続 飛んでいる矢は止まっていた 6
時間の遡及性は強大だとヨイナは言った。
物事は、本来の時間軸通りに進もうとする、という認識で間違いなければ、
消えた少女は、二年後に、再び変な口調になって現れる、そういう未来に収束するはずなのだ。
だから、悲しんでたって仕方がない。
保健室のベッドのシーツは人型に沈んでいた。
だからなんだ。
本来なら野球部の練習に精を出している時間だ。こんなものは関係ない。
立ち上がり、全身の細胞を奮い立たせて俺は駆け出した。
校門前にヨイナはいた。両手を空に掲げている。元気玉でも作りたいのだろうか。
「てっめ、こらっ!」
俺の声に気付いたヨイナは、振り返ると、口を「あ」と開いた。この距離ならギリギリで間に合う。野球部の走りこみのお陰だろうか、ダッシュしても疲れないとは高校二年の体力を舐めていた。禁煙することにしよう。
と昔の自分に感謝するばかりで、ヨイナがなぜ校門で立ち止まっていたのか、俺は考え付かなかった。
黄色い車がハザードをたいて歩道に寄る。挙げていた手を下ろしながらヨイナは、慌ててタクシーに乗りこんだ。
校門を出たが、タクシーはすでに排気ガスをはいて走り去った後だった。
ちくしょう。
別のタクシーを捕まえて「前の車追ってください!」をやるしかあるまい。
少しだけ興奮しながらポケットの財布を確認する。
千円しか入ってなかった。
「……」
高校生の俺のバカ。
金を貯めるコツは財布に金を入れないこととかほざく暇があったら、ボランティアよりバイト頑張っとけよ……。
どうしようか。
タクシーの初乗りいくらだっけ。
とりあえず追えるだけ追ってもらうか?
あとは踏み倒せば……いや、さすがに犯罪は……。
くそっ。
俺は手を挙げて、一台のタクシーを停めた。
行き先は駅だ。初乗りでいけるはず。
平日の昼過ぎの電車は空いていた。
つり革に掴まりながら「間に合ってくれ……」と呟く。なんか間抜けだった。
移り行く夏の車窓は平和そのもので、イタズラに俺の焦りを掻き立てた。
清輪女子校があるのは定期券内だ。お金の消費はない。乗車時間もうまく行ったので、おそらくヨイナより早くたどり着くことができただろう。そう信じたい。
冷房を死ぬほど効かせた車内から一歩外に出るとムアっとした夏の空気が俺を包み込んだ。階段を駆け降り、改札を抜けると再び殺人的直射日光に照らされる。
駅からサキの通う高校は近い。徒歩で五分もしないが、少しでも早く行くために俺は駆け出した。
問題は清輪女子校が授業中かどうというところであり、補修でもいいからサキが来てればいいのだけど、と考えながら走る。
ちょっと動いただけで汗だくだくだ。 夏ってこんなに暑かったっけ。
レンガ造りの坂道を上り、校門前についた。
お嬢様校と名高い清輪女子学園だ。予想はしていたが、詰所のようなところに警備員が立っていた。
正門からは入るのは難しそうだ。
裏口に回り込む。
警備員が立っていた。
くそ。
西門に回り込む。
警備員が立っていた。
「……」
学校は警備員に包囲されていた。なんだそりゃ。
「……」
門と門との間の塀を見上げて、作戦を寝ることにした。
誰かの親族ということにして手続きするか。職員室からなら受付を通って校内に入れるはずだ。
いや、そううまくいくはずがない。
伝統があり、かつ、名門と名高い清輪女子高等学校だ。間違いなく嘘は見抜かれる。
そうなったら、やはり侵入するしか……。
「土……」
初級の肉体強化呪文は唱えられた。
ギリギリで塀を飛び越えることはできそうだが……。
「やめた方がいい」
柔らかく、そして艶のある声をかけられた。
「その手段はおすすめしない」
木陰から一人の男が現れた。背が高くすらりとしたモデル体型の男だった。
「塀にはセンサーが通っている。触れた瞬間警備員室に警報が鳴り響く仕組みさ」
さらさらの髪にニヒルな笑み、テリヤム・メドクーラが立っていた。
なんでこいつがこのタイミングで現れるんだ。疑問符を浮かべる俺の心情を知ってか知らずか、テリヤムは切れ長の目を細めて俺を見た。
「本来なら競い合うところだけど、対象の難易度を鑑みるに、共同戦線をはるのがベストのようだね」
「お前……」
「手を組まないかい?」
不可解な誘いだ。
警戒心をマックスに引き上げ、吸血鬼を睨み付けた。
「お前、俺が誰か、わかってるのか?」
こいつと会うのは二年後だ。
つまり、過去であるこの時点での面識は一切ない、はずなのである。いきなり話しかけられる理由がわからない。
「もちろん、わかってるさ。同志だろ」
さも当たり前のようにテリヤムは答えた。
「同志?」
「取り繕わなくていい。キミと僕は似ている。同種の匂いだ」
「どういう意味だ?」
「欲しいんだろ? スクール水着」
「……」
一緒にするな。
手で庇を作り、眩しそうに太陽光を遮りながら、テリヤムは続けた。
「狙うべきは西門だ。警備員の巡回にはブランク期間が一時的に発生する。タイミングを測れば校舎への侵入は容易だ。だがプールがある東側へは遠くなるので、誰にも見られずにそこに行くのは至難の業だ」
早口で説明を続ける。
「だけど安心してくれ。高倍率ズームモード搭載のこのデジタルカメラであれば、撮影に支障はない。スポットは調査済みだ。懸念すべきは撮影中、無防備になってしまうことだけど、二人いれば見張りをたてて、ん? なにをしてるんだい?」
「警察」
「な、なぜだっ!?」
ポケットから取り出した二つ折りの携帯を広げた俺をテリヤムは必死に止めた。
「仲間だろうがっ!?」
携帯を取り上げられた。
「疑問なんだがお前ほどルックスが整ってれば誘いに乗る女子何人かいるんじゃないのか?」
すぐに取り返す。
「あー、たしかに僕はモテモテだ。逆ナンも良くされる。でもさ、それって違うんじゃないかな?」
クールな表情のまま、こめかみに人差し指をあてた。
「僕は女の子が恥じらってる姿が好きなだけで、誰にも触られてない無垢な果実を愛でたいんだ」
「そうかそうか」
花壇に植えられたひまわりがとてもキレイだった。
「愛されるより愛したいタイプなのさ」
「質問しといて申し訳ないが、思った以上にどうでもいい」
「まあ僕の話はここまでで、今度は君の話を聞かせてくれよ」
「いやだよ。きもい」
「やっぱりスクール水着かい? もしくはジャージ? ブルマだったら気持ちはわかるんだけどほんと日本政府はバカなことをしたよね」
「俺の目的は一人の女生徒に会うことだけだ。お前と一緒にするなど変態」
「一人の女生徒? 名前は?」
「誰が教えるか」
こいつに情報を与えるのはまずい。
未来でさえ、わだかまりがある相手だ。
仲良くできるはずがない。
「ふーん。しょうがない。とっておきの秘策があるんだが、僕一人で実行することにするよ」
「秘策? ちなみに、なんだ?」
正直にいえば、俺は焦っていた。
太陽は徐々に西に傾き、俺が母校を飛び出して三十分が経とうとしていた。
ぼちぼちヨイナを乗せたタクシーが到着してもおかしくない時間だ。
「協力してくれるなら教えてあげよう」
「聞くだけ聞かせろよ。気になるじゃねぇか」
「断るよ。B案はリスクが高いからね。非協力者には教えるのですら危険が伴うんだ」
「わかったわかった協力するから教えてくれよ」
「しょうがないな。いいかい良く聞いてくれよ。女装するんだ」
「聞いて損した」
塀に囲われた校舎の周りには背の高い桜の木が植えられており、アブラゼミの鳴き声が継続的に響いていた。
「こんなこともあろうかと、制服と体操着を用意しておいたんだ。準備万端だろ」
テリヤムは木陰に置いてあるスーツケースを顎で示した。
「どこで手にいれたんだよ……」
「ブルセラショップだよ」
真夏の日差しに負けない良い笑顔で微笑まれた。
「洒落になんないぞ」
「なぜだい? キミも僕も女顔だし、なによりキミは背が低いじゃないか!」
気にしてることを……。
「見ろ」
力こぶをつくる。
「見ろ」
ついでに前屈みになる。
「見ろ」
サイドチェスト!
「野球部の肉体美は女子高生とは程遠いだろ」
二年後には全部脂肪になる。
「むっ、たしかに。難しそうだね。仕方がない。プランCで行くか」
「なんだソレは?」
「今日清輪女子高校は補講ということで教育実習生が授業を行っているんだ。スーツを持ってきたからその内の一人に紛れることにしよう」
「女装するよりよっぽどいい案じゃねぇか。最初からそうしろよ」
「ん? 女装は単純にしたかっただけだよ?」
いちいち発言がやばい。
「それに僕の本当の目的はプールの撮影にあるんだ。スーツを着てたらスク水を盗むことくらいしかできないじゃないか」
「前々から思ってたがお前マジでヤバイな」
「キミとは初対面だよ」
「初対面の人間にそのテンションで話しかけて、いままで捕まらなかったのが奇跡に近い……」
上着だけ借りることにした。シャツの胸ポケットに縫いつけらた校章を隠すように羽織れば、見た目だけなら誤魔化せるだろう。ズボンが黒一色というクソみたいなデザインが初めて役にたった瞬間である。
テリヤムは半袖のワイシャツにスラックスだ。
「よし、行こう」
気合いをいれて不法侵入を行うことになった。
ヨイナの気配を無く近付く技に対抗するためには仕方ないのだ。
西門の警備員がいない時間を見計らい校舎に侵入する。あくまでも人命が狙われている非常事態における緊急手段なのである。
テリヤムみたいなクレイジーなやつに触発されて女子校に侵入してテンション上がるわけがない。
「……」
それにしても、なんかいい匂いがする気がする。
「キミの尋ね人は何年生なんだい?」
一階の廊下をこそこそ歩きながら、声を潜めてテリヤムが聞いてきた。
「三……いや、今は一年生か」
「組はわかるのかい?」
「いや、わからん」
「一年ならこっちの棟だよ」
なんで知ってるんだよ、とは言わなかった。こいつに対して突っ込むのは、野暮というものてある。
一年生の教室郡についた。漏れ聞こえる授業内容がノスタルジーを想起させる。
とはいってもどの教室にサキがいるのか検討もつかない。
「大声で呼んだら出てくるんじゃないかい?」
「さすがにリスク高すぎるだろ」
幸いにしてヨイナの気配はない。
ベストはサキにこっそり話しかけて、ヨイナを返り討ちにし、しれっと未来に返してもらうことだが。
「あ」
テリヤムが左手の腕時計を見て声をあげた。
「まずい」
「どうした」
「授業が終わる」
校舎にチャイムが鳴り響いた。




