日没とモラトリアムの終わり 2
黒い竜がいた。
我が目を疑うが現実は確かに眼前にある。
カルックス・モートレードは
人の形を失い、代わりにドラゴンが現れたのだ。
「冗談だろ……?」
澄んだ空気にメキメキと骨を軋ませ、地面に落ちる影を膨張させていく。
巨漢の男はもはやいない。纏っていた学ランが秋風にさらわれていった。
「か、かっこいい……」
さっきからサキはそればかりだ。
コウモリのような翼。
トカゲのような外観。
ヤギのように尖る角
魚の鱗のような皮膚。
ライオンのような牙。
まがうことなく伝説上の生き物だ。
「ちょっとそれは……、フェアじゃなくね?」
「マクラさん、グダグダうるさいです」
「いや、でかすぎだろ。ずるいぞ」
「擬態をやめて戻っただけですわ」
「ボクシングや柔道だって背格好合わせるのに……」
「本当に強いものは体格にも恵まれるもの、なのですよ」
「俺の身長のことを言っているのならキレるぞ、ぺちゃぱい」
「むむむ!」
肩パンされた。痛い。
とはいえ、ナウマンゾウほどの化け物相手に悠長に構えている暇はない。
「本来の姿のカルックスは誰よりも強い」
テリヤム・メドクーラが呟いた。
さきほどの戦いで若干呼吸が乱れている。
「憤怒のスキルにより理性のタガが外れ、破壊衝動が強化されている。大戦での敗因のひとつが彼を留学によこしていたことさ」
吸血鬼の呟きを受け、俺は浅く息をはいた。
「ドラゴンと戦うのは初めてだが、勝てるか勝てないかはやってみなきゃわかんないだろ」
右手で柄をしっかり握り、底を左手で支えて構える。
「かかってこい!」
「グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッッ!!!!」
「帰ろっと」
咆哮。
月が振動で落ちてくるんじゃないかと思うほどの大気の乱れ。
「見たいテレビがあるんで、じゃ!」
ビリビリと痺れる体を反転させる。
「敵前逃亡はだらしないですわっ!」
「いや、まて、ちょっと予想外だろ。日本だったら機動隊レベルだぞ!」
サキが居なければ脇目もふらず逃げるところだ。袖を引き、彼女は真剣な眼差しで見つめてきた。
「勝つか負けるか、生きるか死ぬか、ワタクシの命運はマクラさんに託したのですよ! そんな易々と放り投げるならはじめから背負わないでください」
「う、うっ、うん。そ、そうだな」
くそ、ごもっとも過ぎて、ぐうの音もでねぇ。
そりゃあ、かつての旅の仲間がいれば余裕だろう。
魔法使いが遠距離攻撃をし、粉塵に紛れて武道家と剣士が攻め、賢者によって強化された犬と俺がトドメをさす。完璧なプランだ。負ける気がしない。
でもいまは一人。
仲間を大切にする勇者が皮肉なもんだ。
「そうだよな」
けど、それでも、
「逃げるのはやめだ」
サキが無言で俺を見つめた。
「やるぞ」
ベルトに引っ掻けた鞘から、聖剣トモリを再度抜き、秋風に晒す。
「下がっていろ、ニフチェリカ。……ここから先はギャグは一切ナシだ」
何事もなければ静かな夜だ。風の音だけが鼓膜に響く。
「マクラさん、ワタクシの本名、言えるようになったのですね」
なぜ赤くなったニフチェリカよ。「サキよ先に下がっていろ」という日本語表現を使いたくなかっただけなのに照れすぎだろ。彼女は顔を両手で隠しながら、パタパタと駆けていった。
荒野に乾いた風が吹き、西部劇でよくある丸い草がコロコロ転がっていく。
とうでもいいが、この草は回転草といい、茎が枯れると転がって、種子を遠くへ運ぶのだ。気になって一回調べたことがあ、
「グォオオオオオオ!」
「あぶなっ!」
火を吹かれた。
草は一瞬にして焼ききれ、爆音とともに消し炭になった。
辛うじて身をかわしたが、数秒前までいた位置は黒こげだ。まともに食らえばひとたまりもない。
「岩窟王!」
出し惜しみをしていては、死んでしまう。
土の最上位強化呪文で身体能力をギリギリまで高め火炎攻撃をかわす。
「カルックス・モートレードは土と火の二属性を持つニーズヘッグさ」
気だるそうに転送機にもたれるテリヤムが言った。
「戦闘の天才といわれた所以はドラゴンブレスの多彩な使い方にある。敵を見失う可能性が高い火炎放射と違い、短く切って吹き掛ける連続火弾は非常に使い勝手がいい」
「なぜそれを、俺に言う」
「彼は武人だからね。公平なバトルがお好みなんだ。僕らだけが勇者の情報を知っているのはフェアじゃない」
「俺の情報だと? はっ、せいぜい年齢と名前くらいだろうが」
「サワムラマクラ、十九歳、二月十三日生まれ。趣味は走る電車の窓の外に忍者をイメージして並走させること。四大精霊を従え、魔王を討伐した張本人。初恋は八歳のときクラスメートのミヨちゃん、好みタイプは巨乳のおねぇさん、最近少しエスエムに興味がある」
「やめて! 解説は戦況だけにして!」
火弾を避けるので手一杯で周囲を見渡す余裕はないが、サキの冷たい視線を背中に感じる。
くそ、
「さぁ、もっと頑張りなよ。小学校の頃、いつもドッチボールで最後まで残ってたんだろ?」
「それ以上俺の個人情報をばらまいたら容赦しないぞ!」
「ふふ、怖いね」
それに、ドッチボールは避けるだけじゃ勝てない。このままじゃ、じり貧だ。
仕掛けるか。
一気に駆け出す。
最大強化スピードで、右へ左へ翻弄しながら進む俺を捉えることは、生半可ではないだろう。
コンマ数秒で接近に成功し、流れるスピードに任せて、抜刀した状態の聖剣をテリヤムの右足に振りかざした。
カギン!
およそ生身の肉体を切ったとは思えない音が響き、ついで腕の痺れを感じた。
「くっ!」
切断はうまくいかなかった。弾かれたのだ。
予想外である。いままで聖剣で切れなかったモノはないというのに。
「ドラゴン族の全身は鱗に覆われている。特に尻尾の硬度はオリハルコン並みだ。いかに聖剣といえど、動きながらの集中に欠けた攻撃では傷ひとつつけることはできない」
ご親切に解説してくれた吸血鬼に軽く憎しみを覚えながら、お言葉通り集中を整えてから、再度切りつけた。
「ぐっ!」
瞬きすら間に合わない一瞬の衝撃。
吸血鬼の嘲笑を掠れる意識のはじっこで聞いた。
俺が集中のために動きを止めれば、当然相手は動き出す。
仕掛けた攻撃は空しくも、カルックス・モートレードの尻尾に弾かれた。
自らを守るために反射で突き立てた聖剣の腹は、モロに一撃をうけ、粉々に砕け散ってしまった。
冗談きつい。
バトル開始早々聖剣が砕けちまったのだ。
キラキラと粒子をまくように破片が夜空にばらまかれた。
なんて固さだ。
真っ二つに折れた聖剣に未練はない。鞘に戻し、距離をとって、改めてカルックス・モートレードを観察する。
ドラゴン。
全身が鱗に覆われている。あれがある限り俺の攻撃はまともに通らない。
「しかたねぇな」
耳の奥で血流のような魔力の移動音を聞く。
靴底に土魔法と火炎魔法を纏わせ、右足で力強く足踏みをする。
「活火山!」
地面に赤い線が光り、対象であるカルックス・モートレードの下で大きな爆発を起こした。
「すさまじい……」
テリヤムの呟きを爆音の隙間で聞こえた気がした。
土と火の合体魔法だ。
「グォオオオオオオオオオオ!」
カルックスは地面の爆発を受け、雄叫びをあげて、浮き上がった。
足裏や腹には鱗がない、という読みは当たったようだ。
魔力消費はバカにならないが、この調子で遠くから魔法を唱えていれば、戦いを優位に進めることができそうだ。
と、思った俺の考えはまだ未熟だったらしい。
カルックスが攻撃に苦しみの声をあげていたの数秒だった。
「な!」
即刻体制を整えると、信じれないスピードで体当たりを仕掛けてきた。
「く、そっ!」
魔法発動の反動でうまく体が動かせず、それを真正面から受けてしまう。
肉体強化呪文を唱えていなければ大ダメージを食らっていただろう。
「く」
踵で ブレーキを踏んだ箇所が粉塵とともに線になる。
慌てて体制を建て直し、俺に一撃を食らわせ、満足げに体を反転させるドラゴンに狙いを定める。
「甘いな……」
ひとつ奴の弱点をあげるとするのなら、攻撃と攻撃の空き時間が長いことだ。
あれだけの巨体、ひとつのモーションの繋ぎ目が深くなってしまうの仕方ないだろう。
「風!」
足裏に風魔法を発現させ、空中での移動をできるだけスムーズに、かつスピーディーに行う。
奴の頭に向けて飛翔した俺はありったけの魔力を右手に込め、手のひらをカルックスのは額に押し当てた。
「大氷結!」
触れた鱗に唱えた呪文は水の最上位呪文であり、直接触れることによって、威力が倍加する大魔法の一つだ。人間形態のとき、ユナによって動きを封じられていたし、ドラゴンにとって有効な手段だということは知っていた。
全身に霜がおり、身動き一つとれなくなったらしい。頭部に着地する。
「君はやはり強いな」
テリヤムが至って平穏な語調で口を開いた。
「運が良いだけだ」
見下すようにして、カルックスの頭部に手のひらを向ける。
「はあ勝敗は決したぞ。大人しくミヤとユナを解放して俺たちの目の前からとく失せろ」
「それはできないよ」
「トドメをさしてもいいんだな?」
「おいおい、勘違いしないでくれ。決着はまだ、ついていないということだよ」
「なに?」
漫画みたいなギョロという音が聞こえた気がした。カルックス・モートレードの右目が薄氷の下で動いたのだ。
「バカな。四肢と関節をすべて凍らせたんだぞ。こんなに早く動けるようになるわけが……」
水蒸気がものすごい勢いで立ち込めはじめていた。
どういう理論か不明だが、カルックスの体表は通常では考えられない温度に上がっているらしい。
「グガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
雄叫びと同時に氷がバキバキに割れ、俺は振り落とされた。
万有引力はどんな世界でも有効らしい。ニュートンのリンゴみたいにまっ逆さまだ。
ミヤのときと同じように風魔法で着地すれば頭からの落下はなんとか防ぐことができるだろう。
そんな算段を空中でたてていた俺の視線の先には、落下予想地点に向かって、音速でしなるカルックス・モートレードの尻尾だった。
どうやら野球ボールが如く俺を打ち付けるつもりらしい。
柄に手を触れる。
「大旋風!!」
引き抜くと同時に風の最上位呪文を唱える。
着地の衝撃を和らげるのはもちろんだが、これは単純に反撃だ。
抜刀した刀身の先はちゃんとある。
聖剣は折れても削れても直ぐに再生するのだ。神代の武器として付加された特殊能力の一つが、無の女神による祝福だった。
鞘に納めれば、刀剣が受けた傷や折れは瞬く間にもとに戻るのだ。さすがに真っ二つに折れたことはなかったので密かに心配していてが、思っていたとおり、元通りになっていた。
「な、ばかな!」
テリヤムの叫び声が荒野響いた。
「グォオオオオオオ!!!!」
風で居合いのスピードを極限まで高めたのだ。体裁きも軌道も完璧だった。
通常ならありえないほどの抜刀速度により、カルックスの尻尾の切断を可能にした。
着地もスムーズに終わり、傷口を凍らせて止血してやる。
絶え間なく響く悲鳴。
まあ、凍らせたところで痛みが引くとは思えない。
荒野に転がるドラゴンの尻尾。バランスがとれなくなったらしい。カルックス・モートレードの巨体はグラリと揺れて、横向きに転倒した。
「さて」
再び元の重さになった聖剣を掲げ、苦悶に歪む眼球にむける。
「お別れだ」
鱗の無い眼球。一点集中の突きであれば脳を傷つけることができるだろう。
「ダメです!」
「あ……」
つい昔の癖でトドメをさそうとしていた自分に驚く。
サキの声で我に戻らなければ、息をするのと同じようにカルックスを殺していただろう。
「……」
「マクラさん……」
「……決着だ」
刃をふるって血を落としてから鞘にしまう。女神の祝福のおかげで、どんなに脂に汚れても、鞘にしまえばすぐに元の切れ味を取り戻した。
勇者としての勘が戻ると同時に、あの頃の冷酷さも帰ってきてしまったらしい。
だけど、みんな、それを望んでいるんだろ?