続 飛んでいる矢は止まっていた 3
静まり返った教室に、蝉時雨とブラスバンドの音が歪に響いていた。
部活がボチボチ始まる頃だが、もはや関係ない。
白球を追いかけたところでなんの役にもたたなかったから。
「悪いけど、……私は味方できない」
教室の蛍光灯に照らされた彼女の肌はより一層青白く見えた。
「まあそうだろうな」
「きみが今のマクラを返してくれないのなら別にそれで構わない。だけど勇者としてあちらの世界へ行くというのなら見逃すわけにはいかない」
「お前の言い分ももっともだ」
「だから、死んで」
転がっていたカッターを拾い上げ、水平に掲げると、切っ先を俺の心臓に向けた。
「きみに選択権はない。本当は殺したくないけど私の甘さが魔界を滅ぼすというなら私は私の心を殺してきみを殺す」
涙のない泣き顔のまま友利は力強い一歩を踏み込んだ。
避けようか、無力化させようか、一瞬悩む。
どうすれば、一番怨恨が残らないだろうか。
瞬時に思考を巡らせる。
行動に移さなくては、と考えあぐねく俺にカッターの刃が届く事はなかった。
友利がドジったわけではない。
彼女の刃は別のものを刺したのだ。
「勇者に死なれたら困るんよ」
手のひら。
突如として現れた謎の第三者が、かばうようにカッターの刃を手のひらで受けたのだ。
「なっ」
友利も俺も言葉を失った。
気配は一切感じなかった。
文字通り二人きりのはずだったのに、
「な、なんだ……」
同じくらいの年頃の娘が立っていた。
夏だというのに黒いローブを羽織っている。
緊迫した空気が謎の第三者の登場で、たわんだ。
「誰だ、お前……」
「シキミハラ・ヨイナ」
謎の女は名乗り上げると同時に友利の腹部を蹴りあげた。
「くっ!」
背後にぶっ飛び、友利は机をなぎ倒して倒れた。
「サワムラマクラを殺させるわけにはいかないんよ」
手のひらに突き刺さったカッターを事も無げに引き抜くと、ゴミでも捨てるみたいにその場に放った。
傷はない。
「い、いきなり現れて……」
友利は腹を押さえながら、ふらふらと立ち上がった。
「な、なんなの、あんた……」
「天使やよ」
電波の間違いだろ。
「は? 」
「ヨイナはノースライトの天使なんよ」
「ノースライト……」
向こうの世界の地名だ。軍事国家で徹底的な秘密主義で詳しいことはよくわからないが、あまりいい噂を聞かないのは確かだ。
「お前が俺を過去に連れてきたのか?」 天使なんて頭のおかしな発言だと思ったが、なにもない空間から前触れもなく現れたのは事実だ。
「そうやよ」
振り向いて俺に微笑みかける。ビー玉のような綺麗な青い瞳をしていた。
「あっさり認めるんだな。随分とめんどくさいことやってくれたみたいだが……」
不可解な現状を作り出したやつとは思えないほど素直な奴だ。
「ほんとのことを誤魔化す必要はないんよ。ヨイナは嘘が嫌いなんよ」
「どうやって俺をタイムスリップさせた?」
「空間転移中に、ルゥナの魔力で魔王のスキル効果を発動させ時空間歪曲を発生させたんよ」
なに言ってるのかさっぱりわからん。カードゲームの話でもしてんのかな。
「目的はなんだ。何故俺を過去に送った?」
「勇者にノースライトを救って欲しいんよ」
話が見えない。
「どういう意味だ?」
「マクラ、そいつの話を信じないで!」
叫び声をあげたのは友利だった。
「拡張現実、……空間遮断!」
友利は右手を突き出し、呪文を唱えた。
遮断魔法だ。
高魔力を打ち込むことにより一時的に空間を閉じる上級魔法。まさか低レベルの友利が使えるとは思わなかった。いつか転送カプセル内部の空間をねじ曲げ漫画喫茶に仕立てあげていたが、アレの応用なのだろうか。
「なんなんよ、こ……」
黒い霧に包まれて、ヨイナと名乗った天使は姿を消した。
霧が徐々に収縮し、甲高い声が聞こえなくなった。
一瞬の出来事だった。たち消えた蜃気楼のように、あとには静寂のみが残った。
「は、はぁ、はぁ」
息を切らして前屈みになりながら、ヨイナが消えた空間を睨み付ける友利。
「おい、話は途中だったんだぞ」
手がかりをいずこかへ追放した友利は肩で息をしながら答えてくれた。
「かつての魔界の伝承に残されている」
気だるそうに友利は立て膝をついた。
「シキミハラを冠する天使の記録が」
「いまの女のことか。なんなんだあいつは」
「おそらくは、そう。信用しない方がいい。伝承が本物ならば」
「どういうことだ?」
「シキミハラは無秩序の争いを絶対的な力で解決させる天使よ」
くそ、またこのパターンか。
日本語喋ってるのに、日本語になってないやつらの相手は疲れるんだよ。
俺が話についていけてないと察したらしい友利は浅く息をついてから続けた。
「奴の因果確定能力は、他者の力を利用し、自らの都合のよい未来を掴みとることにある」
「かいつまんで説明してくれ」
「錯綜するストーリーを無理やりまとめる女神。機械仕掛けの神とも呼ばれる」
「……」
サブイボたったわ。
「強大すぎる能力の危険性にいち早く悟った父様は侵攻し、ノースライトに追い詰めたの。父様との争いで傷付いた奴は大地と契約を結び、高度概念体として生き延びることに成功した 」
魔王の目的は魔族の栄華を永遠にすることだ。使いこなせない核弾頭なら廃棄した方がマシということだろうか。
「ぐっえ」
物騒な発言の途中で友利は吐血した。
口に手をあてているが、受け止めきれなかった血が床にボタボタと垂れた。
「大丈夫か?」
「……気持ち悪い」
「魔力値低いのに上級呪文使うからだ。あんまり無理しない方がいいぜ。魔力切れを起こすと下手すりゃ死ぬぞ」
「私はネクロマンサーだし死ぬことはないよ。それに、これは……ただの半端ない口内炎だよ」
「ソレはソレで問題だと思うけどな。にしても空間遮断魔法なんてよく使えたな」
「微弱魔力を無理やりこじ開けたの。だいぶ無理をしたから」
「保健室行くか?」
「そうね。少し寝れば口内炎くらいすぐ治せると思うけど。それにしても……はあ、めんどくさい。私、これから、どうすればいいんだろ……」
肩を貸して歩き出す。
どうでもいいが、さっきまでコイツに殺されそうとなっていた事を思い出した。
血だらけのシャツを着た友利を見た養護教諭は短い悲鳴をあげた。「生理痛が辛いそうです」と誤魔化してやったら「どこ行ったのキミのデリカシー」と耳元でボヤかれた。ベッドに友利を寝かし、教室に一旦戻ることにする。
「帰るの?」
横たわったままの友利に袖をちょんとつままれる。
「いや、教室の掃除しなきゃ不味いだろ。血だらけのまま放置したら、七不思議に一つ加わっちまう」
「ごめんね……後片付けさせちゃって」
「俺がキレイ好きなだけだ」
「……やっぱりマクラはマクラだね。よかった。変わらないみたい……」
「なに言ってんだ、お前?」
「うふふ、ごみ拾いとか老人ホームの手伝いとか、ボランティア、好きだったもんね」
「好きなわけあるか。内申のために決まってんだろ。ピンチの時、ボランティア経験はクソの役にもたたなかったぞ」
「見返りを求めてやるもんじゃないと思うな。ボランティアって」
「うるせぇ、寝てろ」
「そうする。はぁー、だるかった」
友利の寝顔は穏やかで平和を象徴したかのようだった。
掃除なんての時間潰しにすぎない。モップとバケツで床を磨きながら、今後のことを考えた。
どうにかして未来に帰らなければ。
もう一度、殺し合いをするなんてごめんだし、かといってこのまま留まっているわけにはいかない。
ヨイナ……とかいう天使に詳細を聞ければいいのだが……。
「なんなんよ。もう!」
陽炎のように宙が揺らいだ。
空中の黒い靄から解放されたシキミハラが出てきた。
絶好のタイミングだ。
術者が入眠したことによって、空間遮断魔法が解けたらしい。どいつもこいつ未熟者ばかりだ。
床にべしゃりと着地したヨイナは首をコキコキいわせながら、立ち上がった。
金髪碧眼の美人。
天使という名に恥じぬ整った顔立ちだ。
「中、すっごいんよ! 壁一面の大量のコミック本! まさに天国なんよ!」
なんだこいつもダメ人間か。
「出来ればまだ中にいたいんやけど、さっきの妖精はどこいったんよ? 最凶死刑囚編の続きが読みたいんよ」
「あいつなら帰った。それより話を聞かせろ」
「ええけど……もしかしてサワムラマクラ、未来の事、思い出してるん?」
「さあ。どうだろうな」
「絶対思い出してるんよ……」
西洋風な出で立ちの少女だ。日本の雑多な教室という風景は全くのアンマッチだった。
「随分と魔族に嫌われてるんだな」
「別に虫けらに好かれようが嫌われようが、どーでもいいんよ。大切なのはノースライトという土地がいかに清廉で繁栄しているか、だけなんよ」
「極端な考えた方は好きになれないな。まあ、あんたの目的はなんでもいい、さっさと俺を未来に帰せ」
「無理やよ。ノースライトを救ってもらってないんよ」
「もう一度魔王を倒せってのか? ごめんだな」
「そこまでは要求してないんよ。ノースライト側で転移してほしいだけなんよ」
ローブについた埃を手ではたきながらヨイナは俺を見つめた。青空よりも青い澄んだ瞳だ。
「ヨイナの願いはそれだけやよ」
「転移って……俺が召喚されたのはサウレフト皇国だぞ。たしか」
「そう。だからそこをノースライトにしてほしいんよ」
「召喚された場所だけでなにが変わるんだよ」
「未来が変わる」
ヨイナはにこりと微笑んだ。純粋無垢な笑みだった。




