3月29日
近所のスーパーで買い物かご片手に、夕食のメニューを考えながら、生鮮食品売り場をふらついていた。
インスタントばかりでは体に悪いし、たまには野菜をとらないとな。
店内に流れる販促ソングにハミングしながら、財布と相談を続ける俺の耳に、幸せそうな親子の会話が飛び込んできた。
「今日のゴハンはなにがいい?」
「ユナね、ハンバーグがいい!」
「うふふ、じゃあ、そうしましょうね」
「やったぁ!」
人参を手に固まってしまう。
何してるんだ、あいつは。
不動院由奈ことユナオルマ・ショゴデゴスはスライム族の少女で、見た目は童女だが、俺と同い年である。
大人の姿に戻れるはずなのに、未だに小学生を演じているのは、なぜだろうか。
「ねぇねぇお菓子買って買って!」
子供特有の甘ったるい声で母親とおぼしき人物の袖をひく。
「んもう、しょうがないわねぇ。一個だけよ」
「ありがとぉー! とってくるね」
パタパタと足音をたてて、ユナは走っていった。
「こら、気を付けないと転ぶわよ」
なんだかビスケットが食いたくなったのでお菓子売り場に向かうことにする。
色とりどりの菓子が並ぶ棚をちょこまかと動き、一個一個確認していく少女は見ていて微笑ましい光景だった。
「どーれにしよーかなぁー」
かわいらしい独り言を呟く少女の横に一人の少年が駆け寄った。
「あ、高橋くん!」
ユナの隣に野球キャップを被った少年が立っていた。同級生だろうか。
「不動院……、掃除の時は、……ごめんな。おれ、ふざけすぎて」
「ううん、いいよ、ユナ、気にしてないよ」
「そっか。ここで会えてよかった! じゃあな!」
高橋くんは、白い歯をみせて笑い、かっこよく去っていった。頬を赤らめている。耳まで真っ赤だ。
高橋くんよ、騙されてはいけない。そいつの見た目は子供でも中身は大人で加えて言うなら粘体だ。
少年を見送ったユナは、チョコレートを棚から取り、母親のもとへと歩き始めた。
小さな恋のメロディの序曲を聞かされ、耳鳴りがした。俺は何を見ているのだろうか。
「もしもし」
確認がてら声をかける。
振り向いた少女とバッチリ目が合う。純粋な汚れなき眼が一瞬にして曇る。
「ちっ」
舌打ちやめろ。
「なに見てんのよ」
「知り合いいたら見るだろ」
「ロリコンだからでしょ? 保育園の観察は終わったのかしら。あなたの行く先はスーパーマーケットではなく警察署よ」
「いや、買い物だよ。お前はなにしてんだよ」
「私だって買い物よ」
「高橋くんは?」
「……黙りなさい」
俺とて幼姿のユナと話しているところを他人に見られたくないので、早口に気になることだけ聞くことにした。
「なんで子供の格好してるの? メイドの仕事はどうした?」
「分身のオルマと使い分けて通勤してるのよ。突然大人の姿になったらホームステイ先に違和感与えちゃうじゃない」
「まだホームステイしてたんか」
「あと数週間でお別れだけどね。もともと留学が今年の四月までって契約だから。先に帰還した使節団の連中の分も含めて私が後処理してるのよ」
「そいつはご苦労さんなこって」
「そうだ。あなた、この後暇?」
「暇じゃない」
嫌な予感がする。
「用事がある」
「どんな?」
「洗濯物を畳む」
「暇ね」
「洗濯物を畳む」
「八時くらいに駅前に来てくれないかしら」
「嫌です」
「それじゃあよろしく」
「おい、俺の自由意思を尊重しろよ!」
「尊重した上でお願いしてるの」
「夜は雨が降るから絶対でないぞ!」
「そうなの。それじゃあ、傘を忘れないでね」
俺を無視して、幼女モードに移行したユナはパタパタと駆け出し、母親の背中にジャンプした。
弾けるような笑い声が起こる。
一方的に取り付けられた約束でも、破ったとなると後味の悪いものを残す。仕方がないので八時に駅前に向かうことにした。空は分厚い雲に覆われ、月を覆い隠している。
しかしながら、春風のお陰か、夜になっても、気温は落ちなかった。幸いなことに天気も崩れていない。マフラーしてきたのは失敗だったな、なんて思いながら、鼻まで上げて、ポケットから携帯を取り出す。
帰宅を急ぐサラリーマンの列を横目にスマホゲーを楽しんでいたら、澄んだ声がかけられた。
「おまたせ」
子供用のコートにボンボンがついた毛糸のニット帽を被っている。
推定年齢八歳。
「お前さぁ、いまからその格好だと補導されるだろ」
「仕方無いのよ。オルマを自宅に残すと力が二分して、この見た目になってしまうんだから」
スマホをポケットにしまい、俺は浅くため息をついた。
「それでこれからどうするんだよ。とりあえずカフェとか入るか?」
「いいえ行くのは頼雷軒よ」
「……どこ、そこ」
「ラーメン屋」
「は?」
訳がわからなすぎて混乱してきた。
「七時から翌朝四時まで営業しているガッツリ系の元祖と言われるラーメン屋よ。焦がしネギと濃厚スープの相性は抜群らしいわ」
「一人で行けよ!」
「家族の目をごまかして、かつ補導されないためにあなたにお願いしてるんじゃない!」
納得できたような納得できないような微妙な心持ちのままユナのリードに従って歩き出す。
「頼雷軒で注意してほしいのはサイズ表記よ。小が普通のラーメン屋の並に相当するの。大盛を頼んで残すと周りからの心証は悪くなり、ギルティなんて咎められるわ」
こいつ、いつになく喋るな。
「さあ。あそこの角をまがれば」
夜道にユナの声が弾む。
「らいらいけーん!」
店は閉まっていた。
「は?」
ゾンビのようなふらつく足取りでユナはガラス扉に手をやった。当然閉まっている。
「え。なんで」
扉に貼られた文字を読む。
「本日、店主のぎっくり腰悪化のためお店を閉めさせていただきます」
「腰がなんだってのよ!」
「いやいや実際かなりきついらしいぜ」
激昂するユナを宥める。
「せっかく呪文覚えてきたのに!」
「呪文?」
「ニンニクスクナメカラメアブラスクナヤサイマシマシ」
「……この後どうする?」
呪文とか心底どうでもいいので、もて余した時間の使い道を考えなければならない。
「帰る」
ユナは端的に一言呟いた。こいつのそういうところ好き。
「こんなところで未練がましくグダグダしてても時間の無駄だわ」
「よし、帰ろう」
何だかんだで性格が一番似ているのはこいつだな、なんて思いながらきびすを返したところで、鼻の頭に雨粒が当たった。
「くそっ、降りだしやがった!」
雨はみるみる勢いを強め俺とユナに襲いかかった。春の夜の雨は柔らかく世界を水浸しにしていく。
「ちょっと、傘ないの?」
「予報よりも早いんだよ」
「平安時代の人だって雨降ってたら傘を差すのに」
じゃあ、俺たちは縄文人か?
走りながら会話をする。幸いなことに近くにコンビニがあった。慌てて駆け込む。
突然の雨とはいえ、なんとか被害を最小限に留めることが出来た。
「しゃわせー!」
発音的には「しあわせ」に近い「いらっしゃいませ」を聞きながら入店する。
「傘ー傘ー」
前髪を濡らしたユナがレジ横のビニール傘を二本ひょいと掲げ、俺に差し出してきた。自分の分も買わせようとするあたりちゃっかりしてる。
「キャラがぶれてるぞ」
「はっ」
鼻歌混じりになっていたユナは顔を仄かに赤く染めたが、
「ねぇ。あとお菓子買っていい?」
すぐにぶりっ子モードで押しきることに決めたらしく俺を潤んだ瞳で見つめてきた。
「だめです。自分の金で買ってください」
「ユナ、お金ないの」
「使わなかったラーメン代があるだろ」
「みみっちい男ね。もてないわよ」
「今月ピンチなんだよ。傘は買ってやるから」
「わかった。じゃあ、お菓子はやめる。お酒にするわ」
「なにそれ意味わからん」
「年齢認証があるから私買えないもの。成人してるのに」
「代理で買ってやるよ。後で金寄越せよ」
「みみっちい男ね。もてないわよ」
まじで俺のかごにお酒を入れやがった。チューハイだ。ついでに俺もビールを買った。
店員の「しゃしたー」の声を背中にコンビニを出る。自動ドアを潜ると同時に春と雨の匂いが鼻孔を擽った。
いつの間にかどしゃ降りだ。雨が弾けて、道路で飛沫が上がっている。
だが、俺には関係ない。
文明の利器たる、アンブレラがあるからだ。
傘を差して歩き出す。ビニールに雨粒が当たって、パチパチと音を奏でている。
俺の前にはユナが同じように傘を差して歩いていた。
会話もなく、駅を目指して歩みを進めていたが、陸橋をくぐってたとき、風が一陣巻き起こった。
「きゃっ」
予測不可能な突風にユナの持っていた傘は壊れてしまった。
裏返り、傘としての機能は完全に死んだ。
「……」
無言で俺の方を見るユナ。
「やらねぇぞ」
瞬時に風を見切った俺は畳むことにより、被害を受けずに済んだ。
「別にほしいなんて言ってないじゃない。貸してほしいだけよ。晴れたら返すから」
「せっかく買ってやったのにすぐ壊しやがって。モノを大切にしないやつに貸すわけないだろ」
「ごめんなさい」
「……素直に謝るなよ。困るだろ」
「まあ、いいわ。どうせすぐ止むもの。にわか雨よ。月も出てるし」
彼女の言った通りだった。雨足は緩やかになっており、流れる雲の雲のスピードも早い。切れ間には月の光が射し込んでいた。
傘代二本分で六百円。日本経済に寄付したようなものだった。
「雨宿りしていくか」
橋の下でラッキーだった。
俺たちは横並びで雨が止むのを待つことにした。
「ねぇ」
「ん?」
「ただ、待つのもつまらないし乾杯しましょう」
「……そうだな」
ビニール袋から先程買ったチューハイを取りだし、彼女に渡す。
「サクランボチューハイよ。美味しそうじゃない?」
「俺はビールだ」
缶ビールを取りだし、プルタブを引き上げた。
「乾杯」
こつんと角をぶつけ合う。
「お疲れ様」
べつに疲れてないけど。
久々のアルコールは苦かった。
「そういえばタバコ吸わないのね。さっきも買ってなかった」
思っていたより酸っぱかったのだろう。少しだけ唇をすぼめて彼女は言った。
「禁煙してるんだ」
「なんで?」
「そりゃ金がかかるからな。節約しなきゃ」
「そう。もしあなたが死んだら線香代わりにタバコをあげようと思ってたけど、やめておくわ」
「縁起でもねぇこと抜かすなよ」
ユナは機嫌良さそうに鼻を鳴らした。
「ま、健康に気を配るのは良いことだとと思うわ。日本なら殺されることもそうそう無いしね」
「日本はそうかもしれんが、向こうの世界はけっこう死生感シビアだからな」
「ああ、またあっちに行くつもりなんだっけ。頑張ってね」
「他人事だな。お前の故郷だろ。それに大事な魔王様を守らなくていいのか?」
「ナイトならもういるじゃない」
「時々クサイこと真顔で言うよな、お前」
「ほっといて。それに私にはやるべきことがたくさんあるのよ。暇人と違ってね」
「なんだ? 学校の宿題か? 見てやろうか?」
「保体しか百点とれない雑魚はお呼びじゃないわ。留学が終わった後の処理をしないといけないのよ」
「後処理?」
ユナはチューハイを一口飲んでから続けた。
「魔族がこちらにいたという痕跡を消すのが私の仕事」
そのまま缶を両手で持って、俺を見つめる。
「忘却魔法で家族友人の記憶を改竄するのよ」
「お前が? なんのために」
「年長者としても、留学生の監督としてね。文化を保護しなければならない」
前に少し疑問に思ったことがあるが、ユナやサキはあり得ないほどこちらの世界に馴染んでいた。
記憶改竄魔法の使い手がいると勘ぐっていたが、どうやらユナだったらしい。
「そんな律儀にルール守らなくても」
魔界はすでにないのだから。
「私にはわからない感情なんだけど、異世界を認識するとそちらの世界への憧れが生まれるらしいわ」
「……俺は特にないけどな」
飯不味いし。ベッド固いし。
「だから、すっぱり忘れさせ、ゲートを閉じるのが私の使命」
「……自分のホームステイ先を含めてか?」
「もちろんよ。……あの人たちは……私が知らない愛情を教えてくれた。私に母親がなんたるかを教えてくれた。テリヤムは嫌いだけど、あの人たちに巡り合わせてくれたのだけは感謝しないと」
「思い出として残せばいいじゃんか」
「それじゃあ、どうやって別れるのよ」
「……それは」
「話を聞いてくれてありがとう。少し楽になったわ。ごめんなさい。どうやら私、お酒に弱いみたい」
雨宿りを見越してわざわざお酒を買ったのだろうか、と思ったが、その疑問を口にするのは野暮に感じた。
しとしとと雨は降り続けている。
すぐ止むかと思っていたが、思ったより長引きそうだ。
「今日はなんだかついてないな」
暖かいのだけが、救いだ。
「そう? わたしはそうは思わないわ」
ユナは薄く微笑んで、缶チューハイに口づけをした。




