魔王少女は傷つかない 2
晴輪南女子高等学校。通称セイジョ。
地元じゃお嬢様校として知られ、伝統ある進学校として全国的にも有名だった。
そんなセイジョの文化祭は金土日の三日間にわたって行われる。土日は来賓もたくさん訪れ、普段は静かな校舎が一年で最も活気に溢れる一日になる。そうサキが言っていた。
すずかけの並木道はレンガ造りになっていて、遠くに見える西洋風な建物が校舎だと気づくのにかなり時間をようした。
来客者は生徒の親族と卒業生、手作りチケットが渡された友達しか入場できないようになっていて、部外者の立ち入りを完全にシャットアウトしている。
本当は行く気なかったが、節約の為に明水祭と書かれたアーチをくぐり、受付の女子にサキからもらったチケットを差し出す。
「はーい、じゃあこちらの名簿に名前と招待者を書いてください」
キラキラと眩しすぎるくらいの女子高生だ。二年前まで毎日眺めていたスカートが、この歳になると神聖なものにクラスアップする。
「はい」
努めて冷静な顔で俺は帳簿に記帳した。
「ありがとうございます。それじゃあ、こちらから入場を、……ッッ!」
名簿を見た眼鏡の少女の瞳が大きく見開かられる。
「あああああ」
「失礼な。そんな名前じゃないぞ」
「み、みんな! 青村先輩の!」
眼鏡の少女が叫ぶと同時に奥のテントで受付をやっていたたくさんの生徒が叫び声をあげて駆け寄ってきた。
「えーー!」
「会長の!?」
「サキ様の招待客!?」
やんややんやとあっという間にたくさんの女子高生に囲まれる。モンスターのグループに襲われた時のことを思いだし、軽くトラウマが甦った。
「青村先輩の招待客なんですか!?」
「そうだけど、なんだ、君ら」
「きゃああーー!」
黄色い悲鳴が俺の耳をつんざく。
「うるさ……」
「お兄さんはサキ様とどんな関係なんですか?」
「ただの知り合いだ」
「知り合いィーー!」
こいつら全員危ない薬でもやってんじゃないのか。
「はいはいはい、質問です! お兄さんは何歳ですか?」
「十九だけど、……なんだよ、急に……。セイジョって入場すんのに面接いるのかよ……」
「なにやってる人ですか? 大学どこですか?」
答えるのがめんどくさくなってきた。
「なんもしてねぇよ」
「え? それって」
「ニート」
「……」
ようやく待ち望んだ静寂が訪れる。
「さ。受付はこれで終わりかな」
「プライベートの会長ってどんな感じなんですか?」
俺の発言に負けじとおかっぱ頭の生徒が瞳を輝かせて聞いてきた。
「いや、そんな知んないし。あんま仲良くないから」
「チケット渡すなんて相当ですよ! 誤魔化さないでほんとのこと言ってください」
めんどくせぇな。
「プライベートのあいつはアホかな」
「お黙りなさい」
風船で出来た手作りのアーチの横に、凛として、青村サキが立っていた。いつものセーラー服に『生徒会』と書かれた緑の腕章をつけている。
「きゃー! 会長ぉぉー!」
さっきまで俺の応対をしていた生徒の視線が一斉にそちらに集まる。
「惨めな知り合いに施しがてらチケットを上げたにすぎません。誤解なきよう」
澄まし顔だが、よくよく見ると冷や汗をかいている。
俺は間抜けのサキしか知らないがどうやら学校では人気者らしい。
そういえば前に鞄を漁ったときラブレターみたいなものが沢山入っていた。はっきりいって異常だが。
「沢村さん」
涼しい顔でサキは俺を呼んだ。
「ん?」
「こちらにいらしてください」
サキに促され門をくぐる。背後の黄色い悲鳴はいつまでも響いていた。
人込みに辟易しながらも、案内されるがままガラス扉の校舎内にはいる。関係者以外立ち入り禁止と書かれたロープを股がり、人気のない階段の踊場まで来るとサキは立ち止まって声を荒らげた。
「礼装でお越しくださいと言ったじゃないですか!」
当然私服だった。
白のパーカー(E)にジーンズ(E)だ。
「これが俺の礼装だよ」
真っ裸でスライムと戦ったことがある俺にとっては、服があるだけ礼装なのだ。
「まったく。スーツの人が来たら秘密裏に生徒会が入場をアシストする手はずになっていたのに……。一般生徒にいらぬ誤解を与えたらどうするのですか」
「誤解ってなんだよ。恋人ってことか?」
「うっ……」
サキは言葉につまって赤くなった。
「バカか、お前は。高校生にもなって文化祭に呼んだ異性を恋人って判断するやつなんていねぇよ」
「晴輪の女子は純粋なのです!」
「あっそ。そういうのいいから早くたこ焼きくれよ」
「はぁ、わかりましたわ」
彼女はポケットから三枚のチケットとパンフレットを取り出すと俺に差し出した。
パンフレットにはカラフルなイラストとともに『明水祭の歩き方』と綴られていて、どうやら各出店の案内が載っているらしい。チケットには『出店無料券』と書かれている。
「それは生徒会にのみ配られるプレミアムチケットですわ。出店、出し物、上演イベント、すべて無料で楽しむことができます」
「おおっ、サンキュー。これで今日の夕飯が浮くな。……しかしいいのか、パンフレットまでもらってしまって」
「どのクラスがなにをやるかなんて企画段階から携わってきたワタクシはすべて把握してますわ。パンフレットは不要ですので差し上げます。しかし、いいですかマクラさん、役割を忘れないでくださいね」
「役割……? なんだ、飯食って、あと……軽音部の演奏でも聞けばいいのか?」
「魔族探しですわ!」
「あ、ああ、オーケー」
「忘れてましたでしょう」
「そんなわけないだろ」
「……ワタクシはそろそろ巡回に戻りますが、くれぐれも羽目をはずさないようお願いいたします。魔界のものが痴漢で捕まるなんて恥ですもの」
「羽目はずしてんのはお前だろ、鼻に綿菓子ついてるぞ」
「なっ」
顔を紅潮させ、しかめ面で慌てるサキと別れ、俺は近くのベンチに腰掛けゆっくり目的地を絞ることに決めた。
しかし久しぶりに味わう文化祭というのはなかなかに感傷的な気持ちにさせる。エントランスに飾られた『明水祭まであと0日!』の看板までノスタルジーを引き立たせている。
あの頃が懐かしい。青春は二度と帰ってこないかと思うと、最高に寂しい気持ちになる。
文化祭を一緒に回ったあの子との思い出が甦る。
「さて、なにを食おうか」
しかしながら思い出じゃ腹は膨れない。
ブラスバンドの演奏を遠くに聞きながら、パンフレットを開いて一ページ目の校舎見取り図で当たりをつけることにする。
やはりサキのたこ焼きははずせないだろう。
「……ッ!」
のんきな気持ちでパンフレットを眺めていた俺は、印刷されたツルツルな文字にあり得ない一文を見つけた。
「これは……」
異文。
異文がある。
あちらの世界の文字だ。
何も知らない一般人が見てもミミズがのたくったようなイタズラ書きにしか見えないだろう。サキは気づかなかったのだろうか。
綴られた文字には『屋上、パンプキン』と記されてた。
文の意味はわからなかったが、屋上を目指すことにする。文化祭の賑わいを縫って、人気のない上階に向かうのは俺一人だった。
背筋に氷を入れられたような、非常にもって嫌な予感がする。
当然ながら屋上は立ち入り禁止だ。
俺はサキと違って解錠呪文は使えないが、もとより施錠はされていなかった。
重厚な扉を力を込めて開けると、蝶番が軋んで鈍い音をたてた。
秋の冷たい風が俺の髪をなびかせる。
開けた空間の先には、高く澄んだ青空が広がっていて、解放感とともに一抹の寂寥感に包まれる。
「ようこそ」
一人の女生徒が立っていた。
彼女はこちらを振り向くと恭しく頭を垂れた。
「我らが魔王」
少女は長い銀色の髪をしていた。
膝まで伸びる銀髪。絹の糸のようになめらかで光を浴びてキラキラと光っている。
その大量の髪に覆われるように小さな輪郭をもつ少女は人形のように整った顔立ちをしていた。
「来てくれてありがとう」
雪のような肌、赤い唇を薄く開いて少女は謎のお礼を言った。
「屋上、パンプキンってのはどういう意味だ」
異文を書けるということは十中八九あちらの世界の住人だ。そして情報が正しければ、セイジョに潜むもう一人の魔族。
脳内アラームが警鐘を鳴らす。
「夜を照らすジャクオーランタン。そのままの意味、パンプキン」
「あんたは魔族か」
「僕の名前はミヤ。ミヤストム・ノルウェジアン。物質族の子。属性は地。与えられた性別はメス、嫉妬の大罪を司るゴーレム」
ゴーレム、か。
海底神殿で戦ったことあるが、かなり手強い相手だった。もっとも俺が倒したのはこんなチンチクリンな少女ではなく、石や鉄で出来た人形だったが、
「魔王、ようやく会えた」
静かな微笑みを浮かべる少女には、微かだが人間性を感じる。
「あいにく魔王は不在だ。俺が代わりに話を聞く」
「……あなたは?」
「俺の名前は沢村マクラ。魔王、ニ、ニフチ……魔王の娘の代理だ」
なんだっけ、サキの本名。ついこないだまで完璧に言えたんだけどな。
「そう。王と話ができないのは、残念。メロンの皮が食べられないくらい悲しい」
「パンフレットに異文を書くとは大胆なことをしたな」
「王が僕と同じガッコにいると噂で聞いた。賭けだった。見てもらえてよかった。話がしたかった」
「なんだ?」
「誰が正しいのか教えてほしい。空は海で山は赤い、虹は黒でドーナッツの穴は塞がっている 」
ところどころ意味不明な原動を行うミヤは、決められた儀式を行うように、両手を左右に広げた。
「僕はこの世界がキライ」
「そうか」
「みんな、僕を嫌う。だから僕はみんながキライ。死ねばいい。死んでほしい」
人間離れした長い銀髪を持つ少女だ。
サキや祐一郎と違って、人間社会に溶け込めているとは思えない。
あまりにも均整がとれすぎた容姿は逆に恐怖を与えるのかもしれない。
「奇遇だな。俺もそう思う」
勇者としてあるまじき発言だろうか。でもそう思うのだから仕方ない。ピンチの時だけ人を頼って、俺が助けてほしいときは誰も手を差しのべてくれなかった。
「そう、なの。マクラ。マクラもそう思うの」
「ああ、激しく同意だな。俺も俺の人生を邪魔するやつは全員死んでほしい」
「そうか。そうか。そうか。そうか。そうか。そうか。そうか」
能面のように無表情だった少女が嬉しそうに破顔してニコニコと頷いた。
「聴いて、マクラ!」
「なんだ?」
「このガッコに爆弾をしかけた」
寒風が吹き荒れ、校旗がはためく。
「……え?」
「全部吹き飛ばす。傷付けるだけの世界なら無くなってしまえばいい。魔王に相談したかった。悪いのは誰か。世界を滅ぼす、災いをもたらすのが僕らの仕事なのか。それともこちらの世界には迷惑をかけるべきじゃないのか」
「な、なに言ってんだ、おめぇ」
「マクラ、どうしたの?」
「どうしたもこうしたもねぇよ。洒落にならん。なにがしたいんだ」
「僕の大罪は嫉妬。嫉妬のスキル、形状変化で作り上げた爆弾は校舎の三ヶ所で花を咲かす時を待っている」
「どこに、しかけた?」
「僕に世界をキライにさせたところ。一つは教室の机。一つはアイツが歌うホールのライト、もうひとつは……」
ピタリと少女は発言をやめ、ジッと俺を見つめた。
「……どうしたのマクラ、なんでそんな顔してるの?」
きつく握りしめた右拳が熱くなる。
「とめろ」
「え?」
「まだ生きていたいやつらを巻き込むのは違うだろ」
「そう。か」
ミヤは寂しそうにうつ向いた。
「マクラは正義の味方なのか」
「俺は困ってるヤツの味方だ。お前が困ってるのなら助ける。だから間違った方法は止める。それだけだ」
「嘘つき」
言葉につまる。
「いままでずっと我慢してきた。我慢して我慢して自分を守るために誰にも会わないよう部屋にこもって……でもさ。それはズルいよ。ズルいズルいズルいズルいズルいスゴいズルいズルい……」
銀色の髪の少女は今にも泣き出しそうだった。
「僕のことを忘れて祭りを楽しむなんて納得いかないし、竹の花は枯れてしまった」
「見返すなら別の手段を取れ。命を奪ったらそれでおしまいじゃないか」
「人形の僕には見返したいという感情はない。あるのはただ嫉妬だけ。嫉み妬み疎ましい。隣の芝生に除草剤を撒いてやる」
「くだらない。欲に縛られてるお前はそれだけですごく人間くさいよ。人形なんかじゃありえない」
「……マクラは僕を否定するんだね」
「否定じゃなくて、俺は……」
俺の言葉は最後まで彼女の耳に届くことはなかった。
ミヤはふわりと浮かぶように跳躍すると、トンと軽い音をたてて屋上の手すりの上に着地した。冷たい秋の風が吹く。
「おい、なにしてんだ」
「誰にも理解されない。ありのままを受け入れられないなら、放っておいて」
「降りろ、バカ。危ないだろ」
「ああ、神様。みんなが毎日笑顔で暮らせますように」
ミヤはそのまま誰かを見送るような優しい瞳のまま背後に倒れた。
当然、落下する。
落ちる落ちる落ちる落ちる。垂直に真っ直ぐにただひたすら加速しながら少女の肢体は赤い花を咲かそうと地面目指してまっ逆さまだ。
「のっ……!」
俺は慌てて、手刷りの向こうに手を伸ばし、叫んだ。
「突風!」
間に合ってくれ。