少女は眠る、星の下
天鵞絨のカーテンはズタズタに裂かれ、ひび割れた窓から月明かりが射し込んでいた。
壁に飾られていた油絵は焼け落ち、床や壁には血飛沫の跡が残っている。
あれから何年が経っただろう。
俺の高校二年生の夏は異世界に塗りつぶされ、世界には平和が訪れた。思い出と同じように過去も忘れられたらいいのに、なんて一人ごちる。
廊下をしばらく行った先に、最終決戦を行った部屋があった。
玉座の間。
ベタなことにかつての仇敵はそこでふんぞり返って俺たちを待っていた。
今はもういないかつての幻影を振り払って、目的通り奥の道に行こうとした俺は、扉が薄く開いているのに気づき歩みを止めた。いつもなら無視するところだが、今日はどうも好奇心がうずくので、そっと中を覗き込んでみる。
玉座に誰か座っていた。
少なくともテリヤムやカルックスではない。小さな人影だ。
魔界はサウレフトとノースライトの両国より不可侵領域に指定されており、一般人はもちろん要人ですら立ち入ることは難しい。
魔族の連中のように人間の法律が適用されない者のみが城に立ち入れるのだ。
「……」
イカタ塔で手に入れた剣の鞘がわりにしていた布を外し、慎重に中の様子を窺う。
ただ者ではないはずだ。
扉から玉座までは結構遠い。謁見の間を兼ねているからだろう。
薄暗く中がうまく確認できなかったので、俺は浅く息をはいて、全身に魔力を巡らせてから、中に入った。
「……」
少女が玉座に座って、寝息をたてていた。黒い髪と白いドレスが月明かりに照らされ淡く輝いている。
壊れた玉座に座る少女は芸術作品のように、
「サキ」
かつての父親と同じように、そこに座っていた。
本当に激しい戦いだった。ストレートに言葉を選ばず言うなれば、あれはまさしく殺し合いだった。魔王の火炎には何度も死を意識したし、実際に死にかけた。
あんな思いは二度としたくない。
彼女と殺し合いなんて、考えたくもない。
だから、そこに座らないでほしかった。
窓ガラスは砕けているし、彼女が腰かけている玉座も、背もたれが半分ぽっくり折れている。
進んで腰かけようと思うようなモノではないだろう。空いた壁の穴から吹く、すきま風にサキの柔らかな前髪はかすかに揺れた。
「起きろ。こんなところで寝てると風邪をひくぞ」
「……ん」
喉をならし、薄く瞼を開ける。瞼が徐々に鳶色を広げていく。
「あれ、マクラしゃん……」
喉に張り付くような上擦った声だった。寝ぼけているらしい。うろんな視線を俺に寄越した。
「ベッドで寝ろよ。そんなとこで寝てると血流悪くなるぞ」
「……マクラさん? あれ? 夢ですか? なんでここに?」
瞼が開ききった。どうやら目も覚めたらしい。
「夢じゃねぇよ。俺はミヤを送り届けに来ただけだ。テリヤムとカルックスとユナも一緒だ」
「そう、なんですか。ご苦労をおかけしました。本当ならワタクシが迎えに行くべきところなんですが、ちょっとバタバタしてしまって」
言い終わると同時にサキは小さくあくびをし、恥ずかしそうに「失礼しました」と加えた。
「そういうお前はなんでここにいるんだ?」
「明日に備えてですわ。ねぇ様にサウレフトでの対応をお任せして、使節団の対応の準備で前乗りしたのです。懐かしくてつい居眠りをしてしまいました」
椅子から立ち上がりサキ「んー」と伸びをした。
「なんでドレス着てるの?」
白いシルクのドレスがふわりと浮き上がった。花の刺繍なんかが施されており、小柄の彼女によく似合っていた。
「平和条約締結の祝賀パーティーがあったんです。着の身着のままこっちに来たものですから。でも、見せられてよかったです。どうです? かわいいですか?」
サキはニタニタと笑い、見せびらかすようにゆったりと一回転した。
「それとも高校の制服の方がマクラさんはお好みでしょうか?」
「おい誤解すんなよ」
俺はそうだけど、
「男がみんなセーラー服好きなわけじゃないからな」
サキは疑うような目付きで冷たく俺を見た。見抜かれている。
「似合ってる。社交界の令嬢ってかんじだ」
なんとなしに漏らした感想に、サキは寂しそうに微笑んだ。
「……昔はよくここでダンスをしたものです。あの頃はすごく楽しかった……」
なにも言えず唇を結ぶ俺にサキは慌てて首を振った。
「あっ、ごめんなさい。そんなつもりじゃないんです。思い出は昔のもので、これからもっと楽しい思い出を作ればいいだけですから」
目が慣れてきて、広い玉座の間が見えるようになってきた。
改めて室内の惨状が明確になる。ここは魔王と勇者が最期の殺し合いをした場所だ。
壁や床にはアリスの魔法でえぐれているし、お世辞にも整った空間とは言えなかった。天井にぶら下がっていた豪華なシャンデリアもごしゃごしゃになって床に転がっている。
「マクラさん、黙っていようかとも考えたんですが、正直にお伝えします」
「ん、なにが?」
「地球とを繋ぐゲートは明日完全に閉じられます」
サキの澄んだ瞳が俺を写す。
「完全に、……閉じられるのです」
同じ事をもう一度言って、緊張したように大きく息を吸った。
ああ、やっぱりそうだよな。
目を背ける。
考えないようにしてたけど、いやがうえにも直面する問題だ。
「閉じなければ、世界が崩壊してしまう。そうしなければ、みんな、死んでしまう」
「ああ。そうだな」
「マクラさん、ねぇ……ワタクシたちは……ワタクシたちは、もう二度と会えなくなるのでしょうか……?」
その問いかけは残酷だった。
つまり、彼女は俺に残れと言っているのだ。地球に帰らず、勇者として、この世界に留まれと、涙目で懇願しているのだ。まったく俺よりも日本人らしい。こんなときに暗喩を使わないでほしい。自分の、自分の望むことだけをストレートに伝えればいいのだ。
ふと、先ほどのユナとの会話が脳裏をよぎった。「後のことは任せて、やりたいように」というのはつまりそういうことなのだろう。
「……」
長く黙り過ぎた。サキは不安そうに俺を見つめている。
しかたないだろ。気づいているさ。
「おれ、は……」
声がうまく出せなかった。そりゃそうだ、言うべき言葉が見つからないのだから。
「……」
サキの潤んだ瞳と目があった。
いや、なにを深く考えていたのだろう。事態はもっと単純で、単調で、複雑なことなんて、なにもない。
そうだ。ストレートに、素直になろう。
「そうはならない。サキ、いやニフチェリカ、俺と駆け落ちしよう」
気持ちが楽になったからか、その言葉は思ったよりもするりと喉を通り抜けた。
「え!?」
みるみる頬が赤くなる。いつもすました彼女の表情が照れて崩れるのは少し面白かった。
「ななななななにを! と、突然、わ、ワタクシは真剣なのですよ、こんな時に冗談などおっしゃらないでください!」
「冗談じゃないさ。誓うよ。俺も頑張る。受験はやめて働く。恥を捨てて親父に頭を下げる。それが無理なら二人で遠くに行こう。田舎に行って静かに暮らすんだ。争いは避けて平和だけがある豊かな農村とかで、二人で……」
「……」
最近は現実から逃避してこっちの世界で生きるのもありじゃないかと考え出したところだが、俺や彼女はこちらの世界だと、安穏と暮らすことは出来そうもない。
どうしても、
どうしても、敵対関係に落ち着かざるをえない。
「ニフチェリカ、なぁ、お前とならうまく行けそうな気がするんだ。お前が、横にいないと、……寂しい」
彼女は顔を歪ませ、泣き出していた。端正な顔が台無しだ。
「だから、向こうで、日本で、……暮らそう」
俺の頬も濡れていた。
ああ、みすったな。
クソ。ハードボイルドの主人公みたいにカッコよく言いたかったのに、これじゃあ、締まらないじゃないか。
「まくらさぁん」
嗚咽まじりに彼女は俺の名前を呼びながら、泣き崩れた。
「う、うっうう……」
気づいていた。
人一倍責任感が強い彼女がこの提案に首を降るはずがないってことくらい。だけど、どうしても自分の感情を言葉にしたかったのだ。
「わ、わたくし、はぁ、ワタクシだってぇ……」
「いや、いいんだ。ごめん。忘れて、忘れてくれ」
言葉にできず、視界が涙でふやける。しっかりと彼女のことを見ていたいのに。
「そんなの……」
嗚咽交じりに彼女は叫んだ。
「忘れられるわけがないですよぉ!」
柔らかな温もりと香りが胸に広がった。
「愛してるんだからぁ」
崩れるようにニフチェリカが飛び込んで来た。
勢いのまま押し倒されるように床に横になった。
景色が滝のように流れ、
「ははっ」
後ろに倒れながら、思わず笑ってしまった。自分の情けなさに。世界の素晴らしさに。
ニフチェリカは、わんわん泣きながら仰向けに倒れた俺の胸の上で涙を流している。
大の字になって、天井を見て、シャンデリアのあった場所には大きな穴が空いているのに気がついた。きっとアリスの大魔法のせいだろう。
「ニフチェリカ……」
小一時間泣き続けて、疲れたのか、少し弱くなった彼女の手をとって話しかける。ゆっくりと顔をあげて至近距離で鳶色の瞳と目があった。
「なんですか」
目元が赤くなっている。泣きすぎだ。
「空を見て」
ニフチェリカは言われて、俺の横で仰向けになった。
「星が綺麗だな」
昔、戦場になったとは思えないくらい、室内は穏やかだった。
朝日が昇れば否応なしに現実が襲い来る。だから俺は、もう少しだけ夜に留まっていたい。
空には星が瞬き、ニフチェリカの温もりが隣にある。
だから、
だから、今はこの幸せを噛み締めさせてほしい。
「ほんとうに美しいです」
未來がどんなでも俺はいい。
「時間が止まれば、いいのに」
だから、お願いだ、
今だけは。
俺は静かに目を閉じた。
何回か書いてる後書きなのですが、この作品についてはこれで締めたいと思います。
好き放題綴ったので散らかり放題な作品ですが、どこか一文でも誰かの心に残ってくれればいいな、と思います。
ありがとうございました。




