日没とモラトリアムの終わり 3
耳たぶが熱くなるような集中が途切れ、汗ばんだ肌が夜風に冷やされていく。
「サキには二度と手を出すなよ」
「約束だからね」
払い落としたカルックスの赤い血液が、荒野の渇いた地面に染み込んでいく。
勝ったのだ。
予定調和のように挑戦者をぶちのめし、歌でも唄いたくなるようないい気分だ。……いい気分になるはずなのに。
なんなんだろうか。
この引っ掛かるような後味の悪さは。
「理解できたのなら、さっさとミヤとユナを解放しろ」
「……」
「おい」
荒野に響く唸り声。
いくら凍らせたとはいえ、尻尾を切断されたばかりだから当たり前といえば当たり前である。
テリヤムは俺に声をかけられても返事をすることはなかった。ドラゴンの呼吸音が大きくて聞こえないのだろうか。
「おい!」
もう一度、声を荒らげる。テリヤムはなにも答えず、俺の背後でのたうち回るカルックスを心配そうに見ていた。
「普通に、殺そうとするのですね」
「は?」
いつの間にか側に立ったサキが、子供を宥めるような優しい声で聞いてきた。
「マクラさんは人を殺すことに躊躇いがないのでしょうか」
散り散りに浮かぶ星空が彼女の寂しさを装飾していた。
「それとも……ワタクシたちは別の生き物だから……」
「仕方ないだろ」
「仕方ない? そんな言葉で片付けていい命なんてありませんわ」
「……っ」
「誰かを殺すということは、誰かに殺されるということです」
「……うるさい」
「そんな悪循環にマクラさんが陥るのなんて、見たく……」
「黙れよ!!!」
思わず怒鳴ってしまった。
後悔したがもう遅い。滑り出した言葉が、止まることはなかった。
「どいつもこいつも好き勝手言いやがって! 俺だって好きで殺してるんじゃねぇよ! 社会を守るために仕方なく殺ってんだよ! それなのに、終わったとたん異常者を見るような眼で見やがって、ふざけんじゃねぇぞ!」
サキは鳶色の瞳を悲しげに滲ませた。苛立ちは、収まらない。
「嫌なことばっか押し付けて、成し遂げた栄光すら批難されて! 安穏とした生活すら邪魔されて、結局おれはどうすりゃいいんだよ! 俺はよ……」
昂る脳みそとは裏腹に冷静な精神が冷ややかに現状を俯瞰する。
バカらしい。こんなところで感情的になってダサいったらありゃしない。
これでこいつとの関係もおしまいだな。
「勇者なんて、いない方が良かったんじゃないのか?」
寒かった。
こちらの世界は秋だが、俺の世界は冬だった。クリスマスも終わって、もうすぐ年の瀬だ。
にもかかわらず、俺はいつまでも囚われている。
「マクラさん」
「……悪い。少しイライラしてるんだ」
冷えて当たり前だ。
「マクラさん」
駆け寄って、
抱き締められた。
ギュッと。
サキに。
思いっきり、それでいて、優しく。
暖められた。
「マクラさんはマクラさんですわ」
柔らかな感触と温もりが、痛む頭を癒してくれる。
「……なにが?」
「マクラさんは勇者ではありません」
「勇者だよ……不本意だけど」
「マクラさんはマクラさんです。マクラさんの名前は勇者じゃありません」
「……」
「勇者という責務に押し潰されないでください。ワタクシはリアリストだけど、優しくて、カッコいいマクラさんを知っています」
後半は涙声で掠れていたが、それでもしっかりと、俺の胸に響いた。
「誰にでも辛いことはあります。だけど、過去は関係ありません。マクラさんのこれまで、が、どうであろうと、ワタクシはこれからのマクラさんにしか興味ありませんもの」
詭弁だ。
わかりきっている。
信用には値しない。耳障りの良い言葉を並べているだけだ。
だけど、
「……」
悔しそうに下唇を噛むサキを見ていると、なんだが、全部ばからしくなった。
「ああ、ありがとう」
無意識のうちにお礼が口をついていた。
誰かに言ってもらいたかったセリフをまさか魔王の娘から聞くことになるなんて、思いもしなかった。
そっとサキを引き剥がし、彼女の頬を濡らす涙の粒を人差し指ですくってあげる。
「さっきのは、弾みだ」
「え?」
「最初から、殺す気なんてないよ」
「それって……」
「トモリ、いや、テリヤムか。さっさとカルックスの傷を治してやれ」
相も変わらず叫び声が響いている。そのうち巡視兵が来そうだ。
「気づいていたのかい?」
「さっさとやれよ」
「ふぅん」
テリヤムは得たいの知れない笑みを浮かべながら、横たわるカルックス・モートレードまで歩くと静かに右手を水平に掲げた。
「復旧!」
いつか見た逆行魔法だ。
ビデオの巻き戻しのように転がったドラゴンの尻尾が、呪文を合図に浮かび上がると、赤々とした切断面にピッタリ収まった。繋ぎ目がわからないほど綺麗にくっついている。
「相変わらず便利な魔法だな。こんど教えてくれ」
「これは血筋に宿る遺伝魔法だから無理だよ。特殊な環境下で選ばれしものしか使えない」
「遺伝魔法? そんなもんがあるのか。はじめて聞いたな」
「うん。今じゃ一族で使えるのは僕とトモリちゃんくらいだ」
「え、親戚?」
「彼女の母型のほうのね。吸血鬼は亜人族だけと、アンテッドに近いから」
「と、いうことは……」
サキはトモリの腹違いの妹だ。
「お、おにいちゃん……?」
サキの呟きをテリヤムは物凄いエロい笑顔を浮かべた。いまだに色欲に支配されてんじゃねぇか。




