日沈とモラトリアムの終わり 1
オレンジに焼けた地面は、黄昏の終わりとともに黒に焦げ、あとに残ったのは冷たい風だけだった。
「別にどうでもいいのさ」
紅葉のように赤い瞳が俺を見つめる。
「正直なところ君に恨みなんてない。父が殺されたのは事実だけど、死んで当然のことをやって来たやつだったからね」
テリヤムは一度息をついてから続けた。
「僕が納得できないのは、無関係の人間がしゃしゃりでてきて、他国のイザコザに手を出した、ってとこだよ」
鋭い牙が唇の隙間から覗く。
「愚図でノロマな高校生が世界を救う勇者だったとかジョークにもならない。現実でダメなやつはどこに行ったってダメなやつさ。異世界だからって才能あふれる勇者になんてなれるはずないだろ」
「悪いが俺は神童だった。羽路高校始まって以来の天才と呼ばれ、野球部のエースでモテモテだった」
「今は?」
「今は昔の話だろ」
「ともかくさ、人間界と魔界の争いに決着をつけるのは、こちらの世界の人間の責任であり、義務だったんだ」
反論はいくらでもできた。
そもそも俺に意思なんてものはなく、召喚されて命令されただけだ、とか民衆に焚き付けられた、とか。
でも、文句が口から滑り落ちることはなかった。自分自身感じていた疑問をテリヤムが表面化しているように思えたからだ。
「だから、残された魔族は、歪められた決着を正す必要がある。僕はそう考えている」
「魔王を復活させるって意味なら容認はできないな。この場じゃヒンシュクをかうかもしれないが、ヤツを倒したことに後悔はない。それに……」
「それに?」
握った聖剣の柄に力が入る。
「娘に殺し合いを強要するようなヤツなんて、居なくていい」
「それもこちらの事情さ。君には関係ない」
「見過ごすわけにはいかないだろ。勇者うんぬんよりも、人間としてな」
「ヘドが出る。偽善だ。他国の文化にとやかく口を出すのはナンセンスだし、うざったいんだよ。悲しいけど、やっぱり君を好きになれそうにない」
「奇遇だな。俺もだよ」
無駄に整った顔立ちをしているだけに、涌き出る怒りも三割り増しだ。
昼間はがっかりイケメンだからいいけど、夜は真面目系イケメンだから、たちが悪い。
ひゅんと風を切る音がした。テリヤムの手に握られたサーベルが月明かりを反射して白く光る。
「逝ってくれ」
夜の空気を裂いて襲い来るサーベル。
「やだ」
恐ろしく早い刃、俺でなきゃ見逃しちゃうね。
遅れてくる風切り音よりも早く聖剣で一撃を受け止め、
「まだヨーイドンって言ってないだろ」
弾いて、一気に攻勢に転じる。
幾数度の打ち合い。
トモリとサキはなにも言わずをそれを見守っている。
どうやら、サーベルに魔力を通わせているらしい。
刃がぶつかり合う度に、魔力残滓が火花を散らす。
赤、青、黄色。まるで花火だ。
テリヤムは俺の攻撃を刃で応じ、さばいた。
だからこそ、違和感を感じる。
最初の一撃以外、やつが攻めてくることがないのだ。
荒野に響く打ち合いの音。その全てが俺が仕掛けた攻撃音であり、ヤツの攻撃は一切ない。
防御に徹しているのだ。
なぜ?
「一つ、忠告をしておくが」
体力の消耗を狙っているのなら、それは愚策というものだ。
「はじめてやりあったときとは違う」
交差させた刃を動かせないよう力を込めて、意図を読み取る意味を踏まえ、挑発することにした。
「ここ最近の戦闘続きで、二年間のブランクはとうに埋まってるし、加えて社会人経験により、魔王を倒した時とは比較にならないくらいレベルも上がっている」
「関係あるのかい? それ」
「なきゃ人生やってられないだろ?」
ちなみに精霊の加護で魔力消費も少量で済む。
しゅぼ、とマッチを摩るような軽い音が響いた。
剣に魔力を通わせ、ジリジリと炎を纏わせる。
「降参するのなら命は取らない。いくらお前が夜を迎えて妙なスキルでステータスが底上げしていようと、今の俺に勝てるヤツはそうそういない」
「やってみなきゃ、わからないだろ? 挑戦こそが血湧き肉踊るってわけさ」
「ひっこめ」
一閃。
交わった刃を滑らせて、テリヤムの身体を袈裟斬りにする。肩から腰にかけてばっさりと。
もちろん、はなから命をとる気などない。
吸血鬼のスキルだ。
炎が滝のようにヤツの体を引き裂いたが、予想通り、切りつけた場所が黒い霧に変わるだけだった。
あくまでこれは牽制。
そんな気持ちが油断に繋がったのか、上手なのはヤツの方だった。
正確には、奴等の方だ。
剣によって生じた炎が消え、落ち着きを取り戻したころ、
俺の足首に蔦が巻き付いていた。
「な」
霧散したテリヤムの体が徐々に外郭を取り戻し、シニカルな笑みが再び浮かぶ。
「これは……」
蔦は瞬く間に全身に巻き付き俺の自由を奪った。
「ククク……」
どうでもいいけどモンスターの笑い声ってみんなソレだよね。
「隙だらけなんだぜ!」
狭山祐一郎、ことマンドラゴラがぼっこりと地面から這い出てきた。さながらゾンビだ。自慢のリーゼントも土だらけだが、なんとなく似合っていた。
「お前らの卑怯っぷりにはがっかりだよ」
嘆息ぎみに展開に文句を言ってやる。
マンドラゴラが伏兵として地面に潜んでいるなんて。
「何度も同じ手に引っ掛かるのは間抜けっていうんだぜ? こっちの世界に戻ってそうそう地面に潜るとは思わなかったがな」
首をこきこき言わせながら、マンドラゴラが立ち上がる。全身赤土まみれだが、気にしたそぶりは一切ない。もとが、植物族だから埋まるのはお得意なのだろう。
「魔族は勇者を恨んでいるんだ」
テリヤムが物知顔で呟いた。
「言われなくても知っとるわ」
「切って刻んで殺して奪って潰して刺して、魔族を殺戮したサワムラマクラという固体を引き裂きたくてウズウズしてるヤツもいる。それっておかしなことかな」
手のひらにボッと炎が点る。
「なんにせよ、なりふりかまっていられないのは事実だよ。クーデターの始めに勇者を民衆の前で血祭りにあげることから始めようと思っていたが、効果を与えるのなら生首で充分だしね」
息もつかずテリヤムは唱えた。
「火炎!」
放たれた火炎魔法を即座に 水魔法で中和し、わざと後方に吹っ飛んで、勢いを殺す。受け身を取ることでダメージをゼロにすることも成功した。
荒野の地面にきつきつに縛られたまま仰向けで倒れる。
客観視してみると、テリヤムの魔法で伸びているように見えるだろう。蔦はいつでも焼ききれるから、いまは仰向けで夜空を見ながら戦略を練ることにしよう。二体一は少しきつい。
ぼんやりと、冬の星座を探す俺を、サキが心配そうな瞳で見下ろしてきた。
「マクラさん、大丈夫ですか?」
「大丈夫」
「ワタクシにお任せください」
「は?」
視界に写ったのは、逆さまになった鞄が空っぽになる瞬間だ。
どさ、と顔面になにか降ってくる。
「な、なん、はぁ? 青くさっ!」
「薬草です。早く回復してください」
「くせぇ、早くどけろ!」
「毒草もあります。ステータスは大丈夫ですか?」
「せめて毒消し草にしてくれ!」
「はい!
「ぐっなぁ、くせぇえ!」」
縛られているから、手ではたきおとすこともできない。
「あれは」
「知ってるのかい?」
「ただの雑草のはずだぜ」
敵からのお墨付きをもらう。
やっぱしな。
「っよ」
声をあげ、勢いをつけて反動だけで立ち上がる。顔面に積もった草がぱらぱらと落ちた。
なんでもない俺の様子をみて、テリヤムとマンドラゴラの二体は目を丸くした。これが受け身の神秘。受け身は全てのダメージをゼロにしてくれる。たとえ縛られていたとしても。
うんうん、となにも言わず頷くサキ。けしてお前のお陰で回復したわけではない。
とはいえ蔦はいまだに巻き付き、俺の自由を奪っているのに変わりない。圧倒的優位を確信しているマンドラゴラは、焦りながらも余裕のある表情をしている。
「ククク……、もっと締め付けを強くしてやるぜ」
「手加減はしてやるよ。あとはお前の防御力しだいだ」
「? なに言ってるのか、全然わからな」
「俺はお前みたいなタイプ、嫌いじゃないんだ」
「は?」
魔力封じも使わないで俺を縛った気になっているのなら、それは思い上がりというやつだ。
蔦の隙間を「石」で強化した腕力で押し広げ、一気にジャンプして脱出する。
ほんの一瞬だ。
着地と同時に足裏にためた魔力を放出させる。
「な、なんてや……」
「今後も頑張れよ」
ボン、と存外気持ちのよい音が響いた。
接近とともに手のひらの火炎魔法を爆発させる。マンドラゴラが倒れるのも、また一瞬だった。
「続けていくぞ」
「くっ」
横で呆けるテリヤムの首筋に向かって強化した手刀を滑らせる。
正確にはテリヤムの核を狙っての一撃だ。視力を強化し、一挙手一投足をつぶさに観察した結果、やつの核の場所を特定したのだ。
「寝てろ!」
こいつに対しては、殺さないにしても、大ダメージは受けて、
「そこまでだ!」
「!」
荒野の空気を震わせる大声。
「え? え?」
キョロキョロと現状が飲み込めないサキが自らの肩に置かれた大きな手にうろたえている。
そうだ、あいつのことをすっかり忘れていた。
「それ以上罪を重ねるというのなら、それがしも容赦せん。大事な人を亡くす哀しみを味わってもらおうぞ」
強い憎しみの宿った瞳。巨漢が小柄な少女の背後に立っていた。
「カルックス・モートレードさん……」
「申し訳ありません、我等が魔王。それがしは、やはり勇者の蛮行を見過ごすことができません」
「いえ、良いのです。ワタクシも勇者がマクラさんでなければ同じ気持ちでしたから」
ドラゴン族のカルックスが厳つい巨体でサキの横に立っていた。
「お前、どこにいたんだ?」
「ずっと空に」
バサっと背中に巨大な翼が生える。鳥のそれとは違う、コウモリような飛膜だ。ナチュラルに腕の数がおかしいし、あの大きさじゃ飛ぶことはおろか滞空なんてもっての他だ。帰ってこい物理法則。
「か、かっこいい……」
「いやぁ」
ゴツい男がサキに誉められてデレッと顔を赤くした。不気味だ。
「僕も生やせるよ」
「お前は少し黙っとけ」
隣のテリヤムが呟いたが、いまはカルックスに集中する方が重要だ。
「それにしても、やれやれ」
無視したくても耳がある限りテリヤムのボヤキが聞こえてくる。
「約束が違うぞ、カルックス。君の役目はニフチェリカ嬢の暗殺だろう」
「すまぬ。それがしには、わからぬのだ。魔王復活のために生け贄捧げるべきなのか否かが」
どうやらドラゴンの生真面目な性格に救われたらしい。
戦闘に集中するあまり、サキに気を配る余裕なんてなかった。
「勇者よ」
「さっさとソイツから離れろデカブツ」
「条件しだいである」
「条件?」
「それがしも悩んでいるのだ」
「脳ミソくんがキンニくんなのをか?」
「茶化すな」
自重しよう。ああいうタイプはなにをしでかすかわからない。
「勇者サワムラマクラよ。それがしと一対一で殺り合おうではないか。それがしが勝てばオヌシと魔王ニフチェリカには手を出さないと誓う」
「……」
「だがしかし、それがしが勝てばオヌシの聖剣と、魔王……いや、ニフチェリカ殿の命を貰い受ける」
「俺は構わないが、お前の他の仲間は良いのか?」
カルックスはなにも言わずテリヤムを見た。
「構わないよ。どうやら僕じゃ勝てないし」
吸血鬼テリヤム・メドクーラ。こいつが、なりふり構わず外道な手段を用いれば、負けていたのは俺だった。
力が強い奴が勝つのではなく、勝利に対する飢えが強い奴が勝てるのだ。
その点、テリヤムは父親、いや魔王以上の実力者だ。
「妾も構わぬ」
しばらく口を挟むことなく、傍観に徹していたトモリも口を開いた。
「最初に申したはずじゃ。見定めるのは運命じゃと。妹が勝つか父上が勝つか、結論に従うだけじゃ。代行者のマクラとカルックスがその結論を担うのなら、いっそ分かりやすくて良い」
トモリの背後に浮かぶ三日月が輝いていた。
いつか図書室で遅くまで勉強し、二人で帰った通学路にも、あんな綺麗な三日月が浮かんでいた。
俺にはわからない。
勇者としての素質があるものを見張るために俺に近づいた、と言っていたが、少女の見せた笑顔が作り笑いとは、とても思えなかった。
「狭山祐一郎はどうだ?」
カルックスは律儀に尋ねたが、
「……」
返事がない、ただの焼け草のようだ。
「ふむ、まあ多数決で決まりだな。勇者よ」
「なんだ」
「それがしと一対一、尋常に殺り合おうではないか」
「いいだろう」
力、という点では、前評判の通り、一番強いと思われるのが、こいつだ。
俺も楽に勝てるとは思えない。
それでも負けるわけにはいかない。
意地、になっているのだろうか。
俺はただ、みんなが、毎日笑ってくらせればいいな、と思っているだけなのに。




