が入る。
パキパキと硬いモノが割れる音が鳴り、次第にその罅は広がってゆく。
「砕けよ!」
ランデュネンの一声で、ついにその殻は割れた。
いや、割れてしまった。
「っ――――!!」
途端、紫の瘴気のようなモノが溢れ出て、空気が一変。
一帯のエナが吸い尽くされるような、死に絶えるような。
呼吸を忘れ、息が止まって死んでしまったかのような感覚に一瞬、その場の全員が襲われた。
「うっ……」
シンシアは口を覆い膝を付く。
吐き気を耐え、なんとか呼吸を整える。
「大丈夫ですか!?」
周囲の衛兵が駆けつける。
「貴方たちこそ……あんなモノを見て平気なの?」
「あんなモノ? 一瞬だけ変な違和感はありましたが……特には……」
衛兵たちは互いに顔を見合わせる。
なんの事を言っているのか理解できていない。
シンシアが感じたモノを感じ取れていない。
今だにシンシアは瘴気を直視できず、視線を逸らして話す。
「憎しみと殺意の塊。生命の怨念、悲壮な苦しみ。
生への執念、妄執。全ての不が詰まったような……――――っ!」
そして、気が付く。
絶望の存在に。
「みんな逃げて!!! 作戦は失敗!! 今すぐ二区からの離脱を!!」」
シンシアの叫びが響く。
瘴気に紛れ、気づくのに遅れた。
後、数秒早ければ、何人、いや、何百人救えただろうと後悔する。
だが、慌てて逃げる者は一人もいない。
バルスピーチを倒し、士気が高まっている最中の出来事。
どうしたんだと困惑する衛兵もいる。
何を言っているんだと顔をしかめる衛兵もいる。
気でも触れたのかと嘲笑う衛兵もいる。
だが、シンシアには分かる。
この先に抗えないような絶望が生まれたと。
もう取り返しがつかない。
戦力は完全に傾いた。




