続 世界の終わりによろしく 5
ざわめきが収まる。
とてつもなく大きなトラブルがあったので、中止になるもんだと思っていたが、主催者は随分と豪胆な性格らしく、休憩を挟んで、何事もなかったようにオークションは再開された。
会場は再び熱気に包まれる。
テリヤムが『静女の銅像』の買い主の情報を仕入れたらしく、あとはオークションが終わってからユナを引き取りにいくだけになった。
聖剣が高く売れればいいのだが。
次の品物はツボだった。
その次もツボ。
一回茶碗を挟んで、ツボ。
ツボツボツボ。
退屈な売買が始まったので、椅子に深く腰掛け軽く目を閉じる。眠くなってきた。
「サワムラ様」
呼び掛けられた。顔をあげると、黒服を着た男性が立っていた。
「先ほどの件でオーナーが是非お礼を差し上げたいと申しております。ご都合よろしければ、お会いしていただけませんでしょうか?」
「オーナー?」
「当カジノの支配人でございます。ドラゴンの襲来を被害を出さずに解決してくださったことにお礼が申したいと」
「わかりました。行きましょう」
もらえるものは病気以外はなんでももらう、そういう信条に従って、俺は立ち上がった。
「いってらしゃい」
ひらひらと隣の席のミヤが手を振ってくれた。
黒服の男についていく。
外はすっかり日が暮れていた。
真ん丸な月が夜空にぽっかりと二つの穴を開けている。
通りを挟んで向かいの高い建物に入り、上階まで行くと、黒服は一つの部屋の前で立ち止まって、慇懃に頭を下げた。
「私がお供できるのはここまででございます。支配人は会談を行う際、必ず一対一をご希望されます」
「そうなんですか」
変わったご趣味だ。
「ノックをしてお入りください。お話が終わりましたらまた声をかけてください」
「わかりました」
丁寧すぎる言葉遣いに逆に違和感を感じながら、拳をつくる。茶色い木製のドアだった。
はて。
たしか面接のマナー本でノックの回数によって意味合いが変わってくるって読んだことがあるな。目上の人へのノックは何回だったっけ。まあ何回でもいいや。
二回のノックのあと「どうぞ」と声をかけられたので室内に入る。
敷居を跨いでから思い出した。
二回はトイレか。
応接室のようだが、室内は豪華の装飾に彩られていた。
なにがすごいって、間接照明だ。やっぱり間接照明はいい。自分の部屋にも導入しよう。
「……こんにちは」
背の低い高級そうな猫足のテーブルが真ん中にあり、ふかふかと座り心地のよさそうなソファーが置いてあった。窓際に立っていた短髪で白髪の男性が俺に頭を下げた。
「忙しいところお呼びだて申し訳ないね。わざわざありがとう。よく来てくれた。ずっと話がしたかったんだ」
低い声でゆっくり声がかけられる。口調は若いが俺よりもずっと年上だ。
五十代、いやもっと上かもしれない。顔にシワはなく、年齢はわからないが、鋭い目付きをしていた。
「とりあえずかけてくれ」
「はあ……」
曖昧な返事で頷いてから、促されるままソファーに腰を下ろす。ふかふかで、おしりが沈んでしまった。
「私も失礼する」
俺の対面に男も腰かける。
黒いスーツに黒いネクタイをしていた。まるで葬列者のような風体だ。
こちらの世界にも、そういう服があるんだな、と思った。
「ドラゴンの襲来に対応いただいて、誠に感謝する」
軽く頭を下げられたので、会釈と共に「いえ……」と返す。
威圧感を持つ男性だった。
落ち着き払った様子は大物の風格を感じさせる。なぜだろうか。たかがカジノのオーナーなのに。
「聞いたところによると……」
台本を読むような演技口調で男は続けた。
「サワムラさんは異世界からやって来たそうだな。大変な苦労だっただろう」
「えっと、色々な人に助けられたんで、そこまで苦労はしませんでした」
「ほう、しかし、聞いたところによると……」
低くしゃがれた声で、鋭さはなく、心に直接語りかけるような優しい声音だった。
「まだ若いのに人殺しを強要されたらしいじゃないか」
魔物を『人』と称する人に出逢ったのは初めてだった。
なにも言えずに口ごもる俺を、男は値踏みふるような視線でじっと見ていた。
「ところで、なあ、サワムラさん。こちらの世界は狂っていると思わないか?」
沈黙が気まずくなったのか、突拍子もない質問を投げ掛けてきた。
「こちらの、世界?」
「そう。連中は倫理観が欠落しているというか、ヒトとして大事なネジが外れているというか。ああ、すまない、国語は苦手でね。どうも上手く言葉にできないくて」
「少し……わかる気がします……」
命を軽視しすぎている。宗教感がそうさせるのだと思っていたが。
「連中は自分の命ですら軽いものとして捉えている。キミや私には理解できない思考回路だ」
「……ちょっと、まってください。その言い方じゃ、まるで……」
「まだ自己紹介がすんでいなかったな」
男は表情を一切動かさず、続けた。
「私の名前はトオヤマ。お察しの通り、故郷は君と同じだ」
漂流者に会うのは初めてだった。
状況をなんとかして飲み込もうと脳がフル稼働する。
「はじめに断っておくが、私は魔法とやらはつかえない。普通の人間だからね」
「普通ですか」
「ああ、少しカドがたつ言い方してしまったな。正確には君のように選ばれし者ではないから、だ」
「俺だって、別に選ばれたってわけじゃなくて……」
「謙遜はしないでくれ。君が来るまでに何人もの被害者がこちらに転移してきているんだ。彼らを惨めにさせてはいけない」
「どういう、ことですか?」
トオヤマさんは指を組んで少しだけ考える素振りを見せてから口を開いた。
「例えば君が会社経営者で新入社員を雇うとしたら、一人目で採用なんかせず、何人かを見て、たった一人を採用するはずだ。結婚相手だってそう、勇者だってそう」
ワシのように尖った鼻を一度ならし、続けた。
「これは魔王とやらが台頭してくるずっと前から続けられてきたことだ。いまじゃ広がった穴を塞ぐことが出来ずに新しい被害者が生まれている」
「……」
「もっと分かりやすく言ってあげよう。キミは失敗の積み重ねがあったからこそ、成功できたんだ」
黒い瞳に写る俺は間抜け面だった。
「そんな話は聞いたことない」
「事実だ。失敗作が目の前にいるだろう」
「まさか」
トオヤマさんは不敵に笑った。
窓の外には闇が広がっている。
「べつに羨ましいとか未練がましいことは一切感じていない。むしろキミに苦労を押し付けてしまって申し訳ないとすら感じているよ」
「トオヤマさんは勇者、だったということですか?」
「正確には違うな。二十年前になるか。まだ魔王が出てくる前の話だ。キチンイの預言書とかいう眉唾なものが天空都市で見つかってね。そいつはどうも聖櫃から盗掘された代物で、書かれていることがよく当たるらしい。国家を動かすほどだ。その一頁にある「世界を滅ぼす闇の王」の存在を恐れた当時のサウレフト王は保険で異世界の住人の召喚を実験的に進めていたんだ。ほとんどが魔法の適性すらない雑魚だったが」
「それに、喚び出されたんですか……?」
「そうなるな。当時日本は世紀末でね。不景気で世間も落ち込んでいた。子供たちは遅くまで塾に行き、大人たちは暗い目をして棺桶のような電車に乗って会社に通っていた。それでも私には明るい未来があると信じていたし、付き合っていたカノジョと同棲でもしようか、なんて話をしていた矢先だった。夜、布団で寝て、目が覚めたら異世界だ。ひどい話だろ?」
「そう、ですね」
「こちらの世界に来て右も左もわからない私を喚び出した連中は「ハズレだな」と呟いて、そのまま草原においてけぼりだ。恨まないでいられるか?」
俺なら復讐の鬼とかす。
「それからは必死だったよ。いきなり異国でホームレスだ。言葉が通じるのが救いだったな。賭場を初めてここまで大きくするのに二十年かかった」
成り上がりストーリーに単純に「すごいですね」と声が漏れていた。
「同じように転移してきた連中で組んでね」
昔を懐かしむような瞳のまま、トオヤマさんは立ち上がった。
「私も人間だ。恨まないなんてことは難しい。だが、こちらの世界でそれなりに財を成した上で考えることがある」
もったいつけるようにゆっくり歩く。一歩一歩が時計の針のようにも感じられた。
「なあ、サワムラくん」
俺の背後に立つ。
「世界を壊してみないか?」
冷たくドスがきいた声だった。




