続 世界の終わりによろしく 1
経済の活性化を最重点目標に見据え、首脳会談は終わりを迎えた。
ノースライト、サウレフト、魔界との間で平和議定書が締結したのだ。
水面下で行われた暗殺未遂やら、仲間内のごだごだが遠い過去のように思えるほど、穏やかな日々続いた。
サキとトモリが締結成立を祝う会食で美味しい料理を食べている頃、俺はサウレフト領の港町で釣りをしていた。
歴史的一歩に際して、結局なにもしていない。冷静に考えればそれが普通のことなのだ。教科書に載るような社会情勢に一般人が絡むことなんてそうそうなく、世界が変わっても俺の日常はなんら変わらなかった。
埠頭のピットに腰を掛け、ゆらゆら揺れる海面を眺める。反射した太陽が光の鱗のようで美しかった。
「……」
お腹が鳴った。
人は生きているだけでカロリーを消費する。
食欲がないと嘯いてみてもお腹がふくれることはなく、お金がなければ自給自足しか残された道はない。
「……ひもじい」
参考書片手に釣竿を握るが、腹が減りすぎて集中は出来なかった。ウミネコに似た鳥がニャアニャア鳴きながら青空を旋回しているが、段々とうまそうな鶏肉に見えてきた。末期である。
「むっ」
釣竿が震えた。
参考書を閉じて、両手で竿を握るが、やたら重い。
大物の予感。釣りをはじめて三十分、ようやく昼飯にありつけそうだ。
「おぅりゃ!」
リールなんてない、竹竿に糸をつけただけの簡素な作りだ。おもいっきり竿を振り上げる。
糸の先についていたのは、剣だった。
「……?」
ぷらーんぷらーんと垂れ下がるそれはかつて俺が振るった聖剣トモリだった。
手元に手繰り寄せ、針を外す。どうやら柄にひっかかっていたらしい。
「……」
食えないじゃないか。
ひとまず地面に聖剣を置き、釣り針に餌をつける。
火急で解決しなければならないのは、空腹である。このままではお昼は水になってしまう。
「返してほしい」
次の一投の準備をする俺に、短い言葉がかけられた。
振り返る。
太陽の光が降り注いでいた。
それに照らされる均整の取れた顔、少し荒い息遣い、銀色の髪に覆われた小さな肢体。
「それは大切な人から預かった大切なもの。汚い手で触らないでほしい」
ミヤストム・ノルウェジアンが海水を滴らせて立っていた。
「……ミヤ?」
長い髪がぴたりと体に張り付いている。
「誰?」
「は……」
「なんで僕の名前を知ってるの?」
「地味に傷付くからそういうのやめろ」
「……」
視力が悪い人やるように、目をすぼめて俺の顔面を見つめた。
「マクラ?」
「そうだよ」
「髪切った? しばらく見ない間に雰囲気が変わったから気づかなかった。なんだかサナギが幼虫に戻ったみたい」
「そこは蝶になろうよ」
スクール水着を着ていた。胸のところに『ミヤフジ』と書かれていたので、女子高生時代の遺物だと判断できた。
「それでこんなところで何してるんだ? 海水浴か?」
再び釣竿を垂らす。
「海底神殿から陸地へ上がろうと思っていたら、背中にくくりつけてた聖剣がひっかかった」
「そうか。わざわざ地上に上がって港町で買い物か? ご飯食べたか? まだならおごってくれ」
何だかんだで限界だった。
「違うよ。僕は世界を救いに来たんだ」
船の汽笛が遠くに響いた。
「まあ、そういう時期あるよな」
思春期のパラノイアってやつだ。
日差しは柔らかく、穏やかな昼下がりだった。不穏なことを口にするような雰囲気ではない。
潮風がミヤの髪を乾かそうと吹く。
肌がベタつく感じがした。
「空間を繋ぐ扉が短期間で何度も開閉したお陰で、次元に歪みが生じているらしいんだ。雨粒が岩を砕くみたいに」
「……」
ミヤの口振りはいつも通り平坦なもので、とてもじゃないが焦っているようには聞こえなかったが、もし事実だとしたら実際けっこうヤバイのかもしれない。
「歪みが生じるとどうなるんだ?」
「次元の裂け目が至るところにでき、無関係な他人が転移してくる。僕はそれを止めたい」
「最近やたら多いと聞いていたが、別にその程度なら気にする必要なくないか?」
「ドライだね」
「異世界転移も一つの運命だったと割りきってもらえればいいだろ」
「物事には段階がある。裂け目は徐々に大きくなり、最終的には、どちらか片方が飲み込まれてしまうらしい。庇を貸したら母屋がとられるんだよ。つまりマクラの故郷か、僕の故郷か、どちらかが滅んでしまうんだ」
別段困ったことのなさそうな静かな瞳が俺を見据える。
「どうすればいい?」
「知るか」
ミヤの言うことが本当だとしても完璧に打つ手なしだ。
「とりあえず、もうゲート開けるのやめたら?」
彼女は異次元とのゲートを繋ぐことが出来る門番だ。門戸開放とかいうスキルをもつゴーレム少女らしい、断っておくが、頭おかしいのは俺ではなくて、目の前の少女である。
「ひとまず消滅するとしたらどっちの世界か調べておけ」
俺は勇者だが、その前に一人の人間。生き残るにはどうしたらいいだろうか。
手元が震えた。
むっ。
「釣れた!」
反応があり、持ち上げた釣竿には一匹の魚がかかっていた。美味しそうな青魚だ。
いまはっきりとわかるのは、生き残るためには食わねばならぬ。
魚籠に記念すべき一匹目をいれ、自然と笑みがこぼれてしまった。
「さて」
昼食が取れたので立ち上がる。欲を言えばもう一匹くらい欲しかったが、できるだけ行動は早くした方がいい。
「キッチンが借りられるところに行こう。鮮度が落ちるからな」
「世界は?」
「腹がふくれてから考えよう」
ミヤの杞憂であってほしいところだが、こういうのは大抵悪いほうに転がるのだ。
「よかった。マクラが手伝ってくれると助かる」
「まっ、そう気張るなよ。なんとかなるさ」
ポンとミヤの肩に手をやって不安を払拭できるように笑い掛ける。
「セクハラ」
「……」
スク水に興奮しなかったといったら嘘になるので反論は出来なかった。
「こらー、そこ! ここは釣り禁止だよ!」
埠頭からの帰り道、桟橋の上でふとましいオッサンがオレとミヤを見つけてかけてきた。
「あっ、すみません、そうとは知らず。いま帰ります」
「釣った魚、逃がして!」
「えっ!」
後生な!
桟橋で泣きながらリリースし、俺は再び空腹に襲われていた。
あぶく銭は全て泡沫と消え、俺に残されたのはこの釣竿とミヤから受け取った聖剣だけである。
「世界の危機よりも問題は飢えだな」
目眩がしてきた。
「なんでなにも食べないの?」
きょとんとミヤが聞いてきた。
「友達とケンカしてな。頼りにしてたから追い出されて困ってんだ」
「なるほど。ケンカするとお腹減るもんね」
「違う、単純に金がないんだよ」
「? お金は食べられないよ」
「食べ物を買えないんだよ」
「食べられるものならそこらじゅうにあるよ。ほら、鳥が空を飛んでる」
「生き物を殺したら犯罪なんだ」
「なら、草食べる? はい」
道端の草をむんずと掴み、ぶちぶちと引っこ抜くとぐいっと俺に近づけた。
「食えねぇよ!」
せめて、サキのように調理してくれ。
「好き嫌いばかり。ならもう土を食べればいいじゃない」
「バカにしてんの? マリーアントワネットだってそんなこと言わねぇよ」
「ミミズに出来るんだからマクラにもできるよ」
「無理だ。無脊椎動物といっしょにすんな。こちとら脊椎あんだよ」
「やれやれ、仕方ないなぁー。いつも僕に頼るんだからぁ」
ミヤは自信ありげに言うと、その場にしゃがみこんで、生け垣の土を両手で掬った。カオス。
「はい」
ぐっと握って差し出してくる。
「……メンタルヘルスに行こう。大丈夫、俺がついてる」
「食べないの?」
「食えるか、ぼ……むっ?」
白くて小さい彼女の手のひらに握られていたのは、お握りだった。
「はっ、えっ、どういうこと?」
「嫉妬のスキル、形状変化は物質を等価交換し、新たな価値の創出に至った。僕もレベルが上がっている。修行したんだ」
「ば、ばかな!? ただの土にご飯分のたんぱく質が含まれているとは思えん! ご丁寧に海苔まで巻いてある!」
等価交換の意味を調べて使ってほしいところだが、空腹には論理は無意味だ。ミヤからおにぎりを受け取って頬張った。旨い。
「わ、わしのおにぎりが、泥団子にっ!」
近くの民家から悲鳴が聞こえたが、たぶん気のせいだ。




