日没とモラトリアムの終わり 7
午前二時。起きている者は誰もいない。
ベッドから芋虫のように這い出て、ノソノソと外着に着替える。
気だるさを圧し殺し、暗闇の中で静かにため息を吐く。
テリナム・メドクーラから教えてもらった情報によると、異次元同士を繋いだゲートの開放時間は長くて翌日の昼までらしい。
外套に手を通し、聖剣と荷物を肩から背負う。
準備が整い、部屋のドアをそっと開ける。
冷えた空気が漂うホテルの廊下は静寂に支配されていた。
一つ一つのドアの前を通る度、そこで眠る人達の顔が脳裏によぎる。
お金と置き手紙を用意したとはいえ、恨まれても仕方ない。罪悪感を苛まれても、俺は自らの歩みを止めることはなかった。
エントランスは常に開放されている。
警備員の訝しむような視線を無視し、薄暗いロビーを抜ける。両開きの扉を押し開け、外に出ると、満天の星空が頭上に広がった。
自然崇拝の賜物だろう。数えきれない星の数に、なぜだか涙が出そうになった。
「何処に行くの、こんな遅くに」
ドキリとして、振り向くと、石壁に背中をもたれさせた少女が半目で俺の事を睨み付けていた。
「趣味が深夜徘徊なんだ」
「大荷物で? 聖剣まで持って」
「夜中のハイキングも悪くないだろ」
「嘘つき」
ユナは冷たく言い放つと、俺の右手首をかっぱらうように握りしめた。
「帰るつもりでしょ、日本に」
「……」
至近距離で輝く瞳の奥には、怒りとともに静かな悲しみが滲んでいる。
「まあ、な」
「誰にもなにも告げずに、逃げるみたいに帰るだなんて、……卑怯よ」
「俺の居場所はここじゃないからな」
「そんなの関係ないじゃない」
さらにギュッと強く手を握られる。
「ズルいわ。あの娘やトモリを裏切るのね。……アタシも……」
「そういうつもりじゃねぇよ。ただ、異分子が他国の情勢に口出しをするのはナンセンスだろ」
「異分子? 冗談でしょ。あなたはコチラに残るべき人材だわ。誰かを悲しませてまで我を押し通すのは、単なるエゴイズムよ」
繋がれた手から熱を感じる。
「転送機でザメツブルグに行く前、フローレンスから聞いたんだ」
「なにを……」
「魔王城の最奥に、地下ダンジョンが見つかったそうだ」
「……」
「魔族はまだ滅んでいない。ダンジョン内部には大量のモンスターの生息が確認されている」
瞳を伏せるユナ。他の留学生に比べて彼女には余裕があった。やはり知っていたらしい。
「皇国サウレフトと軍事国家ノースライトはそれぞれ使節団を編成し、近いうちにダンジョン攻略に乗り出すそうだ」
「人間は嫌いよ。底無しの貪欲さね。土地を奪うだけじゃ満足しないなんて」
「かつての仲間も国家戦略として、探索メンバーに加えられている。当然と言えば当然だが、元・勇者である俺にも参加要請が来ている」
「どうするの、マクラは」
「どうもしない」
「え?」
「罵られてもかまわない。だけど俺は見たくないんだ」
背中に背負った荷物がずっしりと重くなったような錯覚がした。
「サキと、かつて俺が救った人類が憎しみ合うところなんて……死んでも、見たくない」
「そんなの、無責任よ」
「なんとでも言ってくれ。倒すべき相手がわからないんだ、俺には」
「無責任よ、無責任……」
「だから、帰る。俺はどこにも加担しない。結果も知らないままでいい」
「臆病者!」
「わかってくれ。俺だって……」
握られた右手首がユナの体温を感じて熱くなる。
「心情的に、味方したい奴だっているよ。だけど、だけどさ、双方の苦悩も、知ってるからさ 」
勇者は勇気ある者と書く。
だけど、それはリスクを知らないからこそだ。
俺はたくさん知ってしまった。
もう、無邪気にはいられないのだ。
「惨めだけど、なにも出来ないんだ」
「それなら、こっちに……」
希望を感じさせる澄んだ両眼を輝かせ彼女は俺を見つめてきた。
「……」
俺は無言で繋がれた右手を掲げる。
「……ごめん、なさい……」
ユナは力無く俺の手を離した。うつ向いたまま、下唇を噛んで、何も言ってこない。
小さな涙の粒が石畳に丸い染みを作った。
「そうだ。一つ頼まれてくれないか」
「なによ」
「これ」
聖剣トモリを肩から外し、ユナに差し出す。
「ミヤに返しておいてくれないか」
意味がわからない、といったような感じで見られる。クリクリとボタンのような瞳が疑問に光る。
「聖剣は海底神殿にあったもんでな、手にいれるために、俺はたくさんのゴーレムを切ったんだ」
「そう、なの」
「だから、その剣はミヤのだ」
「必ず渡すわ」
しっかりとユナは俺の手から聖剣を受けとると、力強く頷いた。
俺たちの間に沈黙が落ちた。町は眠りに包まれている。寝息さえも聞こえない。切なくなるくらいの沈黙だ。
どうやら頃合いらしい。
「それじゃあ、そろそろ行くよ」
「マクラ、元気で」
するりと出た言葉は、皮肉屋のユナとは思えないくらい素直な言葉に聞こえた。
面食らってしまい一瞬だけ呆けてしまったが、やられっぱなしはしょうに合わない。
「やっぱりさ」
「なによ」
「お前って可愛い顔してると思うよ」
「バカ」
照れ笑いを浮かべたユナと別れ、俺は一人荒野を目指した。
異世界とを繋ぐゲートは魔王城の広い庭園の一角にあるらしい。
次元爆弾によって三年周期のタイムスケジュールが狂わせられたので、次に開放されるのはいつになるかわからないとのことだ。
荒野の星空が暁光に飲み込まれていく。
目的地にたどり着いたとき、時刻すでに明け方を迎えていた。
白ずむ東の空を背景に門と呼ぶにふさわしい扉に手をかけた。
目が眩むような目映い光に包まれる。
穏やかな越境中、ずっとサキのことを考えていた。
どうか、幸せになってほしい。
彼女の幸福を見届けられない、それだけが、こちらの世界の心残りだ。
日本に戻ってきたとき、まだ空は黒く、時間的には夜だった。
「見えねぇな……星」
破壊されたオブジェクトの周りには立ち入り禁止のテープが張られ、隔絶とした世界を明確にしていた。瓦礫が散らばる芝生の上で、おぼろ気な月を見上げ、彼女に負けないくらい精一杯、生きようと思った。




