続 それはさながら罪人のようで 5
浮かれるような陽気が、新しくできた擦り傷をなでる。
「フローレンスから連絡をいただいています」
ルゥナは音もなく黒いなにかを掲げて見せた。
長方形の見知ったデザイン。それはずいぶん前にフローにあげた携帯電話だった。電波法がどうなってるのかは俺には預かり知れぬところだが、魔法めいた彼女の発明力さえあれば、どうとでもなりそうな所が怖い。
「なんて?」
「勇者様のご事情とこちらの現状です。ご安心ください」
ルゥナは優しく微笑んだ。
「私たちは世界がどうなろうと味方です」
それは宣言だった。
膝がガクガクと震えている。魔法ももう使えない。争っても勝てる見込みはないだろう。
ルゥナも当然、それを理解しているはずだが、平然とした面持ちのまま続けた。
「土人形さんに頼んで死霊使さんはこちらの世界でフローレンスが保護してます」
「そう、か。安心した」
ふつうに忘れてた。
「私たちは勇者様を信じています」
赤い瞳が真っ直ぐに俺を見つめていた。
「ですから勇者様も私たちをもっと信じてください。私たちは平和を愛するアナタを知っていますから」
「……ごめん」
「良いのです」
ルゥナは携帯を胸ポケットにしまうと手櫛で髪を整えた。
「これからのことを相談しましょう」
実家の客間にみんなを案内する。かつての仲間は全員西洋人めいていて、違和感だけが忙しく仕事していた。
この部屋に入るのも久しぶりだ。幼い頃は親がお偉方を接待しているのを眺めていただけで、俺自身誰かを招いたのは初めてになる。
一度無関係になった血縁者が、客間を使うのは、なんだか妙な話だ。
「客将として滞在しているノースライトの男が元凶らしいのです」
ザクロが淹れたお茶に一度口をつけてから、ルゥナは続けた。
「ノースライトはサウレフトと魔界がぶつかり合うことによって双方の国力を低下させることが目的のようです」
話が国際的すぎて理解できなくなってきた。
湯飲みを両手で持ちながらルゥナは続けた。
「王は客将の傀儡になりつつあります。私たちの本当の目的は水面下で争いを止め、ノースライトとサウレフト、そして魔界との間で平和維持条約を締結させることにあります」
「なるほどなるほど」
どうやらサキの言ってた通り俺は近代社会が苦手らしい。さっぱり話が理解できない。
「そのために魔族の王、マーメルト様にこれまでの無礼とこれからの協力のお願いに参りました」
ルゥナと、彼女の後ろにいたウェルシュとアリスとヘンキ、全員が申し合わせたように頭を垂れた。
こいつらも板挟みで苦労してんだな。
昔はただ目の前の敵だけを倒していれば良かった。
だけど、武力によって上り詰めたあとは政治力が必要になってくる。なにもかもドロップアウトした俺には無縁な話になるわけだが。
「未来の争いを避けるためにご協力をお願いします。もう、二度と戦争など起こしたくないのです」
ルゥナは両親を魔族に殺された過去をもつ。
サウレフト皇国の隣に位置するノースライトの出身の彼女の過去は、気軽に話せるほど単純なものではない。
「不幸な子がいなくなり……みなが悲しみの涙を流さないために……」
誰よりも魔族を恨んでもいいはずなのに、ルゥナは常に平和のみを求めていた。
魔王殺しを成し遂げ、歓喜の声をあげる仲間内で、ただ一人、追悼の涙を流した少女は、許しを乞うようにサキに頭を下げ続けている。
「顔をあげてください」
サキの声が静かな室内に響いた。
「願ってもないことですわ。ワタクシの目的も平和にあります。どうぞ協力させてください」
父親の仇たちに囲まれて、憎しみを忘れたように彼女は微笑んだ。
実家の風呂場で空間転移の準備を進めるアリスとルゥナを眺めながら、俺はぼんやりと今後のことを考えていた。
ルゥナはサキが暗殺されかけていたという事実を白日のもとにさらし、サウレフト王、客将とひいてはノースライト王の権威を著しく低下させようとしている。
うまくいくのだろうか。
うまくいったところで、未来はあるのだろうか。
「マク兄はやっぱりスゴいね」
「ん?」
いつのまにか横に立ったザクロが検討違いのことを言った。
「異世界を救っちゃうんだもん」
「俺はなんもしてないぞ。強いて言えば人に言えないことをやりまくったぐらいだ」
壺割ったり、タンス漁ったり、ぬののふく売りまくったり。
「それでもやっぱりすごいよ。だってスゴい人たちに信頼されてるんだもん」
「……そうかもな」
サキは向こうの世界に一時帰還し、再度平和条約を突きつける算段だ。今度はノースライトを含めた三国同盟を結ぶために。
春休みの課題のレベルが国家規模だ。
おれは……、
「俺はどうしようか」
「?」
「いや、なんでもない」
ザクロがきょとんと俺を見た。
向こうに行ったって、出来ることなど、たかが知れている。
かといってこちらに残ったって受験勉強くらいしかやることはない。
二日前まで王を殴ると意気込んでいたのに、複雑な国家間のやりとりを知って気持ちが萎えてしまった、というわけではない。
俺は仲間のすごさを知っている。
俺が行かなくても、どうにかなると知っているのだ。
前にテリヤムに言われた言葉を思いだした。
『他国の事情に無関係の人間がししゃりでてきて口出しをするのはナンセンス』
全くもってその通りだ。
世界を変えられる力なんて俺にはない。俺にあるのはシャリとタネの間にサビを入れる力ぐらいなもんだ。
「マクラさん」
興味深げにアリスとルゥナの魔方陣作製を眺めていたサキが声をかけてきた。
「準備が整ったみたいですよ」
とび色の瞳が真っ直ぐに俺を見つめた。
「そうか」
「行きましょう」
差し出された右手を受け取らず、視線をそらした俺にサキは疑問符を浮かべた。
「……どうしたのですか?」
「いや、ついていっても役に立てそうにないから、残って受験勉強しようかなって考えてたところ」
「そう、ですか」
しゅんと力無く肩を落とすサキ。
「それならば、仕方ありませんね」
「ああ」
「あの、これから先は独り言なんですが、すごく寂しいです」
「は?」
「いつでも一緒にいてほしいです。マクラさんの側にいたいです。離れたくありません。一緒に来てほしいです。支えてほしいです。……だめですか?」
独り言になっていない。
思わず吹き出してしまった。
「悪かった」
「え?」
「一緒にいくよ。行かせてくれ」
明るくなったサキの表情を俺は愉快な気持ちで眺めていた。
なにを不安がっていたのだろう。
ただ一緒にいたい、それだけでいいじゃないか。
「それでは、参りましょう!」
難しく考え込む癖を直そう。
ただ、一緒に。
失ってしまう前に、できるだけのことはしよう。
俺は間違いなく眩しい時にいるのだから。




