根こそぎ劣情ファンタジア 1
休日はどうやって過ごすか、という質問に対する答えは睡眠の一言だった。
夢の世界は優しくて傷付けるものがないからかもしれない。
しかしその日見た夢は、思い出と呼ぶには綺麗すぎる過去の残滓で、真綿で首を絞めるような後悔が、聖なる悪夢を演出していた。
「勇者様」
夢というのは脳が記憶を整理するときにおこると昔読んだ小説に書いてあった。仕組みはよくわからないが、目の前の愛くるしい笑顔を俺は確かに知っていた。
「頑張りましょう。誰も悲しまない世界を作るのです」
賢者はよく働いてくれた。ダメージを受けるとすぐに回復魔法をかけてくれたし、彼女無しには旅は続けられなかっただろう。
「ははははっ、魔王を倒して平和が訪れれば、酒がうまいってなもんよ」
戦士が豪快に笑い声をあげた。
悩む俺をいつも導いてくれた。時にパーティを庇う仲間思いなやつだ。その豪腕には何度も助けられた。
「アタシの拳がどこまで通用するか早く試したいわ!」
武道家が拳を突き上げながら言った。
彼女は地元の道場の知名度をあげるために旅に参加したが、実力には目を見張るものがあった。
「お宝を早く拝見したいぜ!」
盗賊は俺たちの荷物を盗もうとしたことがきっかけで知り合い、いつしか一緒に旅をするようになった。
「町のみんなのためにも負けられないな」
普段クールな発明家も燃えている。
「べ、べつにマクラと一緒に冒険したいってわけじゃないんだからね! エルフ族として見過ごせないってだけなんだなら」
魔法使い。
「家に帰ってゴロゴロしながら漫画読みたい」
誰だお前。
「わんわん」
ポチだ。
「腹へったなぁ。今日ミスド百円らしいぜ」
まじで誰だお前。
ガツン。
「ふぐぅ……」
目覚めは腹部に感じた鈍い痛みだった。
「……なぁ、んだぁ?」
掠れるピントが合い始める。
少女が倒れていた。俺に覆い被さるように。
「……重ぇ」
横から腹を重ねるように倒れている。
ボロボロになった彼女の頬には傷がついており、所々煤がついていた。どんど焼きでもやってきたのだろうか。
「どけよ……」
「助けてほしい」
制服を着たミヤだった。
「なんだ、お前。なにしにきた」
布団の隅にミヤを追いやってから、立ち上がる。
お腹が空いたので、朝食という名の昼食のバナナを食べながら話を聞くことにした。
「テリヤにニフチェリカがさらわれた」
ミヤは腹這いに布団に倒れたまま、首だけを動かして答えた。キッチンに向けられた爪先を戻し、ぐったりと倒れたたままの少女に尋ねる。
「ん? なんて?」
「魔王が誘拐された」
「あ、そうなん。大変だな」
「助けてマクラ」
ゴーレム少女はすがるような目付きで俺を見た。長い銀色の髪には土がついている。
「お断りだ」
「なぜ」
「自分らで解決しろよ。何でもかんでも人を頼るな。それよりお前どうやって部屋に入った?」
「魔王に解錠呪文を教わった」
「バカな。前回までの失敗を教訓に今回はチェーンもかけていたはずだ」
俺は玄関ドアに視線をやった。
ぷらんと垂れる鎖は二つに分かれ、半身が靴抜きに転がっている。
「な、っな、なっ!」
言葉がでない。
「嫉妬のスキル、形状変化で作ったカッターで切った」
「か、管理会社になんて説明したらいいんだ!」
「怒らないでほしい、緊急事態だから」
「な、納得できるか! どうしてくれる」
「そんなことで心の扉を閉ざさないで」
「黙れ」
「マクラの心に解錠!」
「ぶっ殺すぞ!」
「こわい」
語気を荒らげていた俺は、とりあえず一旦落ち着くことにした。コップに水道水を注ぎ入れ、口に含む。中途半端なカルキ水が喉を潤す。
「ともかくだ」
コメカミに感じる血管の脈動を抑えつつ、冷静さを装って会話を続ける。とりあえず鎖はアロンアルファでくっ付けることにしよう。
「サキが誰にさらわれようと俺の知ったこっちゃない。チェーンに関しては許してやるから、二度と関わらないでくれ」
「寂しいこと言わないでほしい」
「お前だって嫌だろ。あの女の尻拭いは」
「そんなことはない。魔王はよくやっている。今回は相手が悪かった」
「相手? 誰だよ」
「テリヤム・メドクーラ 。最恐と称えられる吸血鬼」
待て。
いまなんて。吸血鬼?
「……メドクーラ、だと」
そんなバカな。
「倒したはずだぞ。こちらの世界に来ているというのか!」
「マクラ……?」
いかん。つい熱くなってしまった。落ち着こう。
「いや、メドクーラは勇者一行が退治したはずだ、何かの間違いじゃないのか」
「マクラはたぶん勘違いしてる」
「なにが」
「勇者が倒したのは父親のほう」
「なんだと」
「色欲の吸血鬼テリヤム。闇と火の属性を持つ。性別は男。亜人属。絶対なる不死者」
「色欲なのに男なのかよ……」
地味にショックだ。せめて性別は女にしてほしかった。
「とりあえず事情を説明してくれ」
メドクーラはかなりの強敵だった。戦士はやつにヤられたのだ。
ザメツブルクに城を構え、町民たちを恐怖で支配しており、単純な魔力総量なら魔王すら凌ぐだろう。
そんなやつの息子がこちらに来ているとなると捨て置けない。
「そう、あれは……つい先ほど」
ミヤは相も変わらず布団に倒れたまま話始めた。
「魔王と一緒に吹き矢やっていた時だった」
吹き矢?
「メドクーラが目の前に現れ」
「ちょっとまて」
「ん?」
「吹き矢ってなんだよ」
「部活。吹き矢部。今日は土曜練習」
「そんなんあるんだ」
「吹き矢は奥が深い。集中力と肺活量が必要になってくる。発射速度をあげるには腕の筋力も必要であり、ひ弱な僕にはなかなか難しい」
「吹き矢の説明はいいから先に進めてくれ」
「先って競技内容とか?」
「メドクーラの話」
「ああ、そっち」
ミヤは淡白に続けた。
「屋外で稽古をつけもらっていた時だった。『もっと背筋を伸ばすのです!』」
「!」
突如甲高い声をあげるミヤにビクリとしてしまう。いつもの低すぎるテンションが嘘のようだ。
「お、おい」
「『ほうはな?』
『グーです! とてもよくなりました!』
『ふっ!』
『おおー! 命中制度もあがってきましたね!』」
「それひょっとして物真似か? 普通に喋れないの?」
「無理」
「ああ、そう続けていいよ」
演技を邪魔されたのが気にくわないのか、眉間に小さなシワを作りながら、彼女は壊れたカセットテープのように続けた。
「がさがさ『むっ、なんの音でしょうか?』
『やあ。』
『ななな、なんですか、あなた! なんで男の人が校内に!』
『来たかったから来たんだ。うんうん。君たちもかわいいね。眼福だよ。』
『は、はあ。あ、ありがとうございます。あの、ところで手になに持ってるんですか?』
『ん、これかい? 体操服だよ』
『え? たいそう?』
『女子高生が着た体操服を今度は僕が着るんだ。ほんとはスクール水着がよかったんだけど、秋だからなくてね。それにしても、今のデザインはやっぱりナンセンスだね。ブルマのほうがよかったとそう思わないかい?』
『へへへへへ変態だぁー!」
「とてつもないやつが現れたな……」
すでに頭が痛い。
「顔はかっこいいし、性格も優しそうでいい人っぽかった。それだけに変態行為は、残念」
「と、とりあえず続けてくれ……」
「わかった」
ミヤは小さく頷いてから、また声まねし始めた。
「『警備員さぁーん!』
『ああ、待ってくれよ。話を聞いてくれ。体操服を盗ったのは事実だけど、仕方がないことなんだ。』
『なにがですか! 生徒会長として見逃せませんわ! 誰か、誰か来てください! 変態が出ました!』
『やれやれ。僕の大罪は色欲だからね。普段は抑えられるんだけど、ナイトウォーカーだからどうしても昼間は自制がきかなくなってしまうのさ。太陽が眩しかったから盗んだ。それだけだよ。』
『な、まさか、あなたは!』
『僕の名前はテリヤム・メドクーラ。夜の王にして絶対なる吸血鬼さ。』
『なんてことですか。かつての名門・メドクーラ家ともあろうものが。……ワタクシは魔王の娘です。魔族の狼藉は見逃せません。』
『ああ、知ってるよ。ニフチェリカ・マーメルト嬢。思ってたより可愛くて良かった。こちらの世界では青村紗季さん、だっけ。僕は君に会いに来たんだ。』」
声真似で状況説明していたミヤは口を閉ざすと、がばりと起き上がり布団の上で体育座りをした。
「一瞬だった」
「なにが?」
「テリヤムは一瞬で魔王に近づくと、彼女の耳元で睡眠呪文を唱えた。魔王はなすすべも無く術中にはまり、地面に伏した。僕は当然魔王を助けるためにテリヤムに挑んだんだ」
ミヤはきつく膝を抱いた。
「敵わなかった。火炎を正面から受けた僕は昏倒し、倒れてしまった。彼は立ち去るときに『ついでに揉んでおこう』と僕の太ももを触ってから何処かへ消えたんだ。魔王をお姫さま抱っこして」
「なんか腹立つな」
「僕だけじゃ、アイツに勝てない。頼むよマクラ。一緒にテリヤムを探してくれ」
ミヤが顔をふせるのと、ほぼ同時だった。
「探す必要はないよ」
窓から鋭い声がした。