三十五話 未の刻
事もあろうにランデュネンは味方であるノアとザギバに対して《重鎮の核》を打った。
その意図は本人にしか分からない。
だが、この行為でノアはランデュネンを完全に敵として認識した。
「殺してやる」
そう呟いたのはノアではない。
ましてや、衛兵総長のザギバでもない。
瞬間、鞭剣『才色兼備』を迷いなく振るうのは、
自警団長シュトロン。
長く伸びた蒼剣がランデュネンの首を切り落とそうと鋭く狙う。
脅しではない命を奪う本気の一撃。
間一髪、後ろに退いてかわしたランデュネンだったが、かわした気の緩みから瞬きを一度した。
「しまっ――――」
ランデュネンが慌てた時にはもう
目の前には殺意に満ちた真っ黒な目のノアがいた。
「死ね」
ゴミを見るような目で鋭利な雨の羽衣を振るう。
ランデュネンは咄嗟に両手を合わせ、自分の周囲に重力を集中させて落とすが
衣の刃は位置を少し下げた程度。勢いはほとんど落ちていない。
「ぐっ!!」
布は胸の銀鎧を紙を切るカッターのごとく易々と切り裂いた。
「小賢しいね、その力」
ノアは本気の殺意を放っている。
ランデュネンはその真っ黒な殺意を察し、それに相応しい対応を決意。
二人の攻防は激化する。
小さく範囲を狭めた重力の球を無数の落とす重力の弾丸。
ノアは衣を頭上に広げる事で、無数に降り注ぐ見えない重力の球を可視化。
人並外れた視力、反射神経、身体能力で身軽にかわしてゆく。
ノアが衣を伸ばすその刹那、ザギバが二人の間に割って入った。
「やめろ! もう滅茶苦茶だ! 俺らが今するのは味方同士で殺し合う事か!?
違うだろ!! あの、精天機獣を倒す事だろうがぁ!」
必至に訴えかけるザギバだがノアの耳には響かない。
「違うよ。先にこいつ。次止めたらおじさんも殺すから」
「引っ込んどれダボが! このガキ共は衛兵長に刃向けおったんじゃが! 生かしてはおかん」
「それはこっちのセリフだよ。僕の目の前で二度も女性に手を出したからには、生かしてはおかないよ」
ランデュネンの背後に回り込んだシュトロンも戦闘態勢だ。
「ありがと、シュトロン。でも下がっていいよ。ノアが殺すから」
「はっ! 生意気な口叩きおって! 上等じゃが!! ガキ共、かかってこんね!!」
味方同士で無益な争いをしている間に精天機獣は髪を一つまみのサイズに少しずつ千切っていく。
千切られた髪は胞子のように浮遊し、徐々に大きく大きく膨らむ。
気がつけば人と同等の平べったい綿に変化。
「おいおい、揉めてる場合じゃねーぞ! あいつなんか仕掛けてるぞ!!」
ザギバが綿に警戒するも、ノア、シュトロン、ランデュネンは睨み合い一向に動かない。
そんな姿に苦言を呈したのは思いもよらないモノからだった。
「失望。同族で争っている場合ではないですよ」
一同を窘める聞き取りやすい綺麗な女性の声。
その声の主は、対峙すべき正しい対象だった。
「失礼。私は“精天機獣” 未の刻。
私は貴方たちと戦いに来たのではありません。
折り入ったご相談があって来ました」
「精天機獣が俺らに相談だと……?」
ザギバは自慢の相棒『糧斧』を構えたまま会話を続ける。
「肯定。単刀直入に申しますと……。
今現在、水都市スネピハ一区の王城に居座っているあの憎き精霊の王。
アーガハイドを倒してほしいのです」
一同は彼女の言動に驚愕する。
精霊王に忠実に従っていた精天機獣が、
そんな事を口にするなんて思ってもいなかったからだ。
朔桜が対峙した精天機獣の情報通り、まともに対話できる。
最初に単語で答えるの以外は普通の精霊人とさして変わりはない。
「出鱈目だ!! そんな言葉で油断を誘おうとしても騙されんぞ!!」
ザギバはその目で未の刻が精霊王アーガハイドに傅き従っているのを見ている。
言葉を鵜呑みにして信じるんなんて事はできない。
「否定。謀ってなどおりません。お話だけでも聞いていただけませんか?」
淑女のような喋り方と振る舞い。
攻撃する素振りは一切見せない。
「話す事なんてない! お前たちが王城でやった事は忘れてないからな!!」
ザギバが怒鳴ると未の刻は彼の顔をマジマジと見る。
「回顧。貴方は……王室で倒れていた衛兵殿。 存命でなにより」
「なによりじゃねぇ! 精霊獣の口に投げ込みやがって! あの時の借りを返してやる!」
「感心。恩返しなれば、私の話を聞いてくれるのですね?」
二人の会話は何故だか噛み合っていない。
「なぁに言ってんだ!? お前をぶっ壊してやるって事だよ!!」
「疑問。何故、恩を仇で返すのですか? 私は貴方を助けたではありませんか……」
「助けた……だと?」
「肯定。王室で殺されそうだった貴方を精霊獣の腹に入れて逃がしたのですよ」
「あれは助けたって言わねえ! 投げ捨てただろ!
それに鳥の胃液でドロドロに溶かされかけたんだぞ!!」
「適解。あの場で生き残れる可能性があったのはあの方法しかなかった。
でなければ、あの王や衛兵と同じく瞬殺されていましたよ」
その何気ない言葉が一人の勘に触れた。
「おまえらが…………我が王を殺したのかぁぁぁあああ!!!!」
二人の会話を遮り、激情に任せたランデュネンは鬼の形相で未の刻に突撃。
「待て! ランデュネン!!」
ザギバの呼び止める声は一切耳に入っていない。
重力攻撃の間合いに入ると指二つを挟み合わせ狭重力帯を未の刻の頭上に落とす。
鉄コンテナですら紙袋のようにひしゃげる威力。人体が喰らえばひとたまりもない。
未の刻は冷静のまま頭上に手を翳す。
「くたばるじゃが!!」
ランデュネンの叫びが周囲に響く。
しかし、何も起こらない。
「な……なぜじゃが……! 確かに《重鎮の核》は発動しているっ!
な、何故潰れんのじゃが!!」
ランデュネンが未の刻の頭上を見上げると、そこには平たい綿が天使の輪のように浮いていた。
「回答。私の能力《吸》は、ありとあらゆる衝撃を綿が吸収し、内部に貯蓄可能。
貴方の攻撃は重力操作であると先の戦いで理解しています。
頭上の綿雲が全ての重力を吸収しました。
これを貴方にぶつければ、己の攻撃を自身味わう事も出来ますよ」
「へー。わざわざ自分の能力教えてくれるんだ。親切だね、好印象」
ノアは他人事のように呟く。
「補足。私の髪、もとい綿全てが、その力を有します。
綿の一繊維一繊維は鉄より硬く、集まれば軟な刃では簡単には断ち切れません。
そして私の意志で綿は手足のように動かせる。
身体に纏えば最強の鎧に。周囲に放てば自在な盾に。それを相手に打ち込めば衝撃の弾にと用途は私の自由自在です」
「はぇ~。レオくんの《反拳》の上位互換みたいなもんだね」
午の刻と対峙しているレオは今頃くしゃみしている頃だろう。
「よく分からんが、能力が通じんなら直接この拳で殺したる!」
拳を構え走り出すランデュネン。
「失望。対話に来たのですが、残念です」
ランデュネンを警戒する素振りも見せず、その場に佇む未の刻。
「もらった!!」
殴りかかるランデュネンの拳は目の前に浮いたふわふわな綿髪に触れて止まった。
その瞬間、腕が弾き飛ばされる。
「ぐおぉぉぉぉ!!」
「解説。必要ですか?」
「不要だよ。せ~の!」
ノアはランデュネンの横腹を天の羽衣で打ち付ける。
横に吹き飛んだランデュネンは崩れた家の残骸に吹き飛ばされた。
「やりやがったな! ガキ!!」
ザギバは大声で怒鳴るが、ノアは顔を背ける。
「別に死んではいないだろうからぎゃーぎゃー騒がないでよ。
とりあえず、会話にならない邪魔者は消えたし、ノアは貴女の話を聞くよ」
「感謝。他の方も同意という事でよろしいですか?」
「構わないよ。精天機獣とはいえ、女性の言葉は聞き入れるよ」
「たく……俺はまだ信じていないが、話くらいは聞いてやる」
「感謝。では……お聞きください。私が精霊王を倒したい理由を」
荒れた果てた街のど真ん中、
精霊人二人、人工宝具、精天機獣の異色のメンバーは
地べたに座り込んで顔を突き合わせた。




