続 それはさながら罪人のようで 3
高台にある古い家。十八年分の思い出が詰まっている。勘当が解除されたので、前よりは帰りやすいが、それでも今年になって実家に戻るのは初めてのことだ。
もう遅いからと公園で別れて、次の日。家の前の坂道でサキと待ち合わせし、向かうことにした。
ユナはいない。しこたまフランクフルトを食べている頃だろう。
「お前護衛でこっち来てんじゃないのかよ」
という俺の突っ込みを、
「マクラがいれば大丈夫でしょ?」
と涼しい顔で言い返されてしまった。
その理屈はおかしい。
へこんだガードレールに破れたポスター、放置され錆びだらけの自転車に、ひしゃげたアルミ缶。視界の端に写るのはあの頃見えなかった綺麗な世界の残滓だ。
俺は大人になってしまったらしい。
感慨はない。
こぶしの花が咲く長い坂道を登りきると、実家の門が正面に見えた。
昼すぎ、太陽は真上にあり、穏やかな陽光が降り注いでいる。春だ。
鶯の声が聞こえた気がした。
ガーデニングが趣味の母が植えた春の草花が太陽の光を目一杯受けようと葉を広げている。
留守の可能性が高い時間帯を選んだのは内緒だ。できれば、家族と会いたくなかった。
沢村という表札の下のカメラ付きインターホンを押し込む。ピンポーンと響くチャイムの音。
誰も出るな、
と、祈りを込めてからの訪問だが「はーい!」というハツラツとした返事が玄関ドアの向こうから聞こえた。直接出たらカメラの意味ないだろ。
「どちらさっ……」
ポニーテールが揺れる。一連の騒動により、新しくなったドアが、細い手によって開かれた。
「ま、まく兄ぃ!」
よりにもよって、妹のザクロだった。
「おかえりなさい! まくにい!」
嬉しそうに微笑まれる。そうか、学生は春休みか。勉強しろ、くそが。
開錠呪文でしれっとあがり、脱衣場にいく計画がご破算だ。
「ただいま。かあさんは?」
「しご……」
笑顔だったザクロの表情が一瞬にして曇った。左まぶたがピクピクと痙攣している。
「まく、にぃ」
「ん?」
「マクにぃ。ねぇ、マク兄、そこの人、誰?」
震える指先がサキを指差す。
「はい!」
よくぞ聞いてくれました、とばかりにサキは身を乗りだした。
「ワタクシは青村紗季。この春、大学生になるマクラさんのカノジョ(語尾あがる)です!」
「……」
密かに俺は感動していた。初対面の時は頭が痛くなるような酷い自己紹介だったのに、こいつも大人になったんだなぁ。シミジミ。
「…………」
「あの?」
「か。の、じょ?」
「はい! カノジョ(語尾あがる)です!」
「今日何日?」
「え、四月の……」
「エイプリルフールか!」
「ち、違いますわ! 事実です! 相思相愛です!」
生き生きするサキとは対照的に顔面蒼白になるザクロ。
「まくにぃ」
「ん、どした?」
「マク兄ぃ、どういうこと!?」
ザクロはサキを無視して俺に説明を求めた。目が血走っている。
「いや。まあ、なんというか、そういうことだ」
「っ……」
言葉を失っていたのは数秒だった。身内の引け目を抜きにしても可愛らしく整った妹の顔が般若のようにつり上がる。
「はあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ???」
「!?」
「いーみーわかんない! いーみーわかんない! 意味わかんない意味わかんない意味わかんない意味わかんない意味わかんない、なに、それっ、なにそれ! はああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ?」
「お、おい」
「なにそれなにそれなにそれ勝手だよ勝手だよ。酷い裏切りだ。なにそれなにそれ!」
「ど、どうしたザクロ、落ち着けよ」
「ソイヤ! ソイヤ!」
「ど、どうした!?」
「ダメダメダメダメダメダメダメ、認めないよ認めません! ザクロはその人がお兄ちゃんのカノジョなんて絶対に絶対に絶対ィィィィィィィィィィィィ認めないからね!」
床屋のカーンもビックリの剣幕だ。いつも楽しくニコニコ明るいザクロはどこにいったのか。
「ま、まくらさんっ」
サキでさえあたふたしている。
それを見たザクロの目がつり上がった。
「なに気安く呼んでんの! このっ、泥棒猫!」
「ね、ねこ!?」
「ザクロにだけ優しいお兄ちゃんを返してッ!」
昨今の昼ドラでも聞かなくなったセリフを叫ぶと同時に空気が変わった。
驚いた小鳥たちがけたたましい鳴き声をあげ空に逃げていく。ピリピリと肌を指すような張り詰めた空気。
残響が鼓膜を揺さぶり続ける。
「許せない! 許さない! 絶対に許せないっ!」
分厚い雲が太陽を覆い隠した。辺りは一瞬にして薄暗くなる。
「お、落ち着け、ザクロ。話を聞け」
「お兄ちゃんのバカバカバカ! あの人の話は本当だったんだね。頭にきた、いいよいいよいいよ、そっちがその気ならこっちにだって、考えがあるもんね!」
ザクロがずんずんと歩いてくる。威圧感に圧倒され、たじろいでしまう。
「待ってて、マク兄。いま、そいつを殺して、魔法を解いてあげる」
「はっ?」
「目を覚まさせてあげるから」
まほう?
妹の口からおよそ常識外の言葉が飛び出た。
「お前、なに言って……」
「空よ大地よ海よ地球よ! あまねく全ての生命を! ザクロに力を分けてっ! うっにゃあー!」
間抜けな雄叫びをあげ、ザクロの全身から蒸気が立ち上る。
「ま、まさかっ」
彼女を取り巻くオーラの輝きが増し、静電気のような青白いスパークが発生する。
間違いなく勇者の風格。俺にはない選ばれし者の力。
ザクロは右手をつきだした。
「雷ッ!」
閃光。
「くっ」
「きゃあ!」
激しい稲光を感じる前に、横のサキを押し倒して、それを回避する。
一瞬だった。瞬きすら許されない殺意。
電気の塊は門柱にぶつかって消えた。消滅したのは魔法だけではない。頑丈にできているはずの我が家の鉄製の門すら抉られたように溶けてしまっている。
「なっ、なんつぅ」
「何でかばった!? なんでかばったのマク兄ぃ! ズルいよズルいよその女ばっかり!」
「妹が殺人犯になるのを止めんのは当たり前だろ!」
「そっかー! そういうことかー、うふふふふふふ、ありがとっ、まく兄ぃ! でも安心して! そいつは人間じゃないから殺しても罪にはならないよ!」
「そういうことじゃない」
数日前より格段に威力が上がっている。
魔法の名を唱えたからだ。魔法はカタチをなすことにより、固定され、本来の威力を発揮する。
だが、疑問がひとつ浮かぶ。
こちらの世界にいる限り、ザクロその力の真名を知るはずないのだ。
何故?
「こんなんじゃダメだ。ダメ。もっと威力がなきゃ、あの女を殺せない」
不穏なことをブツブツと口走るザクロは一言でいえばクレイジーだった。
どう考えてもおかしい。
妹はたしかに思い込み激しいタイプだが、どう考えても俺に執心過ぎる。
「マクラさん……」
「あ ?」
腕の下のサキがぼそり呟いた。押し倒す格好になったのは、いつかと同じだが、前よりは落ち着いている。土の上に倒れたので、ダメージはない。
「ご挨拶、間違えたでしょうか?」
「いや、問題なかったはずだ。誰かが妹に、なにか吹き込んだな……」
「そうですか……」
浅くため息をつかれる。
「どうすれば、相手方の親族に気に入られるのでしょうか……」
こいつはこいつで色々とアホなこと考えていたらしい。
服についた埃をはたきながら起き上がる。
「それにしても今の魔法、初めて見ました。古代魔法ですか?」
「うちの妹は伝説の勇者らしい」
「正気ですか?」
「ああ」
「なんてこと……」
失われた第五魔法。雷。
やはり凄まじい威力だ。
初期呪文にも関わらず、初動が恐ろしく早い上、威力が中級魔法程度ある。
「ザクロ」
なんとか言って聞かせなければ。
「なにっ、マク兄ぃ?」
汚れを知らぬ無垢な笑み。
変わり身が早すぎる。そんな二面性見たことないぞ。
「誰から魔法を教わった?」
「気がついたら出るようになってたんだよ! すごいでしょ? って、マク兄には前に言ったよね! てかっ、やっぱりこれさっ、選ばれし能力だったんだよ!」
「違う。さっきあの人と口走っただろ。そいつの名前をいえ」
「……聞かなかったからわかんない。だけど、マク兄の空白期間のこと教えてもらったよ」
「っ」
「マク兄はやっぱりすごいねっ! まさか異世界に行って世界を救ってただなんて」
家族に知られたくない過去を知られてしまった。この上なく恥ずかしい。
「そのときは話し半分だったけど、ちゃんと教えてもらったんだよ!」
ザクロが再びサキを指差す。
「マク兄は操られてるんだ。そこの女に!」
「全くだれがそんな世迷い言を……」
「その女はニフチェリカ・マーメルト、たくさんの人を殺した悪魔の娘だよ!」
「あのさぁ……」
「群集掌握ってのがあるんだって!」
もうやだ、サブイボが止まんない。
「群集掌握のクラスアップが個人崇拝。対象となる個人をコントロールするスキルなんだって!」
「そういうのは中二で卒業しろ!」
呆れてものも言えないが、とりあえず、否定しておかないとまずいな。
「嘘教えられてるぞ。俺がサキを助けるのは、純粋に傷ついてほしくないからだ。そこの気持ちに不純物は一切ない」
「ひ、ひどい。洗脳はここまで進んでいるっ」
「人の話聞けよ、おい」
「大丈夫だよ、マク兄、ザクロがいるもん。絶対に治してみせるから、ちょっと待ってて」
華やかな笑顔を俺に向け、ザクロは右手を掲げた。
「生きとし生きる全ての者よ、ザクロに力を分けてくれっ! うにゃにゃに」
青白い光を放つ。
「うにゃにゃにゃにゃー」
光はやがて強くなり、
「雷ィィィィ……」
バチバチと音をたて始めた。
なんてやつだ。
あきらかに威力が変わった。
渦巻くエネルギーの固まりが妹の右手に集約している。
「ふッ飛べェ!」
それを躊躇いもなくサキに投げつけた。
「このっ、バカ!」
伸ばした右手を「石」で強化し、サキに向かい飛び込んできた雷の固まりを弾き飛ばす。
「ぐっがっ!」
魔法の威力が段違いだ。肉体強化が追い付かない。弾いた右手が火傷で赤くなり、爛れた皮膚から血液が垂れ落ちる。
「つぅ」
「ああああああマク兄ぃぃぃ!」
「痛ぇ……まじで……」
だれか回復魔法をくれ。辺りを見渡してみる。
「ま、マクラさん、そんな私のために!」
「ぐっつつっ」
魔王に勇者。
攻撃系ばっか覚えてる無能ばかりだ。
戦闘において一番重要なのは回復役だってなんでみんなわかんないかな。
このままでは投手生命は断たれてしまう。別に目指してないけど。
「酷い酷い酷いよぉ……マク兄ぃぃ大丈夫ぅ?」
「大丈夫なわけあるか、ぼけ」
「うわぁぁぁん、酷いよぉ! 魔王魔王魔王ゆるすまじぃ!」
「……」
やっぱりどこかおかしい。
「お前こそ操られてるだろ?」
「えっ?」
焼け爛れる右手を突き出す。耳鳴りがしてきたが、突き刺すような痛みで妙に集中できた。
「水!」
「ひゃあ!」
頭を冷やせと空気中の水分を固めて妹にかぶせる。
魅了という魔法がある。相手の一部の感情を極化させる能力だ。
一時期必死になって覚えようとしたことがあるので解除方法も知っていた。なんで覚えようと思ったかは秘密だ。
「……あ。れ?」
水滴を滴らせて妹はうろんな瞳を俺に向けた。なにが個人崇拝だ。事態は思ったよりも単純だ。
「マク兄ぃ?」
「正気に戻ったか?」
「人前でいきなりぶっかけるだなんてひどいよ」
半笑いでなにいってんだ、こいつ。
ザクロは前髪の水を払うとこてんと首をひねった。
「なんでいきなり水かけてきたの?」
「解呪方法がそれだったんだ。それでお前に魅了をかけたのは誰なんだ?」
「言ってる意味がわかんないんだけど。というか、マク兄、寒いよ。良い歳した大人が漢字にカタカナのルビふるの」
「うるせぇ……」
「頭がクラクラする……記憶があやふやなんだけどひょっとしてザクロ、ビーム出した?」
「その話はもういい。それで、お前が最近会った人で可笑しなやつはいなかったか?」
「んー、そこの人かな」
サキを指差した。
「いきなり現れてお兄ちゃんのカノジョとかほざくんだよ? 頭いかれてるよね」
涙目になるサキのフォローは後回しだ。
「その他には?」
「そうだなぁー。あとはこないだ会った……」
「詳しく聞かせろ」
「聖書持ったオバサン。神様を信じますかって……」
「その他は?」
「んー、あとは見知らぬ他校の男子生徒に花束もらって」
「その他」
「遅刻しそうだったから路地裏走ってたらおじさんにパンツの色を聞かれ……」
「二年前の俺のことをお前に教えた人のことだけを教えろ!」
「あー、サングラスかけた金髪の男の人?」
「……?」
心当たり無さ過ぎてやばい。
「勇者とか魔法がうんたらとか言ってたからメンタルヘルスを案内してあげたよ!」
妹がほめてとばかりに微笑んだその瞬間だった。晴れ渡る青空が墨汁みたいな黒に覆われた。
「なっ」
込み上げる闇。不穏な気配。塞がれる視界。
「こ、これは」
空間遮断魔法。
心象風景を具現化させ、対象を閉じ込める高等魔術だ。先程まで玄関前の石畳に立っていたはずなのに、いまじゃ足首までぬかるみに浸かってしまっている。
これほどの魔法を扱える魔術師は世界に数えるほどもいないだろう。
アリス・ルーペンス。
一度は向こうに帰還させたはずだが、こちらの世界に戻ってきているらしい。
「くっ」
思考を埋没させている暇はない。
俺は意識を全身に巡らせた。
「大旋風ッ!」
闇を晴らすため風の最大呪文を唱える。風が俺を中心に吹き荒れる。さながら竜巻だ。
吹き飛ばす効果を持つ高等魔法。通常は敵に囲われた時に使う奥義だが、ギリギリで空間遮断の発動を刈り取ることができた。
晴れる視界、魔力消費で気だるい体の包んだのは柔らかい感触だった。
「お久しぶりですね。勇者様」
たおやかな肢体。胸に挟まれた血にまみれた俺の右手。素晴らしい感触。
「は?」
水色の長い髪。赤いすんだ瞳。きめ細かい白い肌。
「復旧」
抱き決められた俺の右手が白い光に包まれる。雷によって出来た熱傷がじょじょに治癒していった。これは、と驚いて目線を上にあげる。
「息災でなによりです」
ルゥナ・シュィーニィー。
僧侶だが博識ぶりに巷では賢者と言われている。かつての旅の仲間がそこにいた。




