7-6
「グレイス、元気そうだったから、安心した」
「うん。もう、平気だよ」
片付け終わってから、四人は他愛ない会話を始める。
エルダはここしかない、と先日の事を詫びる事にした。
「あのさ、グレイス。……その、この前は、ごめん。グレイスの事、叩いちゃって……」
「気にしてたの?」
謝ると、グレイスの口からそんな言葉が返ってきたので、エルダが必死に言う。
「そりゃ気にするよ! 確かにその、勢いとはいえ、女の子に手を出しちゃったんだから」
そう言うと、グレイスはふと笑んで、エルダに言った。
「目を覚まさせてくれたのは、エルダだよ。きっとエルダがそうしてくれなきゃ、私はずっとエルダに何も言えなかったと思う。だから、私は気にしてないよ。ちょっとだけ痛かったのは本音だけど」
「グレイス……」
「お父さんにも言うな、って言われた事もなかった。お母さんの事。でも、なんで言わなかったんだろうね。……私にもよくわからない」
そう言って、グレイスは話を始めた。
「お母さん、私が産まれてお父さんに愛されなくなった、って言ってたけど、仲良かったんだよ。私、ずっと見てたから。なんだかんだ言って、二人ともいい関係だったんじゃないかなって思う。……多分、それが変わっちゃったのは、お父さんが私の魔法の訓練につきっきりになって、勘違いしたんじゃないかな、って。お母さんの本音はもうわからないけど、魔女に堕落して、お母さんはお父さんを殺してしまったけど、ほんの少し、お母さんの理性が残っていたら、そんな事しないよね。……多分、傷ついたのは私も、お母さんも同じだったのかもしれない」
グレイスはお茶に一口、口をつけて、言葉を続けた。
「本当はね、エルダのお母さんのお菓子、お母さんも食べてたんだよ」
「え?」
それはあまりにも意外な言葉だった。
「レーヴェもヴェルエも知らなかっただろうけど、実はお父さん、お母さんの分も残してたの。毎回持ってきてくれるエルダのお母さんのお菓子。美味しいって食べてたの、一回だけ見た事あるから」
「……全然知らなかった」
「じゃあ、母さんの試作品、グレイスのお母さんも試食してくれてたんだ……」
「うん。お母さん、私に言ったよ。グレイスのお友達、いい子ね、って。明るくていつも賑やかで、毎回挨拶するタイミングを忘れるの、って」
「ちょっと待て、グレイス。じゃあ、マスターのお母さん、その時はあんな禍々しくなかった、ってこと?」
「禍々しい、は言い過ぎだと思うけど……。多分、まだあの頃はカーマイン・マルスモーデン、私のお母さんだったんじゃないかな」
ヴェルエの問いかけに苦笑気味にグレイスは答える。
何より驚いたのは、グレイスが自分の母親の名前を口に出した事。
「きっとね、本当はお父さんも、マーレの人たちも、殺めたくなかったんじゃないかな。私もあの日、お母さんをこの手で殺さなきゃいけなかったのは、本当に辛い事だったけど、お母さんもそうやって私ともう一度会って、私を殺さなきゃいけなかったの、辛かったんじゃないかな。最後にお母さんの理性が戻った瞬間、なんとなくだけど、そう思った。お母さん、魔女になっても、ずっと苦しんでたんじゃないかなって。お父さんを殺した事も、何もかも」
多分ね、とグレイスが付け足して言った。
カーマインの本音はもう聞ける事はないが、グレイスは思った事を口にした。
血のつながった娘だから、そう思ったのだろう。
けれど、グレイスの言葉に迷いはなかった。
「あれから色々考えたけど、私、前を向かなきゃな、って。なんだか、エルダのお母さんのアカネベリーのタルト食べて、なんとなく背中を押された気になったんだ。いつまでも後ろを向いてたら、駄目だよ、って」
そう言って、グレイスは微笑んだ。
もう、全て振り切った微笑みで。
「二人の分まで、私が生きて、ちゃんと立派な〝聖竜使い〟にならないと駄目だね。……まだまだ未熟だし」
「そんな事ないよ。グレイス、魔法だって完璧じゃん。立派だよ?」
「エルダにはそう見えるかもしれないけど、案外そうでもないんじゃないかな、って思う。だって、私だってエルダと一緒の〝魔法使い見習い〟なんだよ。私、今でも〝聖竜使い見習い〟だって思ってる。二人に助けてもらってばっかりだし」
「それは違うよ、グレイス。僕とヴェルエは、マスターにちゃんと言われた事を守ってるんだ。グレイスの事をちゃんと守ってやれ、って。だから、僕もヴェルエも、グレイスが見習いなんて思ってないよ? だって、現にしっかりとした僕たちのマスターだからね」
「そうそう。グレイスがそう思ってるだけで、俺らから見たられっきとした〝聖竜使い〟だよ。それに、昔より魔法だって上手く使えるようになってるんだから。成長してると思うけどな」
「なんか、二人にそう言われると、変な気分」
「なんだよグレイス。褒めてるのに」
「グレイス、褒められ慣れてないからね」
「……もう、二人ともうるさいな」
むぅ、と少し顔を赤らめて、グレイスが言う。
「グレイスって、そんな顔するんだ」
「え?」
ふと、思った事をエルダは口にした。
「や、グレイスってあんまりころころ表情変えるイメージ、なかったからさ」
その言葉を聞いて、グレイスは少し黙ってから、そうだったね、と続けた。
「久しぶりかもしれない。こうやって感情を表に出すの。ほんとに、いつぶりだろう」
「これもエルダの母さんのお菓子の魔法だったりしてな」
「かもね」
レーヴェとヴェルエはそう言って、微笑ましくなった。
同じように、エルダも、もう本当にグレイスは前を向けるようになったのだと、安心した。
「そういえば」
ふと、思い出したかのように、グレイスはエルダに問いかけた。
「マーレに行く前、私に何か言おうとしてたよね? あれ、何だったの?」
グレイスに言われて、エルダははっとした。
――その、無事に終わったら俺……。
その先の言葉を飲み込んだあの日の事を思い出した。
まさか、グレイスがそれを覚えていたなんて思ってもいなかったから、頭の中で言うべきかと考えを巡らせているエルダ。
確かにあの日、何を言おうとしていたか、自分の言いだそうとした言葉の内容は覚えている。
だがしかし……。
――ここで言うか……?
あの時言えれば、多分勢いで伝えられた言葉だっただろう。
しかし、今、しかもここで言うべきかと考える。
――でも、ここで言わなきゃ多分、絶対言えない。
レーヴェとヴェルエにからかわれるかもしれないのを覚悟して、エルダはその言葉を意を決して告げた。
「俺……真剣に、グレイスの事が、好きなんだ! その、あの日、告白したくて! でも、タイミングが違うと思って……」
エルダがまくしたてるようにそう告白する。
ちら、とグレイスの表情を見ると、驚いたように、ぽかんとした表情を見せていた。
そして、エルダの向かいに座っていたヴェルエが、エルダに言った。
「お前にはやらねぇ」
「……え?」
しん、と場が静まり返る。
ヴェルエはもう一度、エルダに向かって言った。
「お前にグレイスはやらねぇ」
「な、なんで!」
「おい、グレイス」
不意にヴェルエに名前を呼ばれて、ぽかんとした表情のままグレイスはヴェルエの方を向く。
「俺はグレイスが好きだ。――主としてじゃなく、一人の女性としてな」
そして、高らかに宣戦布告したのだ。
「グレイスは、エルダに渡さない」
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