三十七話 丑の刻
五区衛兵ランデュネンはノア、衛兵総長ザギバ、自警団シュトロンもろとも
未の刻を自身の能力《重鎮の核》で押し潰す。
身体が地面にめり込むほどの重力。普通の女、子供ならとっくに死んでいる圧力だ。
「話は儂も聞いておった! ピンアッハー王を亡き者にした忌まわしき精霊王は儂の手で討つ!
スネピハを荒らした精霊獣なんぞに力を貸すお前らは、ここでまとめて始末するじゃが!」
反撃しようにも、全員指先一つ動かす事ができない。
ノアや未の刻ですら動く事ができないほどに重力の力は強い。
「重力を……解け……ラン……デュネン」
「ほぅ。この重力下でも喋れるとは大したもんじゃのうザギバ。だが……っ!!」
今までの倍以上の負荷がどんどん上乗せされる。
「解く気はない。役立たず共は苦しんで死んでゆけ。これからは儂が衛兵総長じゃ!」
私欲を口にするランデュネンはもう周りが見えていない。
「もうそこの生意気なガキはぺしゃんこに潰れたかのぉ! はっはっはっ! は……?」
笑っていたランデュネンの口から突如、血が流れ出る。
背から腹にかけて突如白い薄透明な布が鎧ごと腹部を貫いた。
「こぼっ……」
布は斜め上に切り上げ、骨も肉も容易切り裂かれたランデュネンは盛大に吐血。
地面にぐしゃりと崩れ落ちる。
それと同時に重鎮の核も解かれ、全員重力の檻から解放された。
「みんな……無事か……!?」
ザギバが安否を確認する。
「余裕だよー」
ノアは泥で服が汚れた程度。ピンピンしている。
「無傷。問題ありません」
未の刻も全くの無傷。動けなかっただけでダメージは皆無のようだ。
「何が……何が起きたじゃが……」
地面に這い蹲るランデュネンを見下すように立つのは、怒りの気に満ち満ちたノア。
表情は嫌悪にまみれ、その目は生きている生物に向ける目ではない。
「ノアがね、バカなお前に教えてあげる。単純だよ。ノアの雨の羽衣を地面に伸ばして貫いただけ。
心臓を狙うつもりだったけど、目視してなかったせいで外れちゃった。
まあこれはこれでいいね。即死より苦しむからね。ねぇ、痛いよね? 痛いでしょ? 痛がって。
苦しんで、苦しんで死んで」
死にかけた男の前で楽しそうに笑うノアを見て、彼は初めて恐怖を抱く。
「悪魔じゃが……」
「今更そんなに褒めても、楽には殺してあげないよ?」
雨の羽衣を構え舌なめずりをしていると、遠くからザギバの叫び声が聞こえた。
「シュトロンッ! シュトロンッ! 返事をしろっ!!」
ザギバの腕でぐったりとしたシュトロンは返事をしない。
顔は真っ青で生気を感じない。
「危険。心音が聞こえません。直ちに処置をしないと彼は……」
「平らな地面に寝かせて離れて」
見上げると目の前に真剣な面持ちのノアが立っていた。
ザギバは早急に言われた通り平らな地面にシュトロンを寝かす。
ノアはシュトロンの胸に手を置き状態を確かめる。
「重力の負荷に耐えられなくて心臓が止まってるだけ。エナになる前に心臓を動かす」
「そんな事どうやって……」
「【変身】」
ノアはロードへと姿を変えた。
「うぉ!? お前誰だ!? 一体どこから!?」
ザギバたちは困惑しているがノアは説明を無視して
右手で風の魔術を使い口に空気を送り、
左手で胸の中心に手を当てる。
「少し強すぎるかもしれないけど、我慢してね!」
雷がシュトロンの胸で弾ける。
最低限に調整しているが元々はロードの攻撃魔術。
蘇生に使うには威力が高すぎるが、贅沢を言っている暇はない。
二、三回同じ動作を繰り返す。
ザギバと未の刻は成す術なく、その様子を固唾を呑んで見守った。
「シュトロン、起きて!」
四回、五回と繰り返した時。
ロードの姿から少女の姿に戻る。
額には大量の汗が浮かんでた。
「ふ~~。心臓、動いたよ」
指でVをつくり、幼い顔で満面の笑みを浮かべる。
ノアを作った天才科学者Dr.Jは元々は医者。人体を扱うことにかけても天才。
竜宮城の楽園を任された時、万が一のため蘇生術を一通り会得していた。
その甲斐あって間一髪、シュトロンの命を助ける事ができたのだ。
大きく咽てシュトロン意識を取り戻す。
「あれ……? たくさんのレディたちは……?
川で遊んでいたはずなのに……」
どうやら三途の川で水遊びしていたらしい。
「お前心臓止まってたんだぞ!?」
ザギバも平常運転のツッコミ。一気に緊張感が切れたようだ。
「ああ、そういえば、そうかも……」
「ガキが処置しなかったら死んでたぞ」
「そうか……ありがとうレディ……」
「どーいたしまして。でさ、シュトロンをこんなにした敵は殺していいよね?」
突如、ノアの声のトーンが変わる。
視線を向けたのは瀕死ながらもおぼつかない足取りで立ち上がり、ノアたちを睨むランデュネン。
「ランデュネン、残念だ。
お前は忠義に厚い漢なのは知っていたが、女子供や市民にまで手をあげる小さな男だったとはな」
ザギバからの決別の言葉。
「もういいよ。って事だよね?
じゃ、殺すね」
「バカ共が!! 全員まとめてくたばるじゃがぁぁぁぁ!!!!!」
ランデュネンは両手を合わせ、最大の力を振るう。
「重鎮の核!!!!」
しかし、誰一人地に伏せる事はなかった。
一同の頭上には綿の雲が広がっている。
「無効。貴方の重力は私の《吸》が全て吸収しました。
もう二度とその力は通用しません」
ランデュネンは完全に詰み。
勝機を失い、正気を失い、戦意を失った。
狂乱し、言葉にならない言葉を叫び出す。
激しい身振り手振りで暴れ散らす。
哀れな男の姿に一同は冷たい視線を送る。
「惨めだね。ノア大人になったらあーはなりたくはないなぁ~」
ノアは呆れて戦闘態勢を解く。
「大丈夫、ノアちゃんはきっと素敵なレディになるよ」
「お前がまともに成人したら美味い酒が出る三区の酒場に連れて行ってやるよ」
「そしたらおじさんはもうおじいちゃんだね!」
「それでもまだ中年くらいだっ!!」
たわいない会話。
冗談を交えて弾む空気が一変する。
「あ、何か来るよ」
「ああ、俺でも分かるぜ……。空気がヒリついてやがる……」
「この感じどこかで……」
ノアが思い出す前に遠くから一人ポツンと歩いて来たのは、白い機体の青い身体。
「逃走。推奨。あれは……“精天機獣”十二刻の一刻。丑の刻……。」
「おいおい……五区はとんだ貧乏くじだなぁ、おい!」
ザギバは自分の運の無さを嘆く。
「私たちでは万一にも勝てませんっ! 奴の能力は――――」
その瞬間、未の刻は大破した。
「饒舌。」
一瞬で数百メートルの差を詰め、丑の刻の強烈な攻撃が未の刻を吹き飛ばした。
罅割れていた下半身は完全に砕け、胸の宝石には大きな罅が入る。
「壱頭両断!」
ノアはすぐさま雨の羽衣で攻撃するも、もう丑の刻の姿はない。
「どこに消えやがった!?」
ザギバが周囲を見回すも確認する事ができない。
「シュトロン! 羊のおねーさんからアレの能力聞いておいて!」
「いや。僕は――――」
シュトロンの表情は前髪で隠れていて窺う事はできない。
だが、彼からは間違いなくぶちキレている。
それもそうだろう。ノアを攻撃した五区の衛兵長にすら剣を向ける男が目の前で精天機獣といえど女性がやられた。
衛兵長にすら斬りかかる紳士のシュトロンが黙って見過ごすなんてできないはずだ。
しかし、そこをぐっと堪え、シュトロンは彼女に寄り添う事を優先する。
精天機獣の弱点を知った今、胸の宝石に罅が入った彼女はもう助からないと確信したからだ。
せめて彼女の最期を見届ける事に彼は重きを置いた。
「あれはノアが相手する。おじさんは気づいた事を逐一教えて」
「あぁ、分かった。無理はすんじゃねえぞ」
今の攻撃でザギバは丑の刻に手も足も出ず、
下手をすればノアの足手まといになるという事を瞬時に理解し、サポートに徹する事にした。
「そんなにぴょんぴょん動いて疲れない? ノアにはさっきからずっと見えてるよ」
ノアが独り言のように呟くと突如、目の前に丑の刻が現れる。
「回想。貴様、森林で王に呼ばれた時に居た――――」
丑の刻が喋り出すと同時に雨の羽衣が地面から突き出し、腹の青い宝石を狙う。
しかし、丑の刻は尋常ならざる速度でその一撃をかわした。
「ちっ。不意打ち失敗ー」
ノアは口を尖らせ不貞腐れる。
「卑劣。」
「卑劣なんて、いきなり羊のお姉さんに壊したお前が言える立場かな?」
「……正論。無駄話はここまで。そろそろ殺し合いを始めよう」
ノアが対峙するのは“精天機獣”最強の丑の刻。
果たして何体が生き残り何体が死ぬのだろうか。
それは……この戦いに勝ったモノのみぞ知る。




