続 日常生活を侵食する暗殺者たちの行動 1
蛇足かもしれませんが、一つの続きだとと思っていただければと思います。
中卒労働者として派遣業務に携わり一年、この度、契約満了にともない高認を受けることした。
正直、環境の変化はかなり恐い。
ぬるま湯に浸かり続け、劣等感の固まりになった俺が、新しい一歩を踏み出すのは容易いことではないだろう。
でも、家族は後押しをしてくれると言うし、なによりも、
「春は新しいことに挑戦する季節だしな」
なんて心にもないことを嘯いたら、目の前の少女に、にっこりと微笑まれた。
「これでワタクシの後輩になれますわね!」
お前は女子大だろ。
淹れたてのコーヒーの香りに、舞い散る桜の花びらの影。
温かな風が吹く春だった。花粉にさえ目をつむれば、一番過ごしやすい季節だろう。
何でもないのに浮かれている世間とは裏腹に、去年の今ごろは将来にたいして絶望しかなかった。
現状は当時と比較しても、良くなったとは言いがたい。むしろ年月をひとつ積み重ねたぶん、最悪に近づいたのかもしれない。
「過度な期待はするなよ」
彼女の淹れてくれたコーヒーに口をつける。
苦味が眠気を覚ましてくれる。
「ワタクシも応援しますわ。ちょっと前まで現役でしたから!」
それでも、青村紗希が側にいるだけで、今を変えようとする気概が生まれるのだ。
別に特別なことなんて無い。いつも通りの日常だ。
失いかけた希望が帰ってきたように、もう一度、やり直そうと思っただけだ。
「俺は高三中退だから受験科目は少ないけど、やっぱり難しいからな。落ちるかも知れねぇし、あんまり言いふらすなよ」
「大丈夫ですよ!」
根拠のない励ましに苦笑する。
家賃六万のアパートで、いつものやり取りをいつものようにやってたら、玄関チャイムが空気を割くように響いた。
「誰でしょう」
我が物顔で立ち上がる少女。
「おい待て、妹だったらどうする、戻れ」
「なんでですか?」
「……気まずいだろ。座ってろ。たぶん同僚がミカン送ってくれるって言ってたからそれだ」
「ミカンですかー。みかんーみかんー」
上機嫌に即興曲を披露するサキをコタツに残し来客の対応をするために立ち上がった。
三月も終わりに近いある晴れた日。
のどかな午後の一幕だ。
少しクサイことを言わせてもらうと、俺は幸せだった。
「やあ、マクラ」
見知った背景と懐かしい顔。静寂のように澄んだ瞳が、ギョロリと俺を睨み付けた。
「なっ……」
「久しぶりだな」
そこに立っていたのは、いるはずのない人物。
栗毛色の長い髪、つり目がちの瞳。
「なんで、お前……」
フローレンス・メリタ。
発明家として活躍した、もと魔王討伐軍のメンバーだ。
「やぁ、ずいぶんと小さい家に住んでるんだな。まるでドワーフの住み処みたいだ」
向こうの世界の人間だ。親戚が新幹線とか飛行機で来るのとはわけが違う。次元を隔てた繋がりが、目の前にいるのだ。
アパート前に植わっている桜が花びらを散らし、春の終わりを告げていた。
「なんでここにいるんだよ」
辛うじて平静を整え、震える声を誤魔化しながら聞いた。何となく嫌な予感がした。
「不躾だな。久しぶりに会ったんだ。挨拶くらい真面目にやろうぜ。説明をしておこうと思ってわざわざ来てやったんだ」
「なにが」
「魔王の娘がコチラの世界に来ている」
「!」
数メートル後ろでお茶を飲んでる。
「そ、そうなのかー」
声が乾いた喉に貼り付いて、上擦ってしまった。
「災厄にして最悪の魔王、エルキング・マーメルトに娘が居たんだ。ヤツの娘、強大な魔力を持つに違いない」
「いやぁ、まぁ、それはどうだろうな」
ぶっちゃけ中の上って感じ。
「サウレフト皇国は大パニックさ。数ヵ月前、突如として現れた魔王の娘は臣下を率いて、人間界に講和条約を突きつけたんだ」
「王が素直に条約にサインするとは思えないんだが……」
「さすがにアレだけの数のモンスターがいきなり来たら誰だってビビるさ。七十二柱だぞ」
「すさまじいな」
「先の大戦で疲弊していた人間界にアレだけの軍団の対応ができるはずがない。和平になったのは幸運だったともいえる」
「誰も争いなんて望んでないってことじゃねぇのか?」
「それは違うな」
「は?」
「改めて私がここに来た理由を教えてやる」
柔らかい陽光に目が眩みそうになる。
「私の任務は魔王の娘、いや、現魔王、ニフチェリカ・マーメルトの暗殺だよ」
あんさつ?
教科書でしか見たことのない文字が宙ぶらりんになって俺の視界を漂った。
「それはまたなんつぅか……」
言葉につまり、震えが止まらなかった。
春の花の匂いに気分が悪くなった。
「穏やかじゃねぇな……」
人間界がサキを疎ましく感じていることくらい気づいていた。だからこそ、彼女がこちらの世界に来て安堵していたのだ。
だが、まさか、暗殺者を送り込んでくるとは。
「頭を潰せば統率の取れない軍団は分裂する。魔王のスキル、群衆掌握だそうだ。十の突出した力より、統率の取れた軍団のほうが恐ろしいんだよ」
かつて救った人類は、また魔族との争いを望んでいるのか。
下らない。
「魔王暗殺により講和条約を白紙に戻すことが目的だ。混乱に乗じて魔界という豊満な領土を手に入れるつもりらしいぞ」
ヘドの出る目的なんてどうでもいい。
「それで、その、魔王の娘の場所は把握してるのか?」
「異次元、つまりこの世界だな、ここにいる、ということくらいしか情報はない」
「そうか」
少しだけ安心する。
「選抜された魔王暗殺チームは宮廷魔術師の魔法で魔王が滞在しているとおぼしき次元に転送されたんだ。予想通りマクラの故郷だったがな」
「あ、ああ、すごい偶然だな」
「ふふっ」
フローレンスの失笑に、若干の苛立ちを覚える。
「なんだよ」
「下手な演技はよせ。察しはついてる」
フローレンスの放った殺気に一瞬全身がこわばった。
「どういう、意味だ?」
「言葉通りの意味だよ。ユウシャサマ」
カマをかけるような目線に俺は息を飲んでしまった。
「言ってる意味が、」
「マクラさん。どちらさまですかー」
サキだ。玄関での応対が長い俺に痺れを切らせて、声を弾ませながらこちらに歩み寄って来ていた。
ツララを入れられたような悪寒が走る。
「バカ、来るなっ!」
「え?」
玄関先で戦闘が始まろうとしていた。
「やめろ!」
慌ててサキの壁になる。
フローレンスは光線銃を突きつけている。
「魔王の娘、ニフチェリカ・マーメルト……大罪持ちのS級モンスター。ふぅん、写真で見るより可愛い顔してるんだな。さぞシンパも集まりやすいだろ」
「え、え?」
まるで映画のワンシーンのようだった。
「フロー、銃を下げろ!」
フローレンス・メリタ。
使用武器は自らが開発した強力な光線銃。ファンタジー世界の秩序を乱し、世界観を混沌とさせた張本人。
「マクラ。わかっているのか」
フローレンスは銃口をサキに向けたまま、口を開いた。
「その女は私たちの怨敵、エルキング・マーメルトの息女、ニフチェリカ・マーメルトだ。つまり魔王の娘!」
「いいや、違うな」
「違う? なにが」
「こいつは魔王じゃない。俺のカノジョだ」
「……は?」
フローレンスの硬直を見逃すはずがない。俺は握られていた光線銃を右足で思いっきり蹴りあげた。
「っあ」
弧を描いて桜の木の方に飛んでいく銃。
「落ち着けよ」
青空の向こうでアスファルトに銃が落ちる音が響いた。
「カノジョだなんて、キャー! 恥ずかしいですわ!」
「頼むから落ち着いてくれ」
俺の背中でデレデレと体をくねらせるサキにも同様の言葉を送ろう。
「……私は落ち着いてるよ。マクラの真意が聞きたかったんだ」
肩をすくめるフローレンス。
「真意もなにも争いはなにも生まない」
「そういうことじゃない」
綺麗事を鼻で笑って受けた。
「私だってバカじゃないさ。マクラが魔王の娘と繋がってることくらい感づいてた。なにせ私の家を訪ねたスライムとネクロマンサーが魔王軍のナンバーツー、スリーをやってるんだからな」
そういえば、そうだった。
フローレンスの家に転送機を借りに行ったとき、ユナとトモリが一緒だったんだ。
「だから私は暗殺というよりも興味で来たんだ。人間界の希望の星、勇者サワムラマクラが、首魁の娘ニフチェリカ・マーメルトに加担する意味をね」
「理解できたかよ?」
「ああ、私には理解できないということを理解したよ」
にらみ会う。
コイツとは一緒に釜の飯を食ったこともあった。
だが、
「サキを殺そうというなら、俺は全力で食い止める。手加減はしない」
俺の言葉で再び顔を真っ赤にして目元を押さえるサキ。緊迫した雰囲気を台無しにしていた。
「それでもいいなら、かかってこい」
「なぁんてな」
「は?」
「全力のマクラにインドアな私が勝てるわけないだろ。私個人の目的は魔王の暗殺なんかじゃないんだ」
「じゃあ、なんだ、お前の目的は?」
フローレンスはニタリと笑った。
「噂に名高い電脳都市アキハバラに行きたい」
「は?」
思考が停止する。アキハバラ?
秋葉原?
「ソウジキとスイハンキとデジタルカメラとネックマッサージャーが欲しいんだ」
「……それこそ俺には理解できない」
中国人観光客かよ。
「コチラの世界は科学分野が発展したと聞いてるからな」
根っからの科学者であるフローレンスは心底嬉しそうに微笑んでいる。
「楽しそうだな」
「ああ、すごく楽しいよ! あとはマクラが金を貸してくれたら完璧だ」
「断る」
親しい友人には金を貸すなと死んだお祖父ちゃんが言ってた。
「世知辛いな」
「そうだなぁ、よし、それなら金をやるから情報寄越せ」
「情報?」
「こっちに来た暗殺者の能力と人数を言え」
「ふふふ、いいだろう」
こいつのこういうとこ好き。
「特別だぞ。コチラの世界に来ている暗殺者は私を含めて五人。内二人はウェルシュ・ナルセルトラとアリス・ルーベンスだ。他は知らん」
「よりにもよってアイツらか……」
ウェルシュは武道家で近接戦闘の達人。
アリスはエルフ族の魔法使いだ。
一緒に旅した仲間だからこそ、敵に回したら厄介なことを知っている。
「大丈夫だと思うが命までは取るなよ。もし殺しでもしたらいくらいくらマクラといえど容赦はしない」
「当たり前だろ。もう俺は少年Aじゃないんだからな。一人でも殺してみろ。実名報道でお先真っ暗だぜ」
「こちらの法律の話か? まぁ、なんであろうと関係ない。ペンダントを壊せば強制送還だから」
「ん、どういう意味だ」
「これだ」
首からかけていたペンダントをつまんで見せた。お洒落に無頓着なフローレンスが装飾品を身に付けていたので、なにかあるとは思っていたが。
「こいつは私の発明品で魔力供給マシンという」
緑色でキラキラと輝き、エメラルドの宝石みたいだ。
「常々疑問には思っていたんだ。マクラを含む異世界人がなぜ強いか」
「それはほら俺が選ばれし……」
「答えは空気中の魔力濃度の違いにあった」
「……そっか……」
「ん?」
「いや、続けて」
「コチラの世界は自然魔力が少ない。薄い魔力で体が馴染んでいる異世界人は高濃度の魔力世界じゃ無双できるというわけだよ。もちろん得手不得手はあるけどな。しかしそれは裏返せばアチラの世界の人間がコチラに来た場合著しく弱体化することと同義だ。それを防ぐのがこれ、小型魔力供給マシン」
「もっと、かいつまんで説明してくれ」
「我々はこんな薄い魔力じゃまともなパフォーマンスを発揮できないから、このマシンで空気中の微弱魔力を凝縮してるんだ」
「何で、それを壊せば強制送還なんだよ」
「安全装置だよ。こいつがないと我々は魔力欠乏症になってしまう。モンスターと違って人類はひ弱だからね。コイツが破壊されるか一定以上のダメージを感知すると同時に狭域空間転移が発動するようにセットされてるんだ」
「便利だな」
「当たり前だろ。私が作ったんだから」
腹立つどや顔で説明が終わったと同時に、フローレンスは右手を俺に突き出した。
「ん?」
「金」
「あ、ああ」
俺は財布から五百円玉を取りだし手のひらに置いた。
「む。金貨か!」
「ああ。そいつは硬貨の最高金額だ。駄菓子なら買えないものはない」
「ほんとうか! いいのかマクラ、そんなにもらってしまって」
「ああ、構わない。今の情報にはそれだけの価値があった」
「なんといいやつなのだ! ありがとうマクラ!」
家電製品は何一つ買えないだろうがな。
上機嫌でアパートを去っていったフローレンスを見送り自室に戻る。
後ろでドアがバタンと閉まった。少し薄暗くなる玄関。
振り向くと頬をリンゴみたいに赤くしたサキと目があった。
「マクラさん」
「ん、なんだ?」
「ワタクシのことをお友だちに紹介してくれたのですね」
「友達っていうか、……まぁな」
「ムフフフフフフフフフフ」
「な、なんだ。気持ち悪いな」
「フフフフ、カノジョ。カノジョ。ワタクシは……フフ」
こわい。
「て、照れちゃいます、わ」
「そ、そうか」
バレンタインデーから、この女の平和ボケが止まんない。




