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魔女の姿を見た瞬間、グレイスは心の中でやはり、と思った。
その姿に見覚えがあったし、引っかかっていた〝魔女〟という存在も、予想していたものと合致した。
「あの時はあんなに幼い姿だったあなたが、今ではこんなに立派になって」
「……」
「あら? 感動の再会よ、グレイス。あなたに会えて本当に嬉しいわ」
「今更母親面しないで!」
グレイスが声を荒げる。
その隣で、エルダが困惑した表情を浮かべた。
それは、その場にいた子供たちも同じだった。
「お父さんを殺したくせに! 私はずっと、今まで憎んでた! もう二度と会いたくもなかった! あなたなんか、私の母親じゃない。〝聖竜殺し〟の魔女!」
グレイスの父であるアドゥンを殺したのは、目の前にいる魔女カーマイン。
エルダはグレイスの隣で困惑していた。
すると、カーマインはその表情を見たエルダと子供たちに話すように言う。
まるで昔話を語るような口調で。
「グレイスったら、私のこと何も話してなかったのね。――わからない子たちに教えてあげる。私はグレイスの母親、お腹を痛めて産んだ、たった一人の最愛の娘。グレイスの父親は十二代目聖竜使いアドゥン・マルスモーデン。グレイスはその後継ぎ。アドゥンはグレイスが生まれてから、グレイスを大切に育てて愛していた。今まで私を愛していたあの人は、やがて私を見てくれなくなった。私なんて存在、いなくなったように。グレイスが生まれるまで、私をあんなに愛してくれたあの人の姿は、もう私を見てくれもしなくなった。そして、その時こんな声が聞こえたのよ。〝グレイスを殺してしまえばいい〟って。そうすれば、またあの人は私を見てくれるって。――けれど、あの人はグレイスを殺させなかったのよ。大切な娘、大切な後継ぎだもの。とても憎かった。だから、あの人を殺した瞬間、私は決めたのよ。〝聖竜使い〟なんて目障り。だから、あの人が大切にしていたグレイスを殺そうって、ね。それで、この国に来た。大人を殺して子供だけ残して、グレイスをここに導いてくれるのを、待っていたのよ。ここには魔法を使える子供がいるって私は知っていたからね。まさか、こんなに簡単に私の思い通りに動いてくれるなんて思わなかったわ。やっぱり子供は純粋だからかしら」
「ノインくんが〝転移魔法〟を使える事を、知っていたの?」
「ええ。最初は本当かわからなかったけれど、この子たちが話しているのを聞いて、確信に変わったわ。だから〝あえて〟何も言わずにノインくんにグレイスに会いに行くのを見送ったのよ。ノインくんが無事にここに戻ってきて、グレイスに会ったって聞いて、上手く行ったと思ったわ。グレイスは私が子供たちを捕えているのだろうと薄々感じていたでしょう? なら、必ず助けに来るわよね。――だって、あなたが大好きだったお父さんを殺した母親――いいえ、魔女なのだから」
グレイスは怒りに満ちた瞳でカーマインを見つめていた。
全て計画の上、ここに導いた本来の存在はカーマインだったのだと思うと、怒りと憎しみが増す。
目の前でアドゥンを殺されたあの日から、夢を見る。
〝どうして〟の先の言葉が、今になってグレイスの頭で反響する。
『どうしてお父さんを殺したの! お母さん!』
カーマインがグレイスの元から去って、行方をくらませてから、カーマインが自分の母親であるという事実を一度も話した事はなかった。
エルダがカーマインとここで会ったのは初めての事だが、カーマインは部屋に閉じこもったまま、エルダに会わなかっただけで、エルダがよく家に来ていた事は知っている。
エルダはグレイスの家を思い起こす。
グレイスの家にはたった一つ、家族写真が飾られた写真立てがあったのを思い出し、はっとした。
幼いグレイスと一緒にいたアドゥンともう一人の存在は、紛れもなく目の前にいるカーマインと一致したのだ。
母親が父親を殺した、という事実は受け入れがたい事だが、雄弁に語るカーマインの言葉は、本当なのだと感じられた。
レーヴェとヴェルエは、カーマインがグレイスの母親だと知っていて、何も話さなかった。
主であるアドゥンが殺され、聖竜である二人が何も出来なかった事をお互い戒め続け、グレイスに辛い思い出を思い出させないように、これまでずっと黙っていた。
二人にもあの日の情景は鮮明に思い出す事が出来る。
息を引き取る前、アドゥンに心の中でしっかりと言われたからだ。
『グレイスを宜しく頼むよ、二人とも』
その後、グレイスに二人は託された。
それを覚えているから故、目の前にいるカーマインがグレイス同様憎い存在だと感じている。
「でもね、グレイス。あなたがここへ来るのは手遅れだったわ。今からあなたの目の前でこの子たちは死ぬの。そしてあなたは絶望を再び与えられて、――私に殺される」
手遅れ。
その言葉を聞いて、グレイスは一抹の不安を覚えた。
カーマインが子供たちに何をしたのか、グレイスは知らない。
食事と風呂を与えていたという事実だけしか、知らない。
「この子たちに食事を与えていたの。少しずつ、死に向かう毒を含ませた食事を。多分もうこの子たちはそんなに長い命ではないわ。――残念だったわね、グレイス。せっかくの人助けも無駄になる。まだまだ未熟な聖竜使いだった、ってこと」
グレイスは言葉を失った。
何も気づかないまま食事をしていた子供たちもその事実は聞いていたが、グレイスはそれを行っていたという事を知らずにここへ来た。
子供たちを餌に自分をここへ誘い、目の前で自分が助けに来た子供たちが殺されてしまう事実を、受け入れる事が出来なかった。
目の前で、誰かが再び死んでいく恐怖に、身体が震える。
――守れない、救えない、私がまだ未熟だから。
グレイスは心の中で自分を責める。
ここへきて、立ち止まる事は許されないのに、グレイスはただ自分のせいだと再び責める事しか出来ないのだと思うと、立ち止まってしまう。
「……なら、あの日、私も殺せばよかったのに……」
ぽつり。
呟くような声音で、震えたままの声音でグレイスはカーマインに告げた。
「それが出来なかった、と言ったでしょう? お父さんがあなたをかばったのが、全ての過ちだったのよ。あなたが後継ぎだった、という事実も全て過ちだった。――あなたが産まれてきた事が、全ての過ちだったのよ!」
そう言って、不意に子供たちに向けて右手を翳す。
子供たちの表情が、一瞬にして強張る。
心を強く持とうと思っていた子供たちの表情は、既に怯えに変わっていた。
「あなたたちに与えていた食事に入っていたのは即効性の毒じゃない。グレイスが来るまで生かしておいてあげたのだから、感謝してね? 私は最初から、グレイスがここへ来た時点であなたたちを処分すると決めていたから。恨むなら、グレイスを恨んで頂戴?」
その言葉を聞いて、子供たちの表情は凍りついた。
これから自分たちは、目の前の魔女に否応なく殺されてしまうのだとはっきりと感じた。
魔女の右手から赤い炎が現れ、魔女は赤い瞳を細めて、言った。
「さようなら」
瞬間、その炎が放たれ、子供たちは恐怖に目を閉じる。
熱さに悶えて死ぬのだろう、大人たちのように。
そう、思っていた。
しかし、いつまでたってもその感覚が襲ってこない。
不思議に思って恐る恐る瞳を開くと、そこには青いうろこを持った一匹の竜が、子供たちを守るようにそこにいた。
「怪我はない?」
その声に、ノインは聞き覚えがあった。
「……レーヴェ、さん?」
その姿が本来のレーヴェの姿だと思うと、驚きを隠せなかった。
レーヴェは子供たちに言った。
「君たちは必ず僕達が守るから。安心して」
優しくそう言って、レーヴェが魔女の攻撃を防いでくれたのだと合点がいった。
ふとノインが視線を巡らすと、もう一匹、赤いうろこを持った竜がグレイスの傍にいるのを視認して、あれがヴェルエの本来の姿なのだと同じく合点がいく。
――本当に、この二人は聖竜だったんだ……。
驚きと同時に、不思議と心強くなった。
先ほどまで不安と恐怖に怯えていた子供たちの表情も、幾分綻ぶ。
カーマインは子供たちへの攻撃を諦めたか、今度はグレイスに標的を変える。
「そうね。――グレイスを殺せばいいだけだった」
そして、はっきりと告げた。
「お望み通り、殺してあげましょう。十三代目聖竜使いグレイス・マルスモーデン」
カーマインの赤い瞳と、グレイスの黒い瞳が互いを射抜く。
グレイスはその瞳に怯える事無く、ただ憎しみだけを湛えてカーマインを見つめていた。
「それはさせない」
カーマインがそう告げた瞬間、グレイスとは違う声がそう言った。
「グレイスは、俺が守る」
それは、今まで黙って話を聞いていたエルダの声だった。
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