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勇者は死んだ目をしてる  作者: 上葵
クリア後、節句、夢現
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咲いて香って落花流水 1


 桜が咲き始め、電車は毎日のように遅延し、真新しいランドセルを背負った子供たちが駆けていく。

 麗らかな春の日差しが溢れ、花粉症には辛い季節がやって来た。

 毎日机にかじりついている俺には無関係な話だが。


 チャイムの音が室内で弾け、ピンと張り詰めた緊張の糸がちぎれた。

 眼鏡をはずしてから、ペンを置いて立ち上がる。

 伸びをしながら玄関に向かう。


 長い髪を帽子にしまい、首からタオルをかけ、軍手をはめた少女が立っていた。陽光は穏やかで、過ごしやすい一日の始まりには不釣り合いな格好だ。

 いつも無駄におしゃれなくせして、今日はファッションセンスを道端に落としてきたらしい。

「冒険に行きましょう!」

 ついでに常識もロストしたっぽい。

 立てた親指をぐっと掲げ、良い笑顔で提案される。

「お断りだ」


「マクラさん、最近お外に出てませんよね」

 唇をすぼめてサキが言った。

「用もないからな。人としゃべるのも二日ぶりだ」

「そんなんじゃダメです。適度な運動が脳を活性化させるんですよ。健全な魂は健全な肉体に宿るんです」

「……」

「どうしたんですか、貧乏揺すりなんてして?」

「タバコ吸って良い?」

「人の話聞いてました?」

 誕生日を迎え、大人の仲間入りを果たしたので、心置きなくニコチンを体内に摂取できるようになったのだが、 サキは臭いが苦手らしく「禁煙しましょう」と口酸っぱく言うので、どうにも肩身が狭い。

 最近は本数も減らしてきたし、頑張ってはいるのだが、集中が途切れたときに口寂しくなってしまうのだ。

 まぁ、でも意識すれば禁煙なんて簡単だ。俺はいままで何度も禁煙に成功してきた実績がある。


「ともかくお出掛けしましょう。集中力には限界があります。リフレッシュした方が勉強は捗るものですよ」

 ライターのガスが切れかけているのでなかなかタバコに火がつけられなかった。何度もカチカチと発火石を打ち付け、ようやく点火する。

「どこに行こうというのかね?」

 ふぅ、と一息吐いてから、改めてサキの格好を観察してみる。

 スニーカーにズボン、探検家が被るような白い帽子をかぶり、長い髪を中にしまっているので簡易的なショートカットになっている。

 そこまでならおしゃれで許せるが、理解不能なのが、手にはめた軍手と首からかけた白いタオルだ。

「河川敷に行くのです」

「河川敷? ああ、なるほど約束してたもんな」

「約束、ですか?」

 ポケットにライターをしまい、流しから持ってきた灰皿を室外機の上に置く。共用廊下での喫煙はマナー違反かもしれないが、いままで文句を言われたことはない。

「花見だろ。でもまだ少し早いと思うぞ」

「違います。フキノトウを採りに行くのです」

「……?」

 謎の呪文を唱えられたので一瞬頭が空っぽになる。

「……ひょっとしてご存知ないのですか?」

「ユキノジョウ?」

「フキノトウ。(ふき)のツボミのことです。春先に群生する山菜で天ぷらや煮物にすると美味しいんですよ」

「!? しょ、正気か?」

「なにがですか?」

「道草を食うのか!?」

「道草……ま、まあ、そうなりますけど……」

「俺はヤギじゃない。人間だぞ!」

「知ってますよぉ」

 間延びした語調で同意されるとバカにされてるのではないかと勘ぐってしまう。

「道端に生えてる草なんて犬の糞尿がかかってるかもしれないじゃないか」

「ペット立ち入り禁止のグラウンドの脇に群生地を見つけたので安心してください」

「虫がついてるかもしれないだろ。虫が食うもんを食いたくないぞ。俺は虫じゃなくて、人間だからな」

「知ってますよぉ」

 間延びした言い方だと、バカにしてるみたいに聞こえるな。

「よく洗えば大丈夫ですよ。それに灰汁抜きの時に害虫は死滅させますから 」

 表現がちょっと怖い。

「大体虫がついてない野菜の方がよっぼど怖いんですよ。農薬が身体に良いはずありませんからね」

「虫を食うくらいなら農薬を食う」

「イナゴとか美味しいじゃないですか」

「世の中にはもっと美味しいもんがたくさんあるわ」

「脱線しましたね。いまはイナゴじゃなくてフキノトウの話です。ついでにツクシも採れればいいんですが」

「ツクシってセミか? 恐ろしい女だ。どんだけ昆虫食いたいんだよ。五百円あげるから駅前で牛丼でも食べてこい」

「それはつくつくぼうしです。土筆(つくし)はスギナの地下茎から伸びる胞子茎のことです」

「ちょっと何言ってるのかわからないですねぇ」

 理科は苦手だ。特に植物は顕著だ。

「ようは食べられる野草です」

「道端に生えてる草はぜんぶ雑草だよ!」

「やれやれ、マクラさん。昔の偉い人がいいました。雑草という草はない、と。さ、早く支度してください。河川敷に出掛けましょう」

 タバコを吸い終わり、灰皿に押し付け火を消す。

 もう一本吸いたいな、と思ったが、これ以上吸うと止まらなくなるので、我慢することにした。

「嫌だ。外出たくない。歩きたくない、めんどくさい」

「えー」

 ブーイングみたいに息をつく。

「部屋で撮り貯めた映画でも観よう。こないだの午後ローがホラースペシャルで良作を一挙公開したんだ」

「そう、なんですねぇ……」

 明確なる拒否にしょんぼりと項垂れる。

「そんながっかりすんなって。いまはホラー映画を楽しもうじゃないか。好きだろ、血がたくさんでるの」

「ええ、大好きです。血、脳漿、臓物、ハラワタ……」

 そこまで言ってない。

「でも、マクラさんと……河川敷デート、したかったんです」

「……」

 少し潤んだ瞳で上目遣いに俺を見る。

「だけど無理強いはよくありませんよね。いまは血管から血が吹き出るので我慢しましょう」

「……行くか」

「え?」

「意地張って悪かった。採りに行くぞ。フキノトウ」

「ほ、ほんとうですか!?」

 あんな寂しそうな瞳で見つめられてノーと言えるほど俺の心は鋼鉄じゃない。


 上機嫌なサキに半ば引っ張られるように、近所を流れる川にたどり着いた。河川敷に沿って植えられている桜はまだ咲き始めで、近づく春をツボミを膨らませて待っている。高架橋の上を都心に向かう電車が走り、ガタガタと空気が震えた。

 河川敷を散歩する親子連れは本当に幸せそうで晴れやかな未来を信じてやまないみたいだった。

「あそこです」

 サキが指差した方向にいくつもの謎の物体が生えていた。川風が前髪を浮かせる。

「なんだこれ、ブロッコリーとキャベツの合の子か?」

 ふっくらとした緑色の物体だ。

「だから、フキノトウですってば。フキは葉っぱより先にツボミができるんです。そのツボミをフキノトウと言うのですよ」

「そもそもフキがなんなのかわかんないからな」

「フキはキク科フキ属の多年草です。コロボックルが傘がわりに持ってるヤツです」

 一般常識みたいに言うが、まったく想像つかなかった。

「それにしても、めちゃくちゃ生えてんな」

「あまり採りすぎると来年の分がなくなりますから、ほどほどに、ですよ。はい」

 軍手とビニール袋を差し出される。

「じゃあ、採りましょう!」

「本当に食えるのかよ」

「スーパーで売られるくらいにはメジャーな山菜ですよ」

 渡されたビニール袋には近所のスーパーのロゴが印字されていた。じゃあ、買おうよ。

「これそのまま積んで良いの? 根っことかは? 引っこ抜けるもんなのか?」

「ナイフを持ってきました」

「……」

「これで膨らんだ部分の下の方を切り取ってください」

 Eナイフ、攻撃力プラス15。

 まるっきり不審者だ。警察がいたら連行されてしまう。

「食べる分だけ採取してくださいね」

 とりあえずお試しで一個摘んでみる。思ったよりすんなりナイフが通り、ソフトボールくらいのフキノトウが取れた。鼻を近付け、匂いを嗅いでみる。

 くさ。

「あんまり採ると他の人に悪いし、二個くらいでいいかな」

「マクラさん、お優しいんですね」

 キラキラとした瞳で見られる。二個も食えるだろうか。


 少し重くなったビニール袋をブラブラさせながら土手の石段を登る。

「あ、あそこ見てください」

「ん?」

「ツクシです」

「噂のツクシか」

 傾斜に足をもつれさせながら、近づいてよく見てみる。

 地面からささくれだった茶色い鉛筆のような物体が生えていた。節がいくつもあり、10センチほどの細長い物体は人の指のようでグロテスクだ。

 それをニコニコしながら摘んでいくサキ。不気味だ、

「湿地帯に腕だけのモンスターいたじゃん。アレ思い出す」

「まったくの別物ですよ。ツクシはお浸しにすると美味しいですし、花粉症にも効くって言われてるんですよ」

「おれ花粉症じゃねぇよ」

 意見を無視して袋は土筆で溢れた。

 土臭っ。


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