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へこんだ男  作者: トロ
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5話 へこんだ男

 こうして田中天使の予言は真実となった。


 事件直後は警察や政府関係者がなかなか信じず、モタモタする内に空気感染が広がり、風や乗り物に運ばれ、水にすら溶け込んだウイルスは数時間後には東京を制覇した。


 翌日には日本中に蔓延し、三日後にはほぼ全世界に症状が飛び火。予言通り七日後には、全人類が田中天使曰く『超人類』として生まれ変わったことになる。


 世界中の人々がウイルスの症状として、どんな人を見ても、皆ただの『枝とリンゴ』にしか認識できない状態になってしまったというわけだ。


 詳しいことはよくわからないが、科学者の説明によると脳の視神経を制御している部分がウイルスに汚染されて部分的に機能しなくなり、人間の姿を見た時だけ『枝とリンゴ』に見えるように退化してしまったということらしい。


 もともと事故や先天的な脳の異常により人の顔を認知できない相貌失認という病気があったが、その症状を顔だけでなく体全体を含めてまともに認知できなくなるような状態になっているということらしい。その症状を意図的に発生させて脳を退化させるウイルスを田中天使は作り出したという結論にいたったようだ。


 超人類になってしまった人々は、もう二度と人を人の形として認識できなくなってしまった。それによって人類の歴史と文化に大きな変化が起こり始めた。


 まず最初に、いくら美人でも美少年でもブスでもブサイクでもまったく関係なくなった。皆平等に『枝とリンゴ』にしか見えなくなったのだから、当然の流れとして『見た目だけがウリ』の商売は次々と姿を消していった。つまりグラビアモデルやアイドルのように『顔やスタイルが命』の職業なんて何の意味も無くなってしまったということだ。


 特にテレビや映画など映像を扱う分野は大きな打撃を受けた。まずドラマが消え、ワイドショーも芸能ネタが無くなった時点で視聴率がガタ落ちして打ち切り。


 スポーツも『枝とリンゴ』ではいまいち臨場感が無く次々と放映中止、最終的にニュースと天気予報ぐらいしか存在意義がなくなっていった。そのかわりにラジオが息を吹き返し、未だかつて無い活気に満ちてしまったのは皮肉としかいいようがない。


 また、ファッション業界も混乱の渦に巻き込まれた。


 というのも洋服の場合、商品として存在する時は見えるのに体に身につけたとたん『枝』と認識されてしまい、事実上人の目から見えなくなってしまうのだ。見えないモノに金をかけるバカバカしさに気づいた人々はブランド品から次々と足を洗い実用主義に走った。


 もちろん流行のファッションなど存在しない。


 夏には全裸や下着で過ごす者が増え、冬はただ暖かければ良いというドテラのようなモノが売れているらしい。だが実際に着ている所を目で見て確認したわけではないので皆が着ているかどうかは本当のところはよくわからない。


 あと、人間関係は実にシンプルになった。


 見た目に惑わされることなく、人として信用にたる人物であるかどうか、性格が好みであるかどうかが恋人や友達を選ぶ第一条件になった。当たり前といえば当たり前だが中身で人を判断せざるを得なくなった以上、一目惚れという現象も無くなった。ナンパという行為も、もちろん跡形もなく消滅した。


 ……とまぁ、わかりやすい変化と言えばそれぐらいだろうか?


 確かにウイルスが蔓延し始めた当初は、人々が混乱し不安に陥り自殺をする者が後を絶たなかった。


 だが、やがて『人を人として正しく認識できない』という障害以外は、特に問題ないことが認知されると落ち着き始め、五年後に治療方法を検討していた政府機関がまったくめどが立たないという諦めにも似た調査報告を出した時点でとうとう人々は腹をくくったようだ。


 なんだかんだといいながら『枝とリンゴ』の生活に慣れ親しむようになり、既に十年以上が経過している。


 最近よく思うのは、むしろテレビやネットが普及していなかった頃は、今ほどではないにしろ他人や自分の見た目に関して結構無頓着な者が多かったのではないかということ。


 原始時代なら見た目よりむしろ強く生き抜く能力のほうが重要視されていたのは考えるまでもないし、そこまで極端にさかのぼらなくても明治や昭和といった時代でも、あの事件直前ほど見た目主義じゃなかったように思うのだ。


 昔ならブサイクはブサイクなりに静かに生きていける心の余裕のようなモノが、本人にも周りの人にもあったはずだ。つまり今の状況は少し昔に戻ったと思えば、シンプルで地味な見た目だが実用的で平凡な生活をおくれるというのも悪くないのかもしれない……ということだろうか。


 結局は『昔が良かったんだから戻っても間違いじゃない』というようなノスタルジックな概念で自分を納得させようとするのは、俺が年を取ったせいだろうか?


 いや、そうだとしても、一つだけ良かったと心から言えることがある。


 それは見た目の違いからくる人種差別やいわれのない馬鹿げた民族紛争などの世界規模の戦争が陰も形も無くなったということだ。


 人は自分と似た人に好意を持ちやすいと言うが、実際にみんなが同じ『枝とリンゴ』となった今、確かに全人類が本当の意味で兄弟となり人類史上初めて平和な世界が実現したといえるだろう。


 ただ残念なことに今の世界になって困っていることが一つだけある。それは最新医療がまったく役にたたなくなってしまったということだ。


 つまり検査の数値上でガンなどの病気が見つかっても、手術をする段階になると患者の体が『枝とリンゴ』にしか見えない医者には手の施しようがないというわけだ。


 何人もの医者が果敢に手術に挑戦したが、結局内臓や血管の位置がまったくわからず患者を死に至らしめただけで終わり、やがて外科手術は全面的に禁止されることになってしまった。


 結果的に一昔前なら助かった病気も今では不治の病に舞い戻るという始末で、何人もの患者が悲しい思いをし続けている。


 実際に今、俺もモーレツにへこんでいる。

 気分的に落ち込んでいるとか、そういうことではない。物理的に頭が陥没しているという意味だ。


 鏡にうつったリンゴは明らかに腐って部分的に陥没し始めていた。脳みそのどこかが悪いというのはわかっていたが、手術ができない以上ほっておくしかないのだ。


 あの時、だれが予想しただろう。

 頭が腐っていずれ死ぬことになるなんて。


 やっぱり、ついてない奴は、どこにでもいるものだ。





最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

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