二十六話 醜悪な塊
レオたちは三区衛兵長モルボに連れられて巨大な水門をくぐる。
目的は奪還に成功した三区の安全確認。
残った精霊と精霊獣が潜んでいないかを調べる作業だ。
俯いていたレオがふと左の水門を見ると、都民が長い行列を成して避難誘導に従っていた。
腹に包帯を巻き、左右を二人に支えられながら歩いている中年男性。
母の手を取り、不安そうにピンク色のクマのぬいぐるみを抱えた少女。
血に塗れた服で杖を突く老人など様々だ。
都民は皆不安な面持ちで酷く怯えている。
午の刻の襲撃の話も伝わってしまったのだろう。
先に避難した数百人は無残に殺されてしまった。
不安を煽らないためその話は伏せていたが、逃げた人が伝えてしまったのだろう。
動揺しながらも、今は衛兵に従うほか無力な都民に助かる道はない。
四区にいつ再びとしてオーガが沸き出して蹂躙されるかも分からない。
今のスネピハには安全の保障なんてどこにもないのだ。
「うほっ、ぼーっとすんなよお前さんらぁ! 気を引き締めてしっかり残党を探せ!」
モルボのしっ責を受け、レオ、キーフ、キリエ、イツツはバラバラに散り、
オーガが物陰や暗い路地に潜んでいないか探す。
カラフルなレンガで積み上げられた綺麗な壁は砕け、大破している家。
棍棒に叩き壊されたであろう大きく凹み割れた通路には、土で茶色く濁った雨水が溜まっている。
本来なら人で満ち溢れ、露店の並んだ活気ある大通り。
景観がどこから見ても美しい水都市スネピハ。
だが、今は誰もいなく寂しい静寂が包み、綺麗な街並みも見るも無残な有様。
オーガが残した爪痕はとても大きい。
レオが捜索していると、通りの奥に動く影を見つけた。
その影はすぅーと曲がり角の壁に阻まれ、見えなくなってしまった。
オーガの生き残りか、それともまだ奇跡的に生きて出てきた生存者か。
レオは周囲を警戒しながらゆっくり進む。
大通りを抜け出た場所は、視界が開け吹き抜けた景色が広がる。
目の前には登り傾斜のある長くて幅も広い立派な橋が一本架かっていた。
橋の周辺を見渡すも動く影の持ち主は居ない。
「あれぇー見間違いか? 確かに見た気がしたんだけどなぁ……」
「うほっ! その先は捜索外だぞ!!」
独り呟くレオの背後から大きな声で忠告される。
声の主はモルボだった。
その後ろから数人の衛兵が並んで進んで来る。
「今、この辺で影が動いてたんだ」
「なに! オーガか?」
「いや、なんとも言えない。その正体を確かめに来たんだが、見失っちまった」
レオは橋の先に目を向ける。
「もしかして、この先に行ったんじゃないか?」
「それならば、市民ではないな。都市中には警報で危険だと伝えてある。精霊か精霊獣だろう。
貴橋の先は、まだ敵がうほうほしてる」
「貴橋ってこの橋の名前か?」
「そうだ。貴族街に伸びる橋だから貴橋。
その奥にあるのが城下に伸びる橋は王橋だ。
王の血族や都市の技術、製作関係者が住んでいる」
「けっ、この都市は家柄で住み分けされてるのかよ」
「この都市が作られた数千年前からずっと住み分けられている。
許可書があれば通る事も出来るが、別に貴族街に行かなくても、三区で衣食住に困る事はないぞ」
モルボの回答に釈然としないレオは口を尖らせたまま
来た大通りの通路を戻ろうとしたその瞬間、左角の家屋の壁を破壊し、オーガが一番手前の衛兵をその大きな手でがっしりと掴む。
「ひぃぃぃ!!」
掴まれた衛兵はその恐怖で槍をやたらめったらと振り回す。
しかし、槍先がオーガの顔表面を何度か掠めるが、手を放すほどの致命傷ではない。
オーガは気にする事なく大きな口を開け、衛兵を口に近づける。
「やべぇ!」
レオが急いで飛び出すが、それよりも速い何かが、背後から追い抜かす。
飛び出したのは三区衛兵長モルボだ。
次の瞬間、彼の左腕は突如として変容。
黒い毛に覆われた黒色の分厚い肉感の肌。オーガの腕よりも二回り大きく、衛兵を握る腕を口に入れる寸前で掴んだ。
ミシミシとオーガの腕肉を柔らかい果実のように握り潰し、小枝を折るかのように太い骨もへし折る。
オーガは低い雄叫びを上げ、脳からの反応が届かなくなった手は衛兵をスルリとこぼす。
落下した衛兵の鎧がガシャンと響き、尻もちを着く。
「こいつをぶっ飛ばす! 早く逃げろ!」
モルボは衛兵に避難を促すも、衛兵は立つ様子はない。
オーガは腕を折られた苛立ちをぶつけるかのようにモルボに拳を振り翳す。
モルボは右の腕も黒い腕に変容させて拳を受け止めたが、オーガの真ん中で衛兵が今だに竦む。
「何してんだっ!」
「あの……腰が……抜けて……」
他の衛兵も彼を助けに動く者はいない。
皆、突然の襲撃に驚き、戸惑っているだけだ。
オーガは目の前に衛兵を踏み潰そうと足を上げる。
「しまったっ!」
足を使うと思っていなかったためモルボのカバーは間に合わない。
だが、駆け寄っていたレオが咄嗟にその衛兵を抱え、遠くに離れて跳ぶ。
「うほっ! よくやったぞ、少年!」
そして、勢いある一撃がオーガを腹を容易く破り、圧倒的に消滅させた。
オーガの身体は徐々に透き通り、極小量のエナへと変わる。
「ふぅー危なかったなあんた……」
モルボがエナを吸う様子を呆然と見て呟くと
助けられた衛兵がゆっくりと立ち上がり、深々とお辞儀する。
「ありがとうございました!」
「うほっ! 無事ならそれでいい。だが、ここはもう戦場だ。
お前さんの知ってるスネピハじゃない。次は気を抜くなよ!
お前さんらもだ! もっと警戒しろ!」
衛兵一同は大きな声で返事をした。
助けられた衛兵はレオに向かって手を伸ばす。
「君も助かったよ……ありがとう。名前聞いてもいいかな?」
レオはその手を取り立ち上がる。
「俺はレオです」
「レオ君、なんとも情けないところを見せたね……」
「いや、誰だってあんな突然襲われたらテンパるし、気にしないでいいっすよ」
助けられた衛兵は二十代半ばくらいの男性。
その後も何度もレオに感謝を述べる。
「僕はずっと警備担当だったから実際に戦った事なくてさ、レオ君のその雄姿が羨ましいよ」
「そんな……雄姿なんて。ないっすよ。大切な家族も守れない力の無い精霊人っすよ……」
「いや、誇るべきだ。僕はレオ君にたった今、命を救われた。君には、精霊人一人を救う確かな力があるんだよ」
「ど……どうも……」
年上から褒められ、照れ臭くなってオーガが出てきた場所を調べているモルボの方へ向かう。
「なんか手がかりありました?」
「うほ、さっぱりだ。どうやってこんな小さい家内から湧いたのかも謎だ。
それよりさっきはいい動きだったぞ」
「どうも。俺が見たのあのオーガだったのかもしれないすね」
「それなら……良かったんだがな!」
モルボは突然の攻撃を巨大な手で防ぐ。
「少年! 後ろに隠れてろ!」
腕が陰になり、レオは何が起きているのか見えない。
ちらちらと桃色の樹木のように太い鞭のようなものが何度も鞭打つのが少し見えた。
その攻撃が止んだと同時に、大きな影が日の光を遮る。
「うほ、なんじゃこりゃ!」
モルボの声でレオが顔を上げる。
「は?」
マヌケな声を漏らしたレオの前には、
以前目の当たりにした脅威が立ち塞がる。
シネト村の湖に現れた絶望を撃ち放つ歪な存在。
村を消し飛ばす力を持つことをレオは知っている。
あの時、命を捨てる覚悟で対峙した巨大な肉塊が
突如、その醜い姿を現したのだった。




