続 飛んでいる矢は止まっていた 11
薄暗い室内に月明かりが射し込む。
静かな夜だ。
伸びをして体の凝りをほぐしてからテリヤムに続いて扉を開ける。
灯りが消された廊下は全体的に薄暗かった。
左右を見渡し、とりあえず右隣の部屋の前に立ち、拳をつくる。
それにしても、この扉の先には誰がいて、そしていまは何時なのだろうか。さすがに寝てるところを起こすのはまずいか。
ノックの形で振り上げていた拳をおろし、ポッケにしまって、小さくアクビをする。あてがわれた部屋に戻ろうかとも思ったが、ふと尿意を感じた。
我慢できないわけじゃないけど、布団に潜ってから気になって眠れなくなるレベルのやつ。
トイレはどこだ。
絨毯がしかれた廊下を裸足で歩いていたら、すっかり目が覚めてしまった。
メリエーヌの屋敷は前に一度だけ来たことがあったが、広すぎて道に迷ってしまう。
廊下の端はバルコニーに通じていた。
ガラス戸を少し開け、外の景色を見てみる。暖かな夜風に髪が撫でられた。こちらの世界も気候は春らしい。木々のざわめきが静かに鼓膜を揺らした。椅子とテーブルが設置されており、意外と少女趣味のメリエーヌらしい趣向だ。
一人の少女が手すりに持たれて月を眺めていた。メリエーヌだろうか。ずいぶんと久しぶりである。
「もしもし」
声をかける。膀胱がぱんぱんだった。
「うむ?」
びくりと肩を震わせてから少女は振り向いた。
「あ、マクラ!?」
トモリだった。
「目が、目が覚めたんじゃな! 生きておるな? 足はあるな?」
いまにも泣き出しそうな目をしてこちらに駆け寄ってくる。泣き出したいのはこっちの方だ。
「ああ、ついさっきな。久しぶりだな」
「う、うむ。久しぶりじゃな。また会えて嬉しいぞ」
あの頃と変わらない少女の瞳だ。変わったのは口調だけだ。
「何してたんだ?」
「別になんもしとらんわ。月をぼんやり眺めておっただけじゃわい。別にお主の無事を祈っておったとか、そーゆーのは一切ないからの」
頬を赤らめて、下手くそな嘘をつく。
「そうか。夜だから体冷やすなよ」
「ふふ。人の心配とはお主も忙しいのう
」
「それはそうとトモリ、お前にひとつ訊かなきゃいけないことがある」
「な、なんじゃ」
「トイレどこ?」
「……厠なら階段降りて一番手前の扉じゃ」
「サンキュー」
「あっ、待つんじゃ」
踵を返して、トイレに向かおうとした俺の背中にトモリは呼び掛けた。
「戻ってきたらお茶会をしようぞ」
トモリは机の上のティーポットを指差した。
夜にカフェインを摂ると眠れなくなるのでオススメはしないが、同窓に夜会に誘われて断るほど野暮な生き方をしていないので、大人しく席につく。
綺麗な夜だった。
月が明るくて星は見えないが、春の匂いが優しく漂う穏やかなお茶会だった。
「こうして落ち着いて話していると昔を思いだすのう」
角砂糖を紅茶に溶かし、ティースプーンでかき混ぜながら彼女は呟いた。
「そうだな」
俺も相づちを打って一口すする。
独特の渋みが舌を刺激した。久しぶりに紅茶を飲んだが、なかなかいいものだ。
「妾と別れてからのお主のことを聞かせてくれぬか?」
「構わないけど、面白い話じゃないぜ」
ティーカップから昇る湯気が月を霞ませた。
「よいではないか。夜は長いんじゃから」
相も変わらず夜更かしなやつだ、
修学旅行のことを思い出した。
男子何人かで女子の部屋に忍び込み、一晩中はしゃぎまくった。初めはテンション高い連中も徐々に睡魔に負け、最終的に残るのはいつもトモリと俺だった。異性としてのドキドキはなく、悪友としての行動だったが、いま思えばあれも青春だったのかもしれない。
異世界転移してからの話をトモリにしてやった。
仲間の出会いと別れ、海底神殿や空中都市、火山や砂漠や氷原や海上でのサバイバル。吸血鬼城や荒野での激突。
時に面白おかしく、激しい戦いは熱を込めて。自分の国が滅びる話をトモリは真剣に聞いてくれた。
俺の話が現実世界に戻ったところで、すっかり紅茶は冷めてしまった。
「ほー」
トモリは小さく息をつくと冷たくなった紅茶をすすった。
「思った以上の冒険譚じゃな。果てしない物語じゃ」
紅茶に反射した月が揺れる。
「エンディング後は悲惨だけどな」
「なんでじゃ?」
「なんでって、高校中退で定職ついてないし……」
「だから?」
「だからって……」
「ちっとも悲惨じゃなかろう。お主の人生は」
事も無げに言ってのけた少女のステータスは無職ホームレスだった。どうでもいいけど。
「そりゃ他人から見たらそうかもしれないけど、本人にしてみたら世間への劣等感やばいぜ?」
「知りもしない他人にどう思われようと関係なかろう。マクラのことを知っておる人はみなお主の人生は素晴らしいと口を揃えるであろう」
トモリはティーポットのふたを開け中身を確認した。空だった。それはつまりお茶会の終わりを意味していた。
「どっかの天使に、未来は変えられる、だなんて大口を叩いたけどよ。実際今の俺にそんなことできるのかいまいち不安なんだよな」
「大丈夫やよ」
根拠のない自信を携え、トモリは微笑んだ。
「未来を変えられるかなんて、結局わからないんよ」
「どういう意味だ?」
「運命を切り開くとかよく言うが、それすらも運命に組み込まれていたら、結局未来を変えたかどうかなんてわからないんよ」
「なるほどな」
哲学者か、お前は。
「だからマクラはマクラで信じる道を進むしかないんよ。止まらずに行けば必ず未来に進めるんやから」
「そういうもんかね」
「そういうもんやよ。正解や不正解なんて決めるのは他人やなくて自分なんやから。本人が間違ってないと思う方向へ進めば、それでええんよ」
テリヤムが変なことを言うから、ゼノンのパラドックスを思い出してしまった。
放たれた矢を細かい時間の区切りで見てみると、一瞬一瞬が止まって見えることから、たとえ、見た目は飛んでいる矢でも、本当は止まっている、という考え方のパラドックスだ。
バカらしい。
時間は前に進むように、俺も前に進むし、アキレスは亀を追い越せるし、飛んでいる矢は進んでいる。
進めばいいのだ。何も考えずに。後悔しない道を、ただまっすぐ。
「そうだな」
カップをつまんで、冷たくなった紅茶を飲み干した。
何回か後書き書いてる気がしますがそれはきっと気のせいです。
本編は36部で終わってますので、そこから先は蛇足です(明言)。
多数のお気に入り登録が嬉しく、お礼がてら書いたものになります。
話数が多すぎですが、書いてたときに回収できないだろう、と考えていた伏線が回収できたりして、長くやるのも悪くないな、と思う今日頃ごろです。
お暇なときご感想や評価いただければと思います。
読了ありがとうございました。




