続 日常生活を侵食する暗殺者たちの行動 5
気温は氷点下を刻み、真冬が如く冷気に震えが止まらなかった。階段は踊り場に『スリップ注意』の看板を立てたくなるくらいテカテカと凍りついている。
「さて」
エプロンドレスを軽くはたいて、ユナは俺のことをみた。
「久しぶりね」
「そうだな」
立ったまま二人が眠ったのでようやく落ち着いて会話ができる。
ウェルシュとアリスは幸せそうな寝息をたてていて、二人に争いは似合わないと改めて思った。
「少なからずアタシは怒っているのよ。あんな中途半端な別れ方して」
「また会えたんだからいいじゃねぇか。てめぇだってさっき俺のこと門前払いにしようとしたくせによ」
「ずいぶんと雰囲気が変わってたから気づかなかっただけよ」
「雰囲気?」
「なんかイキイキしてる。瞳が濁ってない」
「……適当なこと言って誤魔化すなよ」
「ふふん。まあ実際あの子があなたと会いたくないって言ってたのは事実よ 。女中としてそれに従っただけ。なんか上手く行きすぎててつまらなかったし」
ショックだ。だが落ち込んでいる暇はない。驚異が現れたのは事実なんだし。
「それで? アナタの最初の発言から察するにコイツを砕けばこの人たちどっか行くってことでしょ?」
顎をくいっと動かして眠りこけるアリスとウェルシュを示す。
「ああ。それで間違いないが、それより前に頼みがある」
「なによ」
「俺まで凍らせてるからな。早く魔法を解除してくれ」
「あら、ごめんなさい。加減が出来なかったわ」
本当だろうか。
魔法が解除され、自由の身になった俺は全身の関節をほぐしながらユナに訊ねた。
「お前、いつこっちの世界に来たんだ?」
階段を覆っていた霜が消滅していく。微かな冷気が肌を刺した。
「二日前よ。人の王が魔王の暗殺を企てた、という情報を仕入れてね。護衛としてミヤにゲートを開けてもらったの」
ゲート。
向こうの世界とこちらの世界を繋ぐ扉のことだ。
物質族しか扉の開閉は出来ないらしいが、知り合いのゴーレム少女のミヤは門戸開放のスキルを会得したらしい。
「ゲートはまだ開いているのか?」
「ええ。子供たちの平和な像はまた壊れたけど」
「……」
「マクラ?」
「あと一人……」
「なにが?」
「俺が把握している暗殺者だ。無害なフローレンスを除けばあと一人だけサキの命を狙っているヤツがいる。こいつを片付けたら一度俺を向こうの世界に送ってくれ」
「ど、どうして?」
「王を殴る。積年の恨みをこめてな」
「……いつになく積極的ね」
ユナは目を細めた。
「我慢するのをやめたんだ。前に進むのに必要な儀式と考えるさ」
滴った滴が階下で水音をたてている。
「いいわ。あと一人片付けたら一度向こうの世界に帰りましょう。……っとその前に処理しなきゃね」
ユナは懐から丸い輪を二つ取り出して、健やかな寝息をたてるウェルシュに近づいた。
「なんだそれ」
「あなたのお仲間からもらった首輪よ。調教用のね」
いつかフローレンスから使役者用の首輪をもらったことを思い出した。後生大事に取っていたらしい。
「これをつければ捕虜としてコイツらは生まれ変わる。前々からほしかったの、奴隷」
ゲスい瞳だ。
「おい」
「ん?」
「勘違いするな。そいつらも俺の仲間だ。さっさと宝石を砕いて強制送還させろ。悪いのは国だ」
「……ま、言われてみればそうね」
鼻息をついて、ユナは俺に宝石を二つ投げて寄越した。
手のひらの中でカツンと音がした。
「……」
「どうしたのよ。はやく砕けば?」
「……ッ」
「もしかしてかつての仲間に情を抱いているのかしら。なにも説明しないで帰すのは忍びないとでも?」
「……」
「ちょっと、マクラ?」
「固ッ……」
「……」
素の力じゃ無理だったので、肉体強化呪文を唱えてから宝石を砕いた。
手のひらから欠片がこぼれると同時に、横たわる二人の体は淡い光が放ち始めた。
「お別れの言葉は?」
「寝てるから聞こえねぇよ」
金属を打ち付けたような甲高い音がして、二人の少女は帰還した。
今度向こうの世界にいったら、ゆっくりお茶と洒落こもう。
「あとはサキだな」
二人を見送ってから、俺は上階を見上げた。
「上にいるのか?」
「会うつもり?」
「誤解をとかなきゃならない」
「律儀なもんね」
大人のユナの瞳には、いつかのあどけなさが宿っていた。
「もう別れたままでいいじゃない」
「ふざけんな。あんな終わり方があってたまるか」
「ふぅん。アタシはべつにどうでもいいけど。みんなが笑って暮らせるハッピーエンドなんてあり得ないと思うわよ」
「どういう意味だ?」
「なんでもない。さっさと行けば? あの子なら右手廊下の一番奥の部屋にいるから」
ひょいと何かを投げて渡される。
銀色の鍵だった。
「解錠代わりにどうぞ」
「……ありがとよ」
礼を待たずして、階段を一歩一歩下っていくユナ。
「どこいくんだ?」
華奢な背中が遠くなる。
「お腹減ったから、ラーメンでも食べに行くの」
「ユナ」
俺に声をかけられ、少女は少しだけ頬を染めて振り返った。
「なによ」
「出掛けるまえに着替えたほうがいいぞ」
彼女が着ているメイド服はウェルシュとの戦闘でボロボロだ。その状態で外に出たら色々と誤解されてしまうだろう。
「ふ」
ユナは一度小さく鼻で笑ってから、
「お気遣いどーも」
と、瓦礫を跨ぎながら軽く手をあげ、穴と化した玄関ドアから去っていった。




