続 日常生活を侵食する暗殺者たちの行動 2
二月十四日はなんの日か。
正解はバレンタインデー。
女性が愛する人にチョコレートを渡す日。
起源は聖ウァレンティヌスとかいう司祭が恋愛が禁止されていた兵士の婚姻を取り持って、それがバレて処刑された日だから。
諸説あるけど大体そんな感じ。
製菓業界の陰謀に舌打ちが止まらない、
と強がっていた俺にカノジョが出来たのは二月十三日の誕生日だった。
フローレンス・メリタが現状を伝えてくれたのは、その一ヶ月後、三月も終わりに近い日だった。
ひとまずコタツに戻って作戦を練る。
「暗殺者……」
「……」
「大変なことになりましたわ」
「離れろ」
「良いじゃないですか。長期休暇になって一日中いちゃいちゃできるんですから」
「……キャラ変わりすぎだろ」
「むふふー。マクラさんのゴツゴツした背中、大好きー」
俺の背中に頬をスリスリしながら、サキは微塵も緊迫感をもたない声音で言った。
「あのさぁ、結構現状ヤバイんだぞ。わかってんのか?」
「仕方ないのです、力あるものは命を狙われるものですから」
「魔法使いと武道家は強いんだって、パーティでの戦闘要員二人だからな」
「大丈夫ですわ」
背中でくぐもっていた声が離れて、サキは正面から俺を見つめた。
「マクラさんが守ってくださるもの」
単純な言葉に赤くなる。
「改めてよろしくお願いします」
「お、おお」
鳶色の瞳がユックリと細くなる。
日向で眠る猫のような瞳に、なにをしてでも守り抜こうと決めた。
「送っていく」
レンタルショップで借りた映画も観終わり、気づけば夕暮れを迎えていた。
暗くなってきた帰り道、一人で帰宅させるわけにも行かない。
「ありがとうございます」
二人連れだって歩き出す。
吐き出す息はまだ白く、澄んだ空気に肌寒い三月の黄昏。
いつもなら駅で別れるところだけど、命が狙われている今は、電車に乗って近所まで送り届けることにした。
「ワタクシ、こうして隣にいるだけでいいのです」
ホームに到着した電車のドアが開いて、吸い込まれるように乗車する。
「俺もだよ」
車窓から流れる黄昏色の景色は、春を美しく彩っていた。
「四年後……魔界に帰ると決まっていても寂しくないんです。この一瞬一瞬が、宝物だから」
「頼むからくさい台詞やめてくれ……ガキじゃねぇんだから」
「十八歳です。いまがキャリアハイです」
柔らかい座席に隣同士で座る。ガタガタと電車が揺れる。
「えへへへへへへ」
サキは心底嬉しそうに俺の肩に自分の側頭部を預けて笑った。
平和ボケもいいところだ。
降車した駅は彼女の最寄り駅だ。
「こちらで十分ですわ」
「いや、そうもいかない。家の前まで送っていく」
「心配なさらなくてもワタクシ結構強いんです。魔王ですからね。最強です」
「まあ、そう言うな」
「うふふふ、マクラさん、さては長くワタクシと一緒に居たいというわけですね!」
「ご想像にお任せするよ」
照れ隠しに鼻の頭をかく。
「うひっ」
「気色悪い笑い方すんなよ」
少なからず、俺はかつて旅をしたメンバーのことを知っているので、レベル差くらい理解している。
一緒に裏ダンジョンまで潜った仲間だ。いかに魔王の娘といえど無傷で返り討ちにすることは難しいだろう。
駅を離れ、しばらく行くと川沿いの桜並木に出た。
満開の下で、右手が彼女の左手に触れた。
かすかに甘い香りがした。
「ひゃあ!」
そのまま手を繋ごうとしたら、叫ばれた。
「や、や、やめてください! セクハラですよ」
「基準がわかんないんだが」
「自分のペースじゃないと緊張で死んでしまいます!」
「そ、そうか」
ちなみに付き合い初めて一ヶ月が経つが未だに手すら握らせてくれない。その先なんて持っての他だ。
さんざんスキンシップを取ってくるくせに、ワンステップ進ませてくれない。生殺しにしたいのか、この女は。
「手を繋ぐのは無理ですけど、袖を握らせてください」
「……構わんよ」
さっきまで背中に引っ付いてくせによくわからん貞操観念だ。
袖をちょこんと摘ままれて、桜並木のトンネルを歩く。
「綺麗ですわ。あちらの世界にはない美しい光景です」
瞳をピンクに輝かせてサキは言った。
桜並木も終わりに近づいてきた頃、サキは満面の笑みでこちらを振り向いた。
「マクラさん、コチラで結構です」
「ん?」
もう家が近いのだろう。
桜がヒラヒラとクルクルと、いつか見た雪みたいに落ちていく。
「そこに、立っていてください」
「お、おお?」
思いっきり抱き締められた。
「むぎゅーうー」
効果音を呟きながらサキは笑みを浮かべた。
「えへへへへへ、ワタクシ、いまスゴく幸せです」
服を通して柔らかな感触が俺の胸に広がる。
あり得ないほどの多幸感。全部どうでもよくなるような、中毒性。
少女のつむじを見下ろすほどに、俺はダメになっていく。
自分のペースじゃないとダメだって言ってたけど、どだい無理な相談だ。
ユックリと彼女の背中に手を回した。
桜吹雪が無規則に降り続けている。
「誰もいないから、特別です。名前を呼んでください……本当の……わたくしの名前」
「ニフチェリカ……」
「んふっ」
笑いがちっとも圧し殺せていない。
ああもう勇者とか魔王とか将来とかどうでもいいや。
いまが、いいなら、それで。
感情が溶けていく。
「突風」
微かな詠唱とともに凝縮された空気の塊がこちらに向かって飛んできていた。
「く!」
「きゃあああ!」
小柄なサキを押し倒し、謎の魔法をすんでのところでかわす。
桜の枝を裂いて、風魔法は夜空に消えた。
「くそ、誰だ!」
「ひゃあああー! ヘンタイヘンタイ! いきなり!? いきなりですか! やめてッ!」
「落ち着けサキ、敵だ! くっ」
上半身を起き上がらせて周囲に目を配る。サキは俺の胸と地面との間でバタバタと暴れているがフォローをしている暇はない。
「見つけた!」
土手を抜けた先は人通りの少ない三叉路だ。カーブミラーの下に人影があるのを見つけた。土魔法を発動し、脚力を強化する。
地面を蹴る度、花びらがはねあがった。
「ヤリにげ!?」
なんもやってねぇわ! と、心のなかで突っ込みながら、一気に目標との距離を縮める。
「なっ!」
帽子を目深に被った知らない男だった。
「オラッ!」
勢いそのままで飛び上がり、空中で蹴りを浴びせる。
「おぐっ!」
男は茂みに吹っ飛び、倒れた。他人の庭との境の生け垣だ。バキバキと枝が折れる音が響く。
反動によろつきながらも、空中で体勢を整え、なんとか着地した。
夜気と春風が昂る俺の脳を冷やした。
「てめぇは何者だ」
「……」
「答えたくないってか」
男は無言で右手のナイフを光らせた。装飾から見て間違いなくアチラの世界の住人だ。
それを認めると同時に右手で押さえつけた。
「なっ、なんて早さだッ……」
無口な男の呟きに、肉体強化呪文を唱えているんだから、当たり前だろ、とは言わなかった。わざわざ手の内を明かすはずかない。
くんずほぐれつ。
「何しに来やがった」
茂みに押さえつけ、抵抗する気を削ぐような力で脅しをかける。
「ぐっつ……邪魔をするな」
「うるせぇよ。関係ねぇんだよ」
地面に押さえつける。
「小型なんちゃらマシンを出しな。壊してやるからよ」
「き、きさま、なぜ、それを」
「命まではとらない。さっさと降参……」
ガサリ、と背後で音がした。
「あ?」
「ま、マクラさん、まさか……」
サキだった。紫がかった黒髪に、桜の花びらがいくつもついている。
唇を震わせ、俺が押さえつけている男を指差す。
「あ、あぁ。こいつが暗殺者の……」
「ホモでしたのね!」
「あぁ、ほ、……は?」
夕闇が町を包み込む。
「酷いですわ! わたくしの純情を弄んだのですね!?」
「ち、ちがう!」
「もうやだぁ、別れるぅー!」
「は?」
「わぁぁぁぁぁぁぁああん。あんまりですぅぅぅぅぅう!」
泣き叫びながら走り去っていくサキ。
言い訳もさせてくれないし、どう見ても誤解だというのに、あいつはバカか。
「……」
呆然と取り残される俺と暗殺者の男。
もう、わけわかんねぇな。
「あ、えーと」
別れを告げられ、凍りつく俺の下で冷や汗を流す男。
「ど、どんまい」
うるせぇ、殺すぞ。
宝石を破壊したら、緑色の光を放ち、男は向こうの世界へ強制送還された。なるほどこいつは便利な代物だ。
案外いい人だったのかもしれないが、タイミングが悪すぎた。




