続 飛んでいる矢は止まっていた 1
体が跳ねるように震えた。
椅子の脚が床を打ち付け、ガタンと大きな音をたてた。
クラスじゅうの視線が俺に集まる。
「すみません……」
蚊が鳴くような声で謝罪の言葉を口にすると、静まり返った教室にクスクスと嘲笑のさざ波が起こった。
「以後気を付けるように……」
教師はそれだけ告げて、源氏物語の一文を黒板に書き始めた。
「ふぅ」
「疲れてるの?」
隣の席の女子が声を細めて訊いてきた。
「ああ。昨日も部活で……ところでなにしてんの?」
「ん?」
彼女の机の上には分解されたシャープペンシルが転がっていた。
「暇だから分解と組み立てを繰り返してるの。こうしてるうちに授業は終わってくれるんだよ」
友利の成績が上がらない理由を俺は垣間見た気がした。
浅い眠りをとっている時に体が痙攣する現象をジャーキングという。
脳が間違った指令を送ることによって発生するらしい。
「いてっ!」
どうでもいいこと考えていたら頬に何かが当たった。
「ああ! バネが!」
友利が焦った顔でいずこかへ消えたボールペンのバネをキョロキョロと探していた。
夏だった。
めまいがするくらい暑い夏。
まだ七月も中旬だというのに、最高気温は連日三十度を超え、寝苦しい夜が続いていた。
自分の部屋のクーラーの調子が悪く、網戸で誤魔化していたが、どうにも寝不足になってしまう。
だから、あんな夢を見てしまったのだ。
「沢村くんが居眠りなんてめずらしいねぇ」
中休みに入ると同時に、クラスの女子が俺の机を囲んだ。
「いや、なんか疲れてて……」
「部活頑張りすぎぃー。たまにはサボって遊びに行こうよぉ!」
「ちょっとなに抜け駆けしてんのよ!」
「うるさいはね、このブス!」
「ブスとはなによ! このブス!」
「うっせーよ! ブスブスブスブス!」
やれやれ。モテすぎというのも困りものだな。
それにしても、と、肩をすくめて、窓の外に広がる初夏の青空を見上げた。
蝉時雨は窓ガラスに遮断され、教室内は最適な温度で保たれていた。
期末試験が終わって普通科はテスト休みに入ったのに、特進コースの俺たちはしょうもない夏期講習を受けていた。
だからだろうか。
なんだか現状に違和感を感じてしまうのは。
二限目は数学の補講だった。
微分積分の予習だったが、高一の段階で全部理解していたので、復習は意味無いと判断し、思考を埋没させる。
居眠りにしては壮大な夢をみてしまった。夢の中の俺は、勇者だった。
「……」
一人で思って体温が上がった。
くっそ、なんだよ、勇者って。バカにしてんのかよ。そんな妄想、中二で卒業したはずなのに、そもそも異世界転移って俺よりヒクソングレイシー辺りが転移したほうが無双できるに違いない、つか魔法が使えるようになるって、そんな眉唾な力に頼るよりも学力鍛える方が絶対将来の役に立つぞ、夢の中の俺!
なんて、脳内で反論していたら手の甲にそよ風を感じた。
視線を横にやると友利が教科書のはしっこを指でつまみ高速でめくっていた。
「なにしてるの?」
「パラパラ漫画書いてるの」
「……」
「超大作」
俺は友利の成績が上がらない理由を垣間見た気がした。
中休み、同じ野球部の部員が声をかけてきた。
「マクラー、部活終わりにゲーセンいかねぇ?」
「あー、悪い、今日河川敷のゴミ拾いの日だから」
「えー、まじかよー。ちくしょー、お前のバイタリティーほんとヤバイよなぁーなんつうか、アレというか、すげぇーっていうか。まじリスペクト的な。なんかスゴいよな」
「うん、そうだな」
ヤバイのはお前のボキャブラリーだな。
三限目は歴史だった。
雑談が多く、シラバス通りに進まなかったからって、夏期講習で取り戻そうとするのはやめてほしい。
そもそも過去から学ぶことはなにもないと判断した俺はさっきの妄想の続きに更けることにした。
それにしても、
魔王を倒した後の俺の人生は色々と悲惨だったな。
まあ、生き方は人それぞれだからどうでもいいけど。
まさか家族から見放されて週五日の派遣労働で食いつなぐようになるなんて。
高校中退で、最終学歴は中卒だし助けてくれる友達もいなければ住んでるアパートの大家はクソだし、いいこと無さすぎて泣けてくるほどだ。まあでも勇者として異世界に転移するより、よっぽどありえそうなのが怖い。エリート気質の母さんはそういうとこあるし。
でも夢に出てきた女の子、めっちゃ可愛かったな。
名前、何て言ったっけ、青紫?
髪の毛が長くて瞳がきれいで肌が白くて、あれで胸がデカければ言うことなしだったんだけどな……、ほんとあと胸だけなんだよな、なんであんな小さいんだろ、天は二物を与えずとは言うけど、なんつうか、無さすぎてえぐれてるんじゃないかと思えてくるほどだ。ん、そういえば、変な口調になってたけど、友利も出てきたっけ、
と、思いあたって隣に視線をやると、友利は机にめり込むほどの勢いで教科書に書き込みをしていた。
「お、偉いじゃん。ちゃんとメモ取って」
「メモ? なに言ってるの? 私はただ偉人の額に肉って書いてるだけだよ?」
「……」
「超人パワー注入中」
友利の成績が上がらない理由を垣間見た気がした。
中休み。友達が雑談がてら質問にきた。
「この問題なんだけどさ」
「簡単にいうとモノとか空間を切ったりしないで、変形させたのなら、本質的には同じものって考え方だよ。穴が空いたドーナツと持ち手が一つのマグカップの表面は同じ同相でしょ? つまり位相幾何学的に考えるとドーナッツとマグカップは同一の性質ってこと」
「なるほど。ところでロケットにロープつけて飛ばして、宇宙を一周して戻ってきたとき、ロープの両端を引っ張って回収できた場合宇宙の形はおおむね球体であるといえるのかって問題は?」
「あー。それね。2006年くらいに解けた気がするわ」
ポアンカレ予想でレッツ検索。
四限目は科学だった。
もう全部理解している俺は授業を聞き流すことにして夢の考察を行うことにした。
もし仮に現実世界の俺が向こうの世界に転移したとしても日々の生活に手一杯で世界を救う英雄なんてなれるはずがないだろう。
そういえば精霊の加護とかワケのわからないご都合主義で魔法が使えるようになったんだっけ、呪文、たしか……
「火……」
ボ。
わが目を疑った。
指先に火が点っている。
赤いゆらゆらとした炎。
「え……」
冗談だろ。まじでか。え? なにこれ、超こわいんですけど。
「ま、まくらっ……」
「あ」
横の席のトモリが目を丸くして俺を見ていた。
「……サプライーズ」
「な、なにが、サプライズよ。え、なにそれ……」
「これどうやって消えるか知らない?」
「消えろ、って念じてみて」
「あ、消えた」
「そ、それよりマクラ、あなた、なんで……」
「いや、それはこっちが聞きたいよ。授業中なんだから黒板みろよ。なんで俺見てんの」
「や、だって、授業暇だし、それならマクラの横顔見てるほうがよっぽど……、ってなに言わせんのよ! ばか!」
一人で勝手に盛り上がってる友利を横目に俺は元素記号と戯れることにした。
チャイムが鳴り響く。一日分の夏期講習の終わりが訪れた。あとはショートホームルームでつかの間の解放感を味わうだけだ。
「マクラ」
「ん?」
鞄に教科書をつめる俺に友利が声をかけてきた。
「放課後、少し残って」
「なんで? 部活あるんだけど」
「用があるの。今度奢るから」
「オッケー!」
「ゲンキンな奴……」
友利は金髪混じりの髪の毛を耳にかけ、無表情に息をついた。
なんだか、様子が変だった。
今週の掃除は階段掃除なのでなんもいいことがない。班の連中と適当に掃除を終わらせて教室に戻りながら、先程の友利を脳裏に再現する。
いつもの彼女なら顔を赤くして「調子にのんな!」と肩パンしてくるところなのに、なんだか暗かった。
やっぱ指先の炎を見られたのが不味かったか。
でもまあ、
「風」
「きゃあ!」
クラス一美人と名高い三坂さんのスカートを風魔法でめくり、水色のパンツを堪能する。
「むなしい力だ……」
パンツ確認できたところでねぇ……。
 




