剣と魔法が支配する 6
朝。
現実と夢との区別がつかず、ぼんやりとしてしまうことがよくある。
脳にモヤがかかったような目覚め。
どこだっけ、ここ?
ああ、そうか。
見知らぬ石造りの天井に変わっていることで、自分が異世界にいることを思いだした。
異世界。
そう。外国とかじゃなくて、別次元の世界だ。
憂鬱な気持ちを誤魔化そうと再び微睡みに沈み始めた俺の左腕を、柔らかな感触が支配した。
枕から頭を離さず視線をそちらにやると、静かな寝息をたてるサキが俺の腕に抱きついていた。ぬくもりと感触を存分に感じる。
まあ、それはいい。
いや、正確にはよくないが、もっと重大な問題が目の前にある。
「おきてー! マクラー! あさだよぉー」
不動院由奈だった。
俺に馬乗りになって叫んでいる。
なんでいんの、こいつ?
仰向けの俺に圧迫感が混乱を巻き起こす。
状況がうまく飲み込めない。
「うーん……むにゃむにゃ」
平和なうなり声をあげながら、腕に抱きついていたサキが目を覚ます。
「はっ!」
瞼を開けると同時にバッと離れて。ベッドのはしっこに行く。まるでエビだ。薄目でそれを見守っているが、顔が風邪を引いたみたいに真っ赤になっていた。
「あ、ニフチェリカー、おはよぉお」
「ふぇえ?」
声をかけられたサキは生あくびを噛み殺したような声をあげ、ベッドから飛び起きた。
「ゆ、ユナさん?」
「違うよぉー」
「え、でも、ユナさんですよね? 粘体族で暴食の大罪を司る……」
「そうだけどオルマはユナじゃないよぉー。オルマだよー」
「む、むむ?」
オルマと名乗った少女は俺の上から、お尻を浮かし、四つん這いのままサキを見つめた。
「オルマはね。伝えなくちゃいけないことがあってユナに頼まれて来たんだよぉ」
「あの、すみません、言葉がぶつ切りでよくわからないのですが……」
「むぅ……」
いま話に加わるとめんどくさそうなので、もうしばらく寝たフリしとこう。
「だからね、二人に会うように言われたんだよ」
「そう、なのですか。ワタクシたちに、どんな用があるのですか?」
「でね、会ってね、言わなきゃいけないことがあったんだけどぉ、うーん、忘れちゃった」
思いっきり頭を叩きたくなったが、狸寝入り中なので我慢した。
「……オルマさん、あなたはユナさんの分身ですね」
「ぶんしん? 難しいことよくわかんない」
「スライムの種族スキルですわ。力を半分にして分身を作り出す。ユナさんの父上がよくやってました」
「そうなんだぁ。スゴいね!」
「ユナさんはテリヤムさんに捕まっているんですよね? おそらく脱出のヒントを送ろうとしているのだと」
「そぉーなのかー」
「それにしてもテリヤムさんには幻滅しました。人質を取るだなんて卑劣漢ですわ」
「てりやむ? あ、お兄ちゃんのこと?」
「おに……」
サキはどんびいている。
テリヤムにはユナの分身を誘拐して自分好みの女の子にしようと画策した前科があった。恐らくオルマと名乗る少女はその時監禁されていたユナの半身なのだろう。
「おにいちゃんはいい人だよぉ! お菓子いっぱいくれるんだよぉ」
「しかし、二人を人質にとっているのは事実です。このままでは、どんな恥辱な目に合わされるわかったものではありません。同じ乙女として助け出さなくては 」
それにしても自分のことを「おにいちゃん」なんて呼ばせるなんて……。今度から妹にそう呼んでもらおう。
「そうだぁー! 思いだしたぁ」
脈絡もなくオルマは叫んだ。
「え、ユナさんの伝言ですか?」
「うん! ユナがね、言ってた。無理に助けに来なくていいって!」
「……」
「なんかね、ミヤもユナも大丈夫なんだって!」
「助けますわ。これは、すべての魔族を率いるための一つの試練です。赦し、救い、与える、魔王に必要な三元素です」
「そうなの? ユナは、マクラとニフチェリカが無事ならそのまま向こうの世界に帰ればいい、って言ってたよ」
「できるはずありません。ワタクシはワタクシなりに魔界を救うと決めたのですから」
「カケオチ!」
「はい?」
「ミヤとユナはカケオチが見たいんだって。オルマも見たい! 愛のトーヒコー! ラブラブらんでぶぅー!」
「な、なにをバカな。わ、ワタクシは正々堂々と戦うと決めたのです」
「そーなんだー。ざんねんだなぁ」
オルマは唇を尖らせてぶぅたれると、ゆっくりとベッドの上に立ち上がった。
「それじゃあ、帰るね。ユナがさみしいって言ってるから」
「来てくれてありがとうございます。必ず助けると伝えてください」
「うん!」
トプン、と水音がしたかと思えば、オルマの姿が消えていた。
原理はわからないが、遠く離れた場所に魔力を飛ばし、分身を構築する魔法らしい。
「はっ! こ、このままじゃ、おねしょしたみたいですわ!」
スライム族の属性は水。どうやらオルマが戻った拍子にベッドが濡れてしまったらしい。
「ど、ドライヤー! な、ない! むむむ、どうすれば……、あっ、そうだ!」
「なにをぐだぐだやってる」
「はっ、起きたんですね!」
「たった今な」
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
嘘をついて、布団を除けてベッドから起き上がる。
「あー!マクラさん、おねしょしましたね! ベッドが濡れてますわ!」
このくそアマ、俺のせいにしやがった。
トモリと決着をつけると約束した時間は日没だ。
まだ太陽は東にあり、待ち合わせよりだいぶ時間がある。
ひとまず旧市街地にある墓地に行くことにした。お盆でもないのに墓参りなんて気が滅入るが、それでも、必要な儀式であることに違いない。
木の杭と盛り土が大半の、急拵えの墓地である。
少し強い秋の風が、隙間を縫うようにして吹いた。日差しが柔らかくて心地よい。
朽ちた墓標の数だけ、かつて町を支配した吸血鬼の横行を物語っている。
その内の一つ、比較的新しい一本に黙祷を捧げ、ホテルの従業員に譲ってもらった赤い花を一輪、手向ける。
「誰の、お墓なんですか?」
「かつての旅の仲間だ。俺をかばって」
大酒のみのマクシミリアン、という墓碑銘が感傷を呼び起こす。
豪腕の戦士で、戦い方を教えてくれた師匠だ。彼の豪快な笑い声で、最悪な状況も吹き飛ばせるような気がした。
「大勢の方が、亡くなったのですね。マクラさんのお仲間も……」
「ようは戦争だからな」
「なぜ、争いは起こったのでしょう。誰もが平和を望んでいるはずなのに」
「平和なんて絵空事だ。よりよく過ごしたいのなら、隣から便利を奪うしかない。戦士もそれは理解していた」
吸血鬼にやられた彼が十字架の下で眠るのはなんとも皮肉だ。
もっとも遺体は故郷に帰り、ここにはあるのはカタチだけのものだが。
「被害者がいれば加害者もいる。双方どちらにもな。当たり前だろ」
「……」
面識のないサキのほうが、俺よりよっぽど悲しい顔していた。
さて、一番大事な用事も済んだし、どうやって時間を潰そうか。
一つの問題としてあげられるのは金がないということ。
「暇だしダンジョンでも潰すか」
お昼に美味しいものを食べるため、近くにあるダンジョンを攻略することにした。
遥か昔、神が作った遺跡のことをこちらの世界では、総じてダンジョンと呼ぶ。
神の存在をナチュラルに認めているところが嫌いだが、いい稼ぎ場でもあるのだ。
最奥地には貴重なアイテムや魔法の力が宿った聖遺物があったりし、
確認されていても、未攻略の高難易度ダンジョンには懸賞金がかけられていたりする。本屋にあった『世界のダンジョン』という本を立ち読みしながり目的地を決める。
「一番近いのはー、バラドリ遺跡か。築一万二千年、徒歩五分ね。不動産のチラシかよ」
「やめた方がいいと思いますわ」
「なんで?」
「そのダンジョンは魔王軍ですら手が出せなかった自律思考型機械族モンスターの巣で、チャームの魔法が効かないのです」
「そうなんだ。金とか宝石とかはあるのか?」
「人間も魔王軍も攻略していないので、それなりの懸賞金はかかっていると思いますが……」
「ちょくら行ってくるか」
本を棚に戻す。
「死んでも知りませんよ」
二時間で攻略した。
最奥地にあったのは、変な銅像だった。目立ちたくなかったので、サキ名義ですべて換金する。めっちゃ金持ちになった。
「よし、カジノ行くか」
「カジノ、ですか? あるんですか、この町に」
「ああ、昔は吸血鬼の資金源だったんだが、今は王族の資金源だ」
中央市街地にあるドデカい建物にはいる。早速スロットマシーンに飛び付く。噂じゃパチンコ狂いの異世界人が作った商業施設らしい。うまいことやったもんだ。
どうでもいいが、バカ勝ちした。
「す、すごい、二千万ゴールドですよ!」
「笑いが止まんねぇな」
三店方式の換金所で、チップをゴールドに換える。そういうところだけ、めっちゃリアル。
「マクラさんはすごいですねぇ」
魔王を倒したときから薄々感づいていたが、どうやら、この世界における俺の幸運のステータスはカンストしているらしいのだ。
なにをしても勝つ。
なにをしてもイージーモード。
苦戦したのは四天王と魔王戦だけ。
「よし、その金で土地を買うぞ。土地転がしで天下とってやる」
手にいれた金で先ほど攻略したダンジョンを購入する。
「名付けてマクラダンジョンだ!」
「ネーミングセンス……」
そんな暇潰しをしていたら、時刻は日没を迎えていた。
夕刻に染まり始めた空の下、長くなった影を引きずりながら歩き始める。
「マクラさん」
「なんだ?」
「道具屋に行ってきました」
並んで歩いていたサキが、パンパンに膨らんだバッグから、青青しい草の束を一掴み差し出してきた。
「草むしりでも手伝ったの?」
「違いますよ。これは薬草です」
「……雑草だよ?」
「いえ、道具屋で買ったので間違いありませんわ。回復アイテムです」
そんなもの差し出されても困る。
「右腕を怪我してますわ」
「あー、これね」
「テリヤムさんは強敵、万全の状態で臨まなくては」
あえて言わなかったが、左手の火傷は昨日お風呂場でお前にやられたやつだ。
「はい」
ぐい、っと患部に草を押し付けられる。
「いたっ!」
「ふふふ、痛みは改善の兆しですわ」
無理矢理ぐりぐりやられ、染み込まされる。
「ふざけんなぁ……」
恐る恐る鼻を寄せると、
「青くさ!」
単純に最悪な気分になった。
茜色に染まるサキの笑顔だけが、眩しすぎるくらいに爽やかだ。
「回復しました?」
「俺の表情で察しろ」
ザメツブルグをあとにし、荒野を行く。
目指すは転送カプセル。待ち合わせ場所でもある。
道中サキが不安そうな瞳で俺を見つめてきた。
「もしかしてエイチピー、まずい感じですか?」
「いや、すこぶる元気だが、……ひとつ不安要素があるとしたら、鞄の中身……」
「はい! 全部薬草です」
「なんてことを……」
ダンジョンを買ったあとで残った費用はほとんど雑草代金にきえたらしい。
無駄遣いにもほどがある。
トモリはすでに待っていた。
荒野の真ん中、カプセルの横、暗くなってきた空の下、一番星を背景に静かに佇んでいた。
「サキ」
「おねぇさま……」
似た瞳がお互いを写し込む。
「ミヤとユナさんは無事なのですか」
トモリはそっと傍らのカプセルを指差した。サウレフトからの移動に使った転送機だ。
「怠惰のスキル、拡張現実で二人をこの中に閉じこめておる。安心せい。妾にとっても彼女らは友達、むやみやたらに傷つけることはせぬ」
いつの間にか空には月が浮かんでいた。雲が白く照らされている。
「最後に問おう」
「はい」
「生きてくすぶるか、死んで道を作るか。おぬしはどちらにするのじゃ?」
「生きて道を作ります」
「……まあよい。見定めるのは妾でなく、運命じゃ」
トモリの横にはいつのまにかテリヤムが立っていた。
「勇者と魔王を相手にするとは思わなかったよ。まあ君たちとはとことん相性が悪い らしい。さて」
月に雲がかかる。
「君たちは魔王の復活に必要な要員であるにも関わらず、復活を妨げる最大の要因だ。よっていまここで、僕は君たちに決闘を申し込む」
サーベルを向けられる。
厄介なことに今のテリヤムは色欲に支配されていない。青白く滲んだ無表情が俺に向けられる。
「受けてたとう」
聖剣を抜き、月明かりの下、刃を交わらせる。
平和なんて結局、絵空事なのだ。




